かれこれ、社を周り始めて六年が過ぎております。長らく眠っていた世間で言うところの靈感というものも目を覚まさなくてもいいのに、再び覚醒してきているようでございます。祖母からの影響なのでございましょう。古えより祀られている聖地などから呼ばれたり、止められたりよくいたすのです。基本的に、それらの地は繩文、彌生より祀られている先住民のであったり、その後、侵略者として大和王朝を開いたものどもの不当な圧力に害され、殺されていった方々の眠る地であることがほとんどであります。
特に、近畿地方には多いのでございますが先住民族系の一族が祀っておった社には磐座などのの依代になるものが多く殘っております。社に寄れば、禁足の地として、近くに行くことができない場合もございます。ここで、ふと、なぜ禁足地というものが社にはあるのであろうか、と思ったわけでございます。
禁足地を考える前に、太古のについて少し考えてみたのでございます。なぜ、を祀ったのでしょうか?ご加護があるからでしょうか?守られていたからでしょうか?私には、正直、先住民が祀っていた社で感じる、ある共通したものが見えます。「畏怖」でございます。想像をこえる何かを感じ、それに恐れ、崇め奉ることになったのでございましょう。おそらく、地震、津波、暴風雨、などの自然災害は、の怒りであると考えられたことでしょう。そして、それを鎭める為に、丁重にお祭りをすることになったのがそもそもの始まりではないであろうか、と考えております。信濃國の物部守屋社、諏訪大社の血生臭い事などもそれを物語る一つの姿ではないであろうか、と思っております。禁足地とは、足を踏み入れてはいけない地でございますが、それは、畏怖するの住む聖なる地であるゆえ、恐れ多きことであるからなのでしょうか。個人的に、最初からそのような思想があったとは思えないのでございます。
禁足地、の坐す地、数少なくなりましたが靈感というものを先祖より、受け繼がれておられる方々もまだ世間にはおられまして、そういった方々が何かを感じる場所と言うのが社や寺に限らず存在しております。そこに何か原因があるように思うのでございます。禁足地に入ると罰が当たるというのはよく聞く話なのですが、靈感の強い方で禁足地に入ったりしてきたことで、体が蝕まれ、生死にまで影響が及んで戰っていたりするのもいくつか聞いたりするのでございます。そこに、禁足地の謎があるのではないのか、と考えるのです。
實は、が坐すと考えられるところはその地場に起因するのではないか、と考えております。地下より電磁波が出ているところがあり、それが脳に作用し何らかの影響を与えるのが、靈感であるのかもしれません。全てではございませんが、それは一つでしょう。それについても、強弱があるのは世の常でございます。身體に強く影響があり、生死を彷徨うことがあった可能性もございます。電磁波により、脳の変性をきたした可能性も否定はできないでしょう。何らかの事象が続き、そこから統計的にある場所に入った者にその事象が発生したというのに氣づいた可能性もあるのですね。古代の人人は、我我が思うよりも遥かに高度な知恵と思考能力を有していたのは、社についての設計や、位置からも明らかなのです。その彼らが、立ち入ると何か不吉なことが起こる、と言うことで立ち入ることを忌むようになったのが、元々の禁足地の起こりであり、その理由として考えられたのが「畏怖する」であったのではないか、と推測するのです。
結論として、背景に「に対する畏怖」があり、地下から出る電磁波が、心身何らかの影響を与え、病気、死、精異常などが續いたことにより、その地に立ち入ってはいけないと言う思想が生まれ、そこが人々が何かを感じる地であり、その感覚を持つところがの坐す地とされたのであろう、と推し量るわけでございます。そして、それが、後世の社のもとになる祭祀の始まりであったのかもしれません。
特に、近畿地方には多いのでございますが先住民族系の一族が祀っておった社には磐座などのの依代になるものが多く殘っております。社に寄れば、禁足の地として、近くに行くことができない場合もございます。ここで、ふと、なぜ禁足地というものが社にはあるのであろうか、と思ったわけでございます。
禁足地を考える前に、太古のについて少し考えてみたのでございます。なぜ、を祀ったのでしょうか?ご加護があるからでしょうか?守られていたからでしょうか?私には、正直、先住民が祀っていた社で感じる、ある共通したものが見えます。「畏怖」でございます。想像をこえる何かを感じ、それに恐れ、崇め奉ることになったのでございましょう。おそらく、地震、津波、暴風雨、などの自然災害は、の怒りであると考えられたことでしょう。そして、それを鎭める為に、丁重にお祭りをすることになったのがそもそもの始まりではないであろうか、と考えております。信濃國の物部守屋社、諏訪大社の血生臭い事などもそれを物語る一つの姿ではないであろうか、と思っております。禁足地とは、足を踏み入れてはいけない地でございますが、それは、畏怖するの住む聖なる地であるゆえ、恐れ多きことであるからなのでしょうか。個人的に、最初からそのような思想があったとは思えないのでございます。
禁足地、の坐す地、数少なくなりましたが靈感というものを先祖より、受け繼がれておられる方々もまだ世間にはおられまして、そういった方々が何かを感じる場所と言うのが社や寺に限らず存在しております。そこに何か原因があるように思うのでございます。禁足地に入ると罰が当たるというのはよく聞く話なのですが、靈感の強い方で禁足地に入ったりしてきたことで、体が蝕まれ、生死にまで影響が及んで戰っていたりするのもいくつか聞いたりするのでございます。そこに、禁足地の謎があるのではないのか、と考えるのです。
實は、が坐すと考えられるところはその地場に起因するのではないか、と考えております。地下より電磁波が出ているところがあり、それが脳に作用し何らかの影響を与えるのが、靈感であるのかもしれません。全てではございませんが、それは一つでしょう。それについても、強弱があるのは世の常でございます。身體に強く影響があり、生死を彷徨うことがあった可能性もございます。電磁波により、脳の変性をきたした可能性も否定はできないでしょう。何らかの事象が続き、そこから統計的にある場所に入った者にその事象が発生したというのに氣づいた可能性もあるのですね。古代の人人は、我我が思うよりも遥かに高度な知恵と思考能力を有していたのは、社についての設計や、位置からも明らかなのです。その彼らが、立ち入ると何か不吉なことが起こる、と言うことで立ち入ることを忌むようになったのが、元々の禁足地の起こりであり、その理由として考えられたのが「畏怖する」であったのではないか、と推測するのです。
結論として、背景に「に対する畏怖」があり、地下から出る電磁波が、心身何らかの影響を与え、病気、死、精異常などが續いたことにより、その地に立ち入ってはいけないと言う思想が生まれ、そこが人々が何かを感じる地であり、その感覚を持つところがの坐す地とされたのであろう、と推し量るわけでございます。そして、それが、後世の社のもとになる祭祀の始まりであったのかもしれません。
私には何も感じる力はありませんが、
そういう場所にはやはり何かある?
と感じます。
まあ、でも、これはあくまで推論ですけどね・・・