5月3日(火) 薄曇り。
8時10分宿を出発。
赤坂の外れの一里塚に近づいたら、あとから出発した自転車青年に「あっ」という間に追い抜かされた。
「道中気をつけて~!」とお互いに声をかけあう。(しかし早いなあ、自転車は・・)
このあたりは瓦製造の土地なのか、崩れ落ちそうな古いお寺の屋根や、大きい家には素人目にみても素晴らしい細工がしてある。子供が学校で作ったのだろうか?軒下にもこんな可愛い瓦がずらりと並べられていた。
国道に出る前の街道の脇は小さい川が流れていて、清々しく気持ちがよい。
関屋から国道1号に合流すると、名鉄の赤い電車がみえる。線路の向こうは東名高速だから東海の3線が同時に並行してこのあたりを走っていることになる。ずっと名古屋までこの名鉄の路線は左右に添ってくれるので、赤い電車(ときどき赤くないのもあるけれど)が見えたらまず道は間違っていない。
やがて左側の田圃の中に山中八幡宮の赤い鳥居が見えたので寄ってみる。家康が隠れた洞窟がここにあるらしい。もう一度、国道①に戻りなおも歩くと、新しい冠木門が見え、それを折れると本宿(もとじゅく)に入る。
本宿は東海道の宿ではないが、家康が幼少の頃修行したと謂われる有名な法蔵寺があり、新撰組近藤勇の首塚もある。東京板橋で処刑された近藤の胴体は三鷹方面に、首は京都を経てこの本宿にやってきたらしい。昔の人は首と銅を切り離されてあちこちに葬られてなかなか大変そうだ。
9時半。近藤さんの顔を見ながら石段に腰をおろして一服。
次の宿場、藤川までの道でみかけた「名古屋牛乳」の看板。なんだか嬉しい☆
藤川は広重の「藤川 棒鼻の図」でも知られている。棒鼻とは宿場の入り口を指すらしいが、もともとは棒の先のことで、わたしがどこかで聞いた話では、行列の籠の担ぎ棒が、城下町の枡形、曲手(容易に外からの者または敵が宿場に勝手に入る事ができないようにわざと鍵型に曲げて作られた道)の道に入るために担ぎ棒を後ろに引いたり脇道に押したりする際の動き、と記憶している。
宿場のすぐ右側には名鉄が走り、藤川駅もすぐそば。古い家屋も軒を並べしっとりとおちついた宿場町である。
脇本陣跡に造られた資料館に入ってみたら、畳10畳ほどの小さな古めかしい館内。真っ暗で、訪問客は自分で電気をつけジオラマを見たり説明アナウンスを聞いたりするのだが、これはこれで節電効果もありなかなか展示物もおもしろかった。
ここから美合の町を通り、乙川に架かる大平橋を渡ると、郵便局を右折したところに白壁の立派な大岡越前守の陣屋がある。大岡越前守は江戸常住だったが、ここが領地であったらしい。
しかし、どこに行ってもどうしてこう人がいないのだろうか?不思議で仕方がない。
まもなく岡崎の宿。云わずと知れた家康の居城、岡崎城のある宿場町である。
城下を囲むように二十七曲がりと呼ばれる曲がり角があり、標識に沿って行けば街めぐりとしてはおもしろいのだが、昔と違って道はどんどん新しく作られている。今の時代は27個も曲がって遠回りするのは無意味ではあ~る、と勝手に理屈をつけて、お腹もすいたしどこかでお蕎麦でも食べようと云う事になるが、連休のおかげでお店は殆ど休み。一軒だけ開いていた小洒落たイタリアレストランに入る。
13時50分。昼食。
