珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

今しかできない

2018-04-17 | 日記
娘の部屋はかつて夫が使っていた。
そこにデカいステレオを置いて、大量のCDやLDやビデオやゲームソフトや雑誌を貯め込んでいたけど、修学を機に娘に空間を明け渡した。
でもクローゼットにはそれらがまだひしめき合っていたので、いい加減断捨離することにした。
ギュウギュウに詰めても、ダンボール5箱にもなったのがビデオの山だった。
データ保存というとこれしかなかった時代に、一体どれだけのお金と労力をかけたことか。

そんなこんなも確か、知りもしない「老後の楽しみ」のためだったような(笑)

老後になる前に知ったのは、先のことを知ったかぶってみても当たった試しがないこと。
次から次へと予想もしないことが起こって、思い込んでいたものが壊されてはまた生まれて、そんなこともどんどん忘れていく。
今は先のことなんて、私は何も信じていない。
今日まであったことも、前もって考えた人生設計の結果でも何でもなかったというのが、信じるより先に思い知ったことである。

振り返るかもわからないのに、振り返った時の思い出になんてものはもういいかなと、広くなった空間を思った。
それより空いたこのスペースに今しか着れない洋服をかけたいわ。





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美味しいもの

2018-04-17 | 日記
「ドカベン」という漫画で、魚といえば「鯛」しか食べたことのないお坊ちゃんの岩木が、山田太郎のサンマ弁当に感激する話が大好きである。
実際サンマって、お弁当にしたら鯛より美味しいよね。

私は全然お金持ちじゃなかったけど、小学校のある時、或るおとなしい女の子がもってきたお弁当を少し貰って感激したことがある。
その子のお弁当はウインナーとか卵焼きとかじゃなくて、糸こんにゃくと揚げの炒め煮がタッパーいっぱいに入っていた。
そこのお母さんは、兄弟が多くてわざわざ「お弁当」に特別な気合なんかけられないという感じだった。
それが滅茶苦茶おいしくて、あの味が今でも忘れられない。
以来、私は糸こんにゃくが好きになった。
そこに揚げでもちくわでも余ったお肉でも入れて、甘辛く作ると本当においしい。

夫は「岩鬼」同様、そんな家庭に全然そぐわないタイプのお坊ちゃん育ちで、やはり魚を知らなかった。
魚といえば白身魚で骨を取るのも苦手。
初めて実家に遊びにいった時もご馳走されたのは「鯛のおかしら付き」だった(笑)

私がイワシやサバを教えたら、案の定びっくりして「美味い!」と言った。
魚を焼いてもそれが、何の魚であるかさっぱりわからない、その「岩鬼」に呆れつつ、私は時々それらを焼いた。

本当に美味しいものって、こういうものじゃないかな。
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