の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

大依羅社 / 大依羅神社

2013年12月11日 10時51分26秒 | 近畿(大阪、兵庫)
■舊表參道と正門■
(1st April 2009)



★大依羅社★ 大阪府大阪市住吉区庭井2-18-16

・延喜式内社、攝津國住吉郡、大依羅社四座、竝名大、月次相嘗新嘗。

・延喜式内社、摂津國住吉郡、草津大歳社、論社、合祀。

・延喜式内社、摂津國住吉郡、奴能太比賣社、合祀。

・舊社格は府社。

・祭は建豐波豆羅和氣王(開化天皇第四皇子)、底筒之男、中筒之男、上筒之男。草津大歳大、奴能太比賣大、建速須佐男大、奇稻田媛大、八柱御子大、大山咋大、素盞嗚尊を配祀。

・古來、依羅池のほとりに鎭座。依羅池はかつて十萬坪を越える大きな池で、河内と攝津にまたがっていたという。

・水田の守護として舊庭井村、安孫子村の氏であった。

・祭建豐波豆羅和氣王は道守臣、忍海部造、御名部連、稻忍海部、丹竹野別、依羅阿毘古の祖と傳わる。

・功紀攝政前記九月條で、九州に向かう軍勢と皇后への被護を約束した住吉三に對して「依網吾彥男垂見を以って祭の主とす」とあり、これを創祀と傳承する。

・延喜式等によると、住吉大社に次ぐ重い扱いを受けていたとされる。

・鎌倉期には藤原定家により「君が代は依羅の杜のとことはに松と杉とや千とせ榮えむ」と歌を殘されている。

・南北朝時代、依網氏滅亡とともに社運衰え、田や社地なども縮小され、住吉大社の援助の下にかろうじて祭祀を保ったという。

・社殿は、現在東向きであるが、元は南向きであった。


■北參道鳥居と門■
(1st April 2009)


・現在、こちらが正門とされているが、本來は裏參道。


■拜殿■
(1st April 2009)



■本殿■
(1st April 2009)



■龍井■
(1st April 2009)


・龍大を祀る。 
・「龍神井」と呼ばれる井戸の上に建つ。依羅池に住む龍蛇が美女に化身し、通りがかった農夫に池に沈む鐵(萬鍬)を取り除くよう懇願し、そのお礼に旱魃の際にこの井戸の水を汲んで前に供えて祈れば必ず雨を降らせようと約束したという傳承が殘る。實際に近年まで旱天の時、村人は集まってこの井戸を開き、社に七日籠もって祈雨したという。


■庭井の蹟■
(1st April 2009)


・二十世紀の終りまで殘っていたというが、今は埋まってしまい石碑を殘すのみ。水不足などの非常用として大切に扱われていたと傳えられる。


((コメント))

2009年4月1日

御堂筋線我孫子駅まで地下鐵で行き、そこから十分ほど步いたところにある延喜式内社大依羅社。ここも住吉三に所緣のある地であり、また浦嶼子にも所緣がある社であったりする。

 今は埋め立てられてしまっているが廣大な依羅池というものがここにはあったそうだが、今はその面影もない。そのことが、この社の力を失わせることになったのかもしれない。非常に寂しげな氣が漂う社地となっている。


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