■細川忠興及びガラシャ墓所■
(24th April 2009)
★細川忠興及びガラシャ墓所★ 京都府京都市北区紫野大徳寺町73-1 臨濟宗大寺派本山大寺塔頭桐院境内
・細川忠興が生前愛好したというこの石燈籠を墓石としたという。
・鎌倉時代の作で、元元、千利休祕藏。
・「天下一」という稱をもつ燈籠であったが、豐臣秀吉と忠興の兩雄から請われたため、利休は故意に裏面の三分の一を欠き、壊れ物だと言い、秀吉の要望を退けたという。
・千利休切腹の際、利休は改めてこれを忠興に贈ったといわれる。
((コメント))
2009年4月24日
今宮社に行く途中大寺の中を通っていると、桐院が公開しているとあり、愛する明智光秀の三女細川ガラシャの墓があるとのことで、立ち寄ることとした。ちなみに、尊敬する石田三成の墓のある寺院は公開しておらず殘念な限りである。
(24th April 2009)
★細川忠興及びガラシャ墓所★ 京都府京都市北区紫野大徳寺町73-1 臨濟宗大寺派本山大寺塔頭桐院境内
・細川忠興が生前愛好したというこの石燈籠を墓石としたという。
・鎌倉時代の作で、元元、千利休祕藏。
・「天下一」という稱をもつ燈籠であったが、豐臣秀吉と忠興の兩雄から請われたため、利休は故意に裏面の三分の一を欠き、壊れ物だと言い、秀吉の要望を退けたという。
・千利休切腹の際、利休は改めてこれを忠興に贈ったといわれる。
((コメント))
2009年4月24日
今宮社に行く途中大寺の中を通っていると、桐院が公開しているとあり、愛する明智光秀の三女細川ガラシャの墓があるとのことで、立ち寄ることとした。ちなみに、尊敬する石田三成の墓のある寺院は公開しておらず殘念な限りである。