■鳥居、門■
(12th June 2010)
★多太社★ 島根県松江市岡本町
・祭は衡桙等乎與留比古命。『出雲國風土記』に出てくる素盞嗚の子の武という。
・『出雲風土記』の秋鹿郡多太に「衝桙等乎与留日子命、國巡行でましし時、此処に到りまして詔りたまひしく、吾が御心は、照明く正眞しく成りぬ。吾は此処に靜まり坐さむと詔りたまひて、靜まり坐しき。故、多太という。」とある。
■社號標■
(12th June 2010)
■門、拜殿■
(12th June 2010)
■本殿■
(12th June 2010)
■末社■
(12th June 2010)
■末社石祠■
(12th June 2010)
((コメント))
2010年6月12日
周りは農作業をされている老人が数人見えるだけの長閑な地であり、そこに静かに佇んでいるのが多太社である。小さいながらも隨門もあるしっかりとした形式の境内で好感の持てる社である。
祭や風土記の傳承に關してはわからない。ただ、これは、スサノオを長髓彦として、紀伊、大和より落ちてきた古代イズモ族の首長たちが出雲に落ち着くための戰いの傳承と、その首長たちが風土記で言うスサノオの子というのは穿った見方過ぎるかな。
(12th June 2010)
★多太社★ 島根県松江市岡本町
・祭は衡桙等乎與留比古命。『出雲國風土記』に出てくる素盞嗚の子の武という。
・『出雲風土記』の秋鹿郡多太に「衝桙等乎与留日子命、國巡行でましし時、此処に到りまして詔りたまひしく、吾が御心は、照明く正眞しく成りぬ。吾は此処に靜まり坐さむと詔りたまひて、靜まり坐しき。故、多太という。」とある。
■社號標■
(12th June 2010)
■門、拜殿■
(12th June 2010)
■本殿■
(12th June 2010)
■末社■
(12th June 2010)
■末社石祠■
(12th June 2010)
((コメント))
2010年6月12日
周りは農作業をされている老人が数人見えるだけの長閑な地であり、そこに静かに佇んでいるのが多太社である。小さいながらも隨門もあるしっかりとした形式の境内で好感の持てる社である。
祭や風土記の傳承に關してはわからない。ただ、これは、スサノオを長髓彦として、紀伊、大和より落ちてきた古代イズモ族の首長たちが出雲に落ち着くための戰いの傳承と、その首長たちが風土記で言うスサノオの子というのは穿った見方過ぎるかな。