の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

出雲國一之宮熊野大社上の宮跡

2010年11月27日 13時12分39秒 | 中国(鳥取、島根)
■熊野大社元宮遙拜所■
(12th June 2010)
 


★出雲國一之宮熊野大社上ノ宮跡★ 島根県松江市八雲町熊野

・延喜式内社、出雲國意宇郡、熊野坐社、名大。

・舊社格は國幣大社。

・祭は熊野大櫛御氣野命、亦の名素盞嗚尊という。『延喜式』に収める「出雲國造賀詞」には「伊射那伎乃日眞名子加夫呂伎熊野大櫛御氣野命」とあり、「靈妙なる御食つ」という意味の名が明記されている。

・『出雲國風土記』にある出雲四大の一。他の三大は杵築、佐太、野城。

・古來より、杵築大社(現出雲大社)の上位に置かれていた。

・鎌倉時代頃までは一之宮の稱は當社が與えられていたが、鎌倉期以降は杵築大社に移ったようである。

・『和名抄』によると、熊野の「くま」は「久万之禰」の「くま」とし、すなわち米の意に通じる。また、「隈隈しい」所という意味の「隈」と考えられている。

・本居宣長は『古事記傳』以降、紀伊と出雲の熊野について、本末關係を説明しようとする向きが多いが、實際、『延喜式』名帳において、熊野坐社、熊野社が、出雲、紀伊、丹後、越中、近江と、出雲、紀伊の二か國に留まらず、この關係は成立しないと思われる。

・元宮は海抜六百十メートルの天狗山にあり、風土記の記す「熊野山」とされる。

・『出雲國風土記』では熊野大社とされていたが、『延喜式』名帳では熊野坐社と記された。

・社傳では熊野村の住人が紀伊國に移住したときに分靈を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとし、往古、出雲で炭焼きを業としていた有馬氏が遙か紀の國に移動したというが、三重県熊野市の有馬は榎本が本姓であり、元々、熊野の海人族と考えられている上に、出雲國との關連がある傳承は皆無である。その上、天文十一年(1542)の大内氏の富田城攻撃の際に社殿が全燒し、明治六年(1873)の意宇川の氾濫により社地の一部が流され、文書類は消失したというのに社傳が殘っているというのもまた奇なことである。また、この社傳は、平安の末頃から始まる紀州の熊野の進出により、創建された熊野社が「熊野上ノ宮」と呼ばれるようになったことに対抗するものであると思われる。

・現熊野大社(熊野下ノ宮)が古來よりの熊野大社と考えられているが、近世、現熊野大社社地の上手約一町のところに紀州系の熊野社が建てられ、上ノ宮が建てられ、下ノ宮の祭は天照大となっていたが、これは、紀州系への対抗策であったと考えられている。

・明治維新に至り、社整理が行われたときに當社も上下の宮を一本化し、「熊野社」と改めた。明治十年(1877)には、舊上ノ宮を伊邪那美社と改稱し、これと下ノ宮前面にあった稻田社とを攝社とし、本殿の両側へと遷した。昭和五十二年(1977)、社名を熊野大社と改めた。

・中世以來の文書に見える社家は鈴木氏と稱し、のちに熊野氏と改稱。明治維新まで続くが、明治の國家管理時代に入ってからは官選宮司となり、現在では出雲大社の千家教統がこれを兼務している。


■上の宮跡境内■
(12th June 2010)



・向かって左より事解男社跡、伊邪那美社跡、速玉男社跡、五所社跡、八所社跡。


■事解男社跡■
(12th June 2010)
 


■伊邪那美社跡■
(12th June 2010)
 


■速玉男社跡■
(12th June 2010)
 


■五所社跡■
(12th June 2010)
 


■八所社跡■
(12th June 2010)
 


■明見水と巨磐■
(12th June 2010)

 

・享保二年(1717)、黒澤長尚等により著された地誌『雲陽誌』に「此所岩壁なり。落水あり。明見水といふ。眼病を洗ふときは明をうるといひたふ」とあり、古くから眼病に利くといわれた。
・産婦がこの水を服すと母乳が満ち足りるという言い傳えが殘る。


■久米社跡■
(12th June 2010)
 


■祓所■
(12th June 2010)
 


■元宮遠景(天狗山)■
(12th June 2010)
 

・向かいに聳える最もい山である天狗山に元宮があったとされる。


((コメント))

2010年6月12日

 平成十九年末に行ったときに上ノ宮跡へ行かなかったので、今回は、行くことを目的にこの熊野の地へやってきた。上ノ宮跡には紀州熊野のが祀られていたようであるが、山上に天狗山元宮遙拜所が置かれているので、元元、信仰の土壌があり、おそらく、それゆえに紀州熊野のや久米のなどが勧請されたのであろう。雰囲氣はよいところであったが、やはり、下ノ宮のほうが社として荘厳であるようである。


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