■拜殿■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/28/a697ae73e72f6c7997dfb412ee8da14c.jpg)
★惠曇社★ 島根県松江市鹿島町佐陀本郷655
・延喜式内社、出雲國秋鹿郡、惠曇社、論社。
・舊社格は村社。
・祭は磐坂日子命。
・『出雲國風土記』に記載されている「惠杼毛社」の論社。
・創建由等不詳。
■鳥居■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fb/4490cd77197ee717e37595153bc34658.jpg)
■參道■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e0/5f54d9ac3ebccef687a5a4e390aaa3b5.jpg)
■隨門■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a8/4aa4347ecba8ddc9b9641107512572e2.jpg)
■本殿■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/63/f06e00006d89018625bdfab193271d8a.jpg)
■磐座■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/22/f7944dc0f3ac68102f8a67e68cee57ac.jpg)
・座王さんと呼ばれている。
・當社祭の磐坂日子命が國土開拓のため、その昔、國巡りの際の腰掛岩と傳えられている。
((コメント))
2010年6月12日
佐太社から、車で數分に行ったところに鎭座する惠曇社へ行った。江戶時代に、式内社の裁定は當社ではなく、江角鎭座の惠曇社とされたそうであるが、實際の所、當社のほうが有力な式内社論社であり、江角の方は、不在祇社惠曇海邊社であろうと思われる。
社自體は小さなところであるが、磐座もあり、まあ、何かを感じる地ではあるので、祀られた理由はおぼろげながら傳わってくる。大和の社とは大きく異なり、あまり、心地のいいものではないが、出雲の社としては通じる種の氣である。
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/28/a697ae73e72f6c7997dfb412ee8da14c.jpg)
★惠曇社★ 島根県松江市鹿島町佐陀本郷655
・延喜式内社、出雲國秋鹿郡、惠曇社、論社。
・舊社格は村社。
・祭は磐坂日子命。
・『出雲國風土記』に記載されている「惠杼毛社」の論社。
・創建由等不詳。
■鳥居■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fb/4490cd77197ee717e37595153bc34658.jpg)
■參道■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e0/5f54d9ac3ebccef687a5a4e390aaa3b5.jpg)
■隨門■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a8/4aa4347ecba8ddc9b9641107512572e2.jpg)
■本殿■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/63/f06e00006d89018625bdfab193271d8a.jpg)
■磐座■
(12th June 2010)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/22/f7944dc0f3ac68102f8a67e68cee57ac.jpg)
・座王さんと呼ばれている。
・當社祭の磐坂日子命が國土開拓のため、その昔、國巡りの際の腰掛岩と傳えられている。
((コメント))
2010年6月12日
佐太社から、車で數分に行ったところに鎭座する惠曇社へ行った。江戶時代に、式内社の裁定は當社ではなく、江角鎭座の惠曇社とされたそうであるが、實際の所、當社のほうが有力な式内社論社であり、江角の方は、不在祇社惠曇海邊社であろうと思われる。
社自體は小さなところであるが、磐座もあり、まあ、何かを感じる地ではあるので、祀られた理由はおぼろげながら傳わってくる。大和の社とは大きく異なり、あまり、心地のいいものではないが、出雲の社としては通じる種の氣である。