旅の楽しみは「食」にもあるが、同時に早く食べられる!ということが不可欠である。蕎麦、寿司はその点、理にかなっているのだ。だがイタリアンは比較的時間がかかる。混んだ店で多少いらつきながら、チーズたっぷりのピザとコーヒーを待つ。時間はかかったがけっこう美味しい☆
思えば昨日から、豆腐、味噌、イモ類、と植物性食品ばかり摂取していたので、久しぶりの動物性食品であるチーズはしっかりお腹に落ち着いて、これからの歩行の原動力になった。
実はこのあたりまで、今日はどこまでの旅程にしようかとまだ決めかねていた。ここ岡崎では近すぎるし、知立までは遠すぎる、という少し中途半端な距離だったので。
しかし、ピザを食べて元気がモリモリと出てきて、知立まで行ってしまうぞ~、と心が決まったのであった。
さて、店を出て二十七曲がりは途中ですっ飛ばし、岡崎城も通り過ぎ、八丁味噌蔵通りを歩く。
ここは、NHK朝のテレビドラマ「純情きらり」(宮崎あおい主演)のロケの舞台になった場所。たしか相手役の福士誠治が味噌問屋の跡取り息子役だった。
白壁、黒壁の味噌蔵が続く街並みは圧巻。
味噌蔵通りから坂を上るとすぐに矢作川の矢作橋になる。渡ると国道①に沿って宇頭茶屋の町。
途中「歩いて東海道ですか?」と犬を連れた妙齢のご夫婦に聞かれる。こちらと同じくらいの年齢かもしれないが感じのよい御夫婦だった。
まもなく「安城」の文字が見え始める。岡崎、安城、刈谷、といえば家康伝記の中に何度も出てくる地名で初めて訪れるのに、古くからの馴染みがあるような気がする。
さて、行く手にマックの赤い看板。これは懐かしい。
決してマックの食べ物が大好きではないが、今や国際的なこの商標をみると、ほっと安心してしまうのが不思議である。折しも安城の松並木が始まる場所に立地しているのが、時代のギャップを感じさせておもしろい。トイレ休憩を兼ねてふたりで一杯のアイスコーヒーを飲む。
今にも雨が降り出しそうな気配の空の下、道は明治用水所縁の神社にさしかかる。この用水は知立までずっと続いていて土地の人の生活を潤していたらしい。これについてはまた後日調べてみたい。
安城の松並木はさらに続き、今まで旧東海道を歩いて来て、なぜか松並木は必ず大きな工場の前にあり、住宅地では残されていないという事実を改めて確認する。
いよいよ雨が強く降り出した。もう宿泊地、知立までは数キロの位置。傘を片手に、よくこんなに早く歩けるものだと我ながら感心しながらひたすら、足を速める。あまりの速さにろくさんもびっくりしたそうだ。
雨で撮影できなかったが、知立の松並木は巨木が多く、なかなか素晴らしかった。
国道①に再び出てようやく知立宿に到着。
つい2時間ほど前に予約したビジネスホテルは知立駅前なので、ここからさらに一キロ。(はっきり言ってこの一キロが一番こたえた)
18時ホテル着。
ホテルのおばさんが、チェックインしたとたんにデコポンを一個、「美味しいから食べてね」と渡してくれたことにちょっときょとんとしたが、嬉しかった。夕食は駅近くの居酒屋。
太ももが張ってはいるが、薄曇りという恵まれた天候のおかげもあり、今日はけっこう元気に歩けた。
本日の歩行距離、約30㎞。京都まで約162キロメートル。
しかし・・・30キロも歩いちゃうなんて、凄いですね。
懐かしいなあ。用水は明治用水かな。
知立までくれば名古屋まであとちょっと。
桑名まではどうやって行くのかな?
熱田神宮からは渡し舟は出てないよ。
靴も前回からぴったりのを履いてるしね[E:scissors]。
ウチも歩くのが共通の趣味だったというわけでないんだけど、歩いてるうちにふたりともやめられなくなっちゃったみたい(^;^)
子供がいる間は共通の趣味はいらないかもよ。
今度行ったら蓬莱軒のひつまぶしと、喫茶店の名古屋式モーニングを食べて、名鉄に乗りたいです[E:train]
桑名まで現代版の遊覧船が出ていないか探してみますね。なかったら電車かな。
>熱田神宮からは渡し舟は出てないよ。
熱田神宮から宮の渡しまで渡しが出てれば楽だったのにね[E:ship]
熱田神宮は、タクシーに中からウオッチング、よく喋るタクシーの運ちゃんが観光ガイドのようによく説明してくれました。
お城好きなので、岡崎城はゆっくり見学。
二十七曲がりは私もすっ飛ばしました。
蓬莱軒のひつまぶしは、いつか行きたいです。
渡し船も年に何回か、イベント的に就航するみたいだから、いつか乗りたい。
あ~~ひとつひとつほんとに懐かしいです。
それにしても、30キロなんてすごいです。
私はせいぜい20キロ余り。
東名高速、国道①からちょっと入るとあんなに違う世界が残っているなんて不思議な感じでした。
>渡し船も年に何回か、イベント的に就航するみたいだから、いつか乗りたい。
そういうのに上手く当たるといいなあ。
歩くと20キロ以上の遠回りだものね。
この30キロはおかしなくらい楽でした。
行ける時は行けるところまで行ってしまおうという行き当たりばったりな旅です(^^)
>まもなく「安城」の文字が見え始める。
かつては「安祥」って書いたんですよ。
多分、黄色の建物の横綱ラーメンの裏側の道を通られて池鯉鮒宿に向かわれたんでしょうね。
>桑名まで現代版の遊覧船が出ていない>か探してみますね。なかったら電車か
>な。
たまに東海道を散策する旅番組が放送されます。その時には当時の雰囲気を醸し出す意味もあってか、臨時で?船旅をしていましたよ。
俺がもうちょっと早く、このBlogにコメントしていれば…。残念ですね…。
>黄色の建物の横綱ラーメンの裏側の道を通られて池鯉鮒宿に向かわれたんでしょうね
う~ん、雨が降り始めてきてさっさと歩いていたので見逃したかも~。
「みかわあんじょう」という言葉の響きがけっこう気に入って、もし、この日に知立まで行き着けなかったら安城で泊まる予定でした。
>たまに東海道を散策する旅番組が放送されます。その時には当時の雰囲気を醸し出す意味もあってか、臨時で?船旅をしていましたよ。
どこかのサイトに手漕ぎボートのような舟で桑名まで渡ったという記事がありました。
シーズンによるかもしれませんね。
>いていたので見逃したかも~。
多分、国道1号線、安城市東部の柿崎の交差点から裏道を通って池鯉鮒宿へ向かわれたと思います。明治用水を見られたということは松並木を通られたはずですけどね。
>「みかわあんじょう」という言葉の響きが>けっこう気に入って、もし、この日に
>知立まで行き着けなかったら安城で泊
>まる予定でした。
三河安城かぁ。あそこは昭和末期、国鉄⇒JRに民営化された際に東海道本線と東海道新幹線が交差するからという理由でできた駅です。JRと新幹線の駅は少し離れていて長い通路で結ばれています。
名古屋⇔豊橋間で他にも候補地はあったんですが、刈谷市内にトヨタ系の工場が多いとかいろいろな理由で、この駅になりました。こだましか停まらないので利用することは滅多にないです。
ところで市電の乗り心地はどうでした?
都電と同じような感じかな?
偶然、発見した山中八幡宮…。そういう思わぬ史跡に遭遇っていうのもありかもしれませんね。
明治用水も偶然に行き当たったと云う感じです。はじめにあまり予備知識を入れてしまうと面白くないので、見つけた史跡や建造物は跡からガイドブックで検証するのがわたしたちの旅でもあるのです。
吉田(豊橋)の市電には残念ながら乗りませんでした。車体の模様がうろいろで見ているだけでも楽しかったです。