回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

沖縄縦断&久米島へ・3日目

2015-08-07 23:17:57 | 一泊以上の旅行記

8月5日(水)

午前中は那覇の国際通りを冷やかす。

国際通りのブルーシールアイスクリーム店、そしてその横の駐車場が20年前に行ったときと変わらずにあるのにちょっとびっくり。

 

12:10分発のJTAで久米島へ。

飛行機で30分ほどで到着。

眼下に広がる海原とそこに浮かぶ小島の数々は慶良間諸島か。

本日の予定は「ゆったり」である。

 

小さなレンタカー屋さんで車を借り、まずお昼を食べる場所を探す。

ナビはあるけれど、なんだか同じところをグルグル回っているような気が・・。

小さい小さい何もない島である。

見つけたのは島では大きいお店「竜」、やっぱオリオンビールね☆

これはヒラヤーチー、沖縄風チジミみたいな感じ。シンプルで美味しい。

 

そのうちに見渡す限りのサトウキビ畑が見えてくる。遠くは海。

車を止めて畑の道を歩く。

ほんとうに海からの風がサトウキビの葉を揺らしてあの音を奏でる。

「ざわわざわわざわわ・・・」

わたしたちが歩くと無数のバッタが畑から飛び立つ。

心の中も静かにしたくて、歌を思い出すまいとしてもどうしても「ざわわ、ざわわ・・」が浮かんで自然に歌ってしまう。

誰もいない。

ひとしきりざわめきにうっとりしたあと、泡盛「久米仙」の酒造場へ。高台にある。

沖縄泡盛がタイ米から作られているのを初めて知った。

少しづつ試飲。年数がたったものはうーむ、すごい、とろ~~り。

久米島は何もない島と書いたが、最近は、すぐ西にあるハテの浜がスキューバダイビングの人たちに人気があるらしい。

コマーシャルにも何度か登場する白い砂州のようなところ。

船で15分ほどらしいが、日除けの場所もなにもなく一度行ったら帰りの船は3時間後ということで、もうすでにここまで日焼けしてこのうえ

さらに日焼けの上塗りは怖い。なのでバンタ(崖のようなところ)の展望台から見下ろす。素晴らしい眺め!

白い筋のように見えるのがハテの浜。

亀甲の形をした畳石。

今日はあまり観光はせず、のんびりしようという計画だったが、やはりいろいろ見たくなってしまうね(^^)

4時頃にホテル着。

さっそくプールでひと泳ぎ。久しぶりで泳いだ。実に爽快!!!

 

プールサイドで寝そべってけっきょく陽に焼け、海洋深層水を使ったお風呂に浸かる。

よくこのサトウキビの島にこれだけのホテルを建てたものだと感心。

夕陽が落ちるころ、ビーチサイドで軽く食事。気分は最高。

手前はトビイカといってこちらで獲れるらしい。

きびきびタッタと動き回るウエイターさんがサービスをしてくれる。

あまりにきちんと応対してくれるので感心していろいろ話を聞く。

福岡出身で、インドを放浪旅したあと、いろいろな世界を見たいと日本各地を回って修行しているらしい。

日本が終わったら世界に出ていきたいと、頼もしい好青年。

島の夜は時間はたっぷりある。

シーサーの色付け体験もしてみる。

波音もきこえないほどの静けさ。

 


沖縄縦断&久米島へ・2日目

2015-08-07 20:51:16 | 一泊以上の旅行記

8月4日(火)晴れ

水平線がややぼやけているけれど青空!

今日は予定が盛りだくさん。

ホテルのある本部半島の北西、今帰仁(なきじん)城を見学→喜如嘉の芭蕉布工房→沖縄最北端の辺戸岬→(南下して)海中道路を走って伊計島→豊見城のホテル。

今までの沖縄旅行は石垣、宮古、西表、など島へ行くことが多かったので今回は本島をよく見てみようという計画。

特に沖縄の歴史。

今帰仁城跡。

世界遺産になったらしいがあまり人はいない。

ここは沖縄海洋博のときに緑の山の中から発見された遺跡。

なんでもない自然の中にすごいものが埋もれているものである。

城(グスク)の城壁は万里の長城を彷彿とさせる大きさであり、本島にあるいくつかのグスクの中でも百曲がりの城壁は威風堂々、はるかに青い海を臨んでいる

無料ガイドのおじさん。

「子どもの頃はこうして遊んだよ」、とハイビスカスの花びらを摘んで表裏に開き、鼻の頭に乗せて「ニワトリのとさか」と見せてくれる。

同行の娘もやってみる(^^)

おじさんはわかるように話してくれるのだが、やっぱりウチナーグチ(沖縄の方言)が多く、それがかえってとても心地よかった。

今帰仁は戦時中は疎開地であったらしいが、やはり最後は攻撃の弾はここまで来たらしい。

この後、前回も行った喜如嘉の芭蕉布会館へ。

http://www.bashofu.jp/environment.html

風の良く通る石造りの作業場には何人かの女性がトントン、と機を織っている。

作業場は撮影禁止。

芭蕉布はこの地域に育つ芭蕉の茎から採り糸を繰り、草木で染め、干し、織り、こすり、気の遠くなる工程を経て仕上がる。

戦前は娘がお嫁に行くときは必ず芭蕉布で作った着物を持たせたらしい。

もはや原料の芭蕉も少なくなり糸を繰る人も減っているという話。

 外に出るとますます太陽は照りつけ芭蕉の葉がそよぐ。

近くの公民館からは「芭蕉布」の歌が聴こえる。

 さてここから最北端辺戸岬へ。

途中、道の駅「ゆいゆい国頭」でお昼。

娘が頼んだ「中身汁」・・豚のいろいろな内臓が入った塩味のスープ定食が妙味であったらしい。

道の駅から約一時間で辺戸岬。

ここに復帰記念碑があるのかと初めて知った。なんたる不勉強。

まさに。

沖縄の人々はニライカナイ(海の彼方にある楽園、そこからやってくる神)を古来から信じているのだ。

この空と海のまざりあう美しい青の世界、でもその向こうには本当に楽園があるのだろうか。

やってきたのは戦いや台風ばかりではなかったのか。

それでも島の人々は静かに海を見つめながら今日も暮らしている。

岬から南下の途中、ちょっと回り道して義本王の墓。

誰もいない。激しいほどの静寂の中。苔むした古代王の墓。

ちょっとしたパワースポットである。

この北部地域はヤンバルクイナの生息地。ときどき道路に出て来るらしい。

伊計島まではけっこう長くドライブ。

 

許田の道の駅を過ぎ沖縄北インターを降り街中を抜け、海中道路(殆ど引き潮で海の中を走っている感じではなかった)を走る。

途中、こんな注意書き。

ハブクラゲ・・・おそろしそう・・・、

ビーチに着き海水浴客とは反対の入り江に出るとここにもグスクが・・。

ヤドカリさんと遊んで本日の宿泊地、豊見城のホテルへ。7時過ぎでも充分明るいのが嬉しい。

 


沖縄縦断&久米島へ・1日目

2015-08-07 20:07:58 | 一泊以上の旅行記

8月3日(月)曇りのち晴れ

猛暑の東京を飛び出して沖縄へ3泊4日。

台風13号の影響が少々心配だが、晴れ女の腕のみせどころとなるか?

沖縄は4度目。暑ければ暑いほどあの青い海の色に誘われる。

今日はまず戦禍の沖縄が伝える場所、海軍旧海軍司令部壕→ひめゆりの塔→名護(泊)

那覇空港からレンタカーで豊見城小録の旧海軍司令部壕跡に到着。

空は青くなく灰色の雲がたれこめている。

車を降りて少し上ると赤いハイビスカスに混じって白いのも咲いている。

 

はるかに豊見城を見渡す小高い丘に建つ記念碑を見て資料館を経て地下に巡らされた壕に入る。

資料館や壕の中に作られた司令関係の部屋には当時の写真や司令官の電文も掲げられている。

自決した太田司令官の電文を口語訳したもの。

壕を出ると陽が射して青空が見え隠れしてきた。

もうもう1時近くになっていたので、真壁にある「ちなー」という古民家食堂へ向かう。

ここは明治20年代に建てられた沖縄の代表的な民家で改築はされているもののほとんど元の姿を残している。

壁や石垣には戦争の銃弾の跡も残っている。

http://okinawa-kominka.com/cms/various/228/

わたしが食べたのはソーミンチャンプルー、さっぱりして美味しかった☆

このあとさらに南下して糸満市の「ひめゆりの塔」へ。

現在はりっぱな記念館が建てられ、ビデオでは生き残った元高等師範の女性たちが当時を悲惨な様子を語っている。

日本各地からも修学旅行などで訪れる高校生もいるだろう。

風化させず忘れずに伝えていかないと。

 

すでに5時近く。それでも南国の太陽は燦々と輝いている。

高速道路で一気に名護にあるホテルへ。

初めて沖縄に来たのはもう35年ほど前。その時は首里城はまだ修復中であったし、モノレールもなくもちろん高速道路もなかった。

今も車からみると、クレーン車が多く開発の波が怒濤のように押し寄せているのを感じる。

さて、高速の伊芸のPAで休憩。

マンゴーのソフトクリームを食べたけれどあっ@!と云う間に溶ける溶ける~~@写真を撮る間もない。

6時過ぎてホテルに到着。

びっくりしたのはここにも中国、韓国からの観光客が多かったこと。

夕食はホテルから車で5分ほどの「たけちゃん」で。

島ラッキョウが美味しかった。