の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

松江社

2010年04月11日 19時57分15秒 | 中国(鳥取、島根)
■鳥居■
(30th December 2007)



★松江社★ 島根県松江市殿町1-5

・松江城二の丸跡に鎮座。

・祭は松平直政(初代松江藩主)、堀尾吉晴(松江開府の祖)、松平治郷(不昧)(第七代藩主)、川家康。

・島根縣社庁指定特別社。

・元は明治十年に舊松江藩の人々によって建てられた初代藩主松平直政を祀る樂山神社。そこに、堀尾忠晴が創建した東照宮を明治三十二年に合祀、松江城二の丸跡に遷座し松江社と改称された。この時点で、祭に川家康が加わる。

・昭和六年に松江開府の祖堀尾吉晴および松江松平藩中興の祖松平不昧が配祀。

・本殿は寛永五年(1628)、拜殿は寛文元年(1661)建造の権現造である。


■拜殿■
(30th December 2007)



■本殿■
(30th December 2007)



■頭部の落ちた狛犬■
(30th December 2009)



■手水舎■
(30th December 2009)


 元は、元西尾村(現松江市西尾町)に鎮座の東照宮の手水舎で寛永十六年(1639)に藩祖松平直政の命により建てられたもので、大工棟梁渡邊加兵衛尉藤原好眞作という。有名なのだろうか。昭和十年京都御所離宮写真および実測図、謹製所勤務古建築庭園研究科川上邦基氏らが松江城視察時に参拜され、その時にこの屋舎に注目し、かなりの名作で相当古い稀な築造である貴重な建物だと写真および実測図を持ち帰られたということだ。


■松江城跡堀■
(30th December 2007)


★松江城跡★ 島根県松江市殿町1-

 國指定史跡

・別名千鳥城。
・日本に十二箇所しか現存しない江戸時代以前建造の天守を有する城郭の一つ。
・西暦1600年、関が原合戦の戦功により堀尾吉晴が月山富田城に入ったが、中世山城であり、当地に向かないために末次城址に新たに松江城を建設。吉晴は落成直前にこの世を去る。寛文十五年(1638)、信濃松本より松平直政入封、明治維新まで続く。
・昭和十年、舊國寶保存法により天守閣が國寶指定されるも戦後の文化財保護法施行により重要文化財となる。


■松江城天守閣■
(30th December 2007)


 國重要文化財

・親藩十八万六千石の複合式天守。
・内部に井戸がある唯一の現存天守。
・木造銅板張の鯱を有し五重六階望樓型構造。
・内廻縁と高欄を有し外装は黒い下見板張りで、二階に付けられた石落しなどの装備の点でも極めて実戦的な造り。
・漆黒の武骨荘重な意匠である。


((コメント))

2007年12月30日

 崩れて頭が落ちた狛犬が切なく感じるところ。城跡ということで、延喜式内社などの古代から崇敬を受けた社とは異なる種類のもので、どちらかというと記念碑的なもの。祭もイマイチである。


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