11月1日(日) 晴れ
なんと今日から11月だ。
ひと品ひと品、おじさんの丁寧な説明を受けながら美味しい朝ご飯をいただき7時30分に宿を出発。

奥さんと二人だけで民宿を営んでいるおじさんは忙しいにもかかわらず、十二兼の駅まで車で送ってくれる。
↓ 外に出してあった車は霜で凍ってドアが開かず、もう一台の立派な車を車庫から出してくれました。

車を降りて歩き始めたのが7時40分ごろ。
本日は馬籠峠を越えて馬籠までおりる予定。
三留野まではずっと国道をたどるのだが、朝なので殆ど車は通らず、朝日を浴びて山の斜面が明るくなってゆく様を見ながら歩くのは楽しい。
与川道に入るあたりは山が左右前後から迫ってくる。
島崎藤村の「夜明け前」の書き出し「木曽路はすべて山の中である・・」はこの場所を設定している。
「木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。・・・」
今でこそ旧道に乗っかって国道が開通し、通行が便利になったが、当時は木曽路最大の難所と呼ばれ、迂回路として
山道を回る与川道ができたそうだ。

川沿いを4㎞ほど歩いて行くと標識が示してくれているのでそれに従い、左の旧道に入る。

上ってゆくとすぐに三留野の宿。静かな宿場のたたずまい。
三留野は三殿とも表記したらしい。地名表記は時系列的にいろいろ変化していて面白い。


小高い丘の上を回り込むように三留野を歩き抜け、

右下を見おろすと南木曽の駅である。
駅構内横の広場には木材が山と積まれている。柿其のおじさんも嘆いていたが、現在では木の需要が少なくなって村の生活は苦しく、
最近進出してきた車会社や精密機械会社に就職するものが多くなったとのこと。
その結果林業に携わる人がますます少なくなるという、古来この木曽に受け継がれてきた木と密接につながる生活が危惧されているらしい。
それでも、この木材の数のなんと豊富なことか。

街道からはそれるが、トイレ休憩も兼ねて、南木曽の駅に降りてみた。立派な新しい駅でちゃんと切符売り場も改札口もある。

このあたりから、妻籠方面