回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

東海道を歩く⑧吉原~蒲原~由比

2010-07-19 23:14:18 | 東海道五十三次

7月17日(土)晴れ

東京駅8時03分発「ひかり」に乗りこむ。自由席で座れたのはよいが、発車直前に「ひかり」は「新富士」に止まらないことに気づき、あわてふためいて発車ベルと同時に下車。

8時26分発「こだま」で出発。満員の盛況。

新富士から前回終わった富士見大通りまでタクシーを使う。(この区間は工場のど真ん中で旧東海道ではない)10:00。

369号線の一本北の通りが旧東海道なので、前回はやはりちょっと道を間違えていたようだ。朝からピーカンの晴れ!!

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間宿(あいのしゅく・・宿場同士の間にある小さな宿場))の本市場の一里塚を越え、しばらく歩くと富士川の手前右側に水神社がある。

奥深く緑の濃い神社に誘われるように入り込み、通りかかった工事のおじさんや、わたしたちと同じように吉原方面から歩いてきたご夫婦とおしゃべりしながら境内の石段に座り込み、作ってきたおにぎりを食べる。

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水神様近くの石碑には、ここが昔、富士川を渡る際の船乗り場であったと刻まれている。(富士川は徒歩渡りではなかった)

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富士川は昨日上流に降った雨のためか濁ってはいたが、幅広く雄大な流れに思わず歓声をあげる。橋からは頭を雲の上に出した富士山が望まれる。

ほぼ一か月前に原宿のあたりで眺めた富士はまだ冠雪していたのに、現在は黒々とした迫力ある容姿。富士山と知らなければ富士山には見えなかったかもしれない??

東京からみる富士山は殆ど秋から冬にかけての空が澄んだ時期だから、その頃は間違いなく冠雪しているわけなので、わたしはこんなにまっ黒けな富士山を見たのは初めてであった。

雪のない富士山はまさに生クリームをのせないウインナコーヒーのようである。

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↑富士川橋を渡る

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↑富士山と富士川の流れ。

さて橋を渡りきり、地図を見ると、道を左に取れ、と示されているのでその通りにしたら、途中で間違ったことに気づいたので、右の坂道を登ることにする。

間宿の岩淵一里塚を過ぎると学校の前に出るも、ここから標識が判然とせず直進するか、学校の前を左折するか多いに迷う。

直進は山の中へ入り込みそうなので、左の道を進む。どんどん下っていくと国道だか県道(たぶん396号線)だか大きな道路に出てしまい、これは旧東海道とは違うということが判明、来た道を今度は下った分だけどんどん登りまた先の学校の前まで戻ってしまった。

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この頃、すでにお昼近く。炎天下の坂道を往復して40分ほど時間をロスしてしまい、さすがのろくさんもへこたれ気味。通りすがりのおじさんに道を聞いても旧東海道がどこにあるかわからない。

こうなったら直感に頼るしかない!常夜灯の前の十字路を気合いで右で曲がる。わたしの直感はなかなか鋭いのであ~る。見事に街道らしき村落に入り東名高速の橋桁の下をくぐっり、再び東名の上の跨線橋を渡ったりして、ようやく富士市を抜けて静岡市に入る。空には写真のような雲が浮かび蒲原宿の街並みが坂の上から見えてきてほっと安堵。

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13:00。蒲原j宿到着。

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歌川広重のいわくつきの「雪の蒲原」で知られるこの宿は、今も往時の面影をとどめていてしっとりとした風情が漂う。安政大地震で陸地隆起陥没が起こり、もとはもっと海岸線を通っていた街道は現在の山側に移ったらしい。宿場は国道とJRと並行するようにある。

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↑「雪の蒲原」、宿場の入り口に掲げてある。

貴重な資料館となっている木屋(渡辺家)の土蔵で説明をきいたあと、お休み処で話好きのおばさんに家屋の保存の大変さや、この真夏に歩く人はとても稀であるということ、わたしたちが迷った道は殆どの旅人が同じように迷うこと、などたくさんの話を聞く。

14:00、国道沿いに出て昼食。ビール、ひつまぶしと地魚丼を食べる。(蕎麦もあったのにメニューから見逃したーー;)

14:50頃、再び宿場に戻り、志田家(江戸時代からある味噌、醤油などの商店)を見学。

志田家の表札はここから由比に至るまでの大きな家でかなり多く見受けられる。土地ではさぞかし名士だったのだろう。

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↑志田家の内部。天井下の梁の部分に提灯入れが並んでいる。

格子窓の内部についた蔀戸、中央の座敷にしつらえた小さい蓋付きの囲炉裏、箱階段、日本家屋ならではの知恵が詰まっている。現代の建築よりずっと省エネかもしれない。

蒲原を出て次の宿場「由比」(由井)を目指す。

由比までは約4キロ一時間の平坦で比較的楽な道。

漁の町が近づくにつれこんな看板のお店が目につく。

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↑イルカを売っているのだろうか??

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道の左側は海だが、JRやバイパスにさえぎられて海の「う」の字もみえないのは残念。

16:00由比宿に到着。

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本陣跡に建てられた立派な由比本陣公園。敷地内にある東海道広重美術館で「東海道五十三次漫画絵巻と合筆の東海道」なる特別展示を観る。

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↑公園内にある、本陣で使用した井戸の跡。由比家の御紋がおもしろい。

いうまでもなく由比町は由比正雪の出身地で生家は本陣の向いの紺屋(染物屋)である。

町の中は旧盆の祭り、あまり賑わっている様子もないが、家々から夕涼みをしようと出てきたおじさん、おばさんたちの姿が目につく。

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道をおりて小さな入江の港に出てみると桜エビ漁の舟がたくさん繋留されていた。

本陣公園から約2キロほどでJRの由比駅に到着。駅前にはこんな送迎看板が!!

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予約した宿は駅のすぐそばの見晴旅館という小さな民宿のような旅館。

おかみさんの応対が丁寧、内部も清潔でたいへん感じがよい。宿に入ったのは17:00少し過ぎ。

夕食が桜エビのオンパレードであったことはいうまでもない

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本日の歩行距離、約14㎞。夏場としてはちょうどよい距離だが、迷い道が多く実際は16㎞くらい。明日はちょいと強行スケジュールで府中を目指す。


1 コメント

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こんにちわ? (東海道の風雲児)
2010-10-31 16:46:36
俺もこの辺は、行ったことがあるので、懐かしく感じますね。
吉原宿では、かつての旅籠、鯛屋旅館に泊まりました。山岡 鉄舟の木板の自筆なんかも飾ってありましたし。

蒲原宿では、鮨屋で駿河紅白丼を食しました。桜海老が赤、シラスが白に見立ててあって。「夜の雪」の石碑がありますけど、実際に4月に雪は降っていないとか。

由比宿の正雪紺屋では、記念に手拭いを買っていきました。

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