■藤原成親卿供養塔■
(10th November 2008)
★藤原成親供養塔★ 岡山県岡山市一宮
・藤原成親という人は平安時代後期の公卿。
・父は中納言家成。
・鳥法皇の寵臣であり、中流貴族の一族であったにも關わらず、上流貴族の役職などに付くようになっている。
・鳥法皇死後は、後白河の側近となった。男色關係にあったともいう。
・保元の亂で亡くなった惡左府長とも男色說が存在する。
・平治の亂では藤原信とともに武裝して戰うが(源氏方)、敗れる。このとき、信は處刑されたにも關わらず、成親は平重盛の妻の兄であったことから助命された。
・後白河法皇と平盛の對立が深まったとき、有名な鹿ケ谷の隂謀(1177)に加わっており、ついに、備前流刑となり、一生を終えた。
((コメント))
2008年11月10日
校時代に、吉川英治の『新平家物語』を續んできた身としては、そこに登場する人物を見ると素通りできないもので、吉備津彥社から元宮磐座への道の脇にポツリと建つ成親さんの供養塔に參ってきた。
(10th November 2008)
★藤原成親供養塔★ 岡山県岡山市一宮
・藤原成親という人は平安時代後期の公卿。
・父は中納言家成。
・鳥法皇の寵臣であり、中流貴族の一族であったにも關わらず、上流貴族の役職などに付くようになっている。
・鳥法皇死後は、後白河の側近となった。男色關係にあったともいう。
・保元の亂で亡くなった惡左府長とも男色說が存在する。
・平治の亂では藤原信とともに武裝して戰うが(源氏方)、敗れる。このとき、信は處刑されたにも關わらず、成親は平重盛の妻の兄であったことから助命された。
・後白河法皇と平盛の對立が深まったとき、有名な鹿ケ谷の隂謀(1177)に加わっており、ついに、備前流刑となり、一生を終えた。
((コメント))
2008年11月10日
校時代に、吉川英治の『新平家物語』を續んできた身としては、そこに登場する人物を見ると素通りできないもので、吉備津彥社から元宮磐座への道の脇にポツリと建つ成親さんの供養塔に參ってきた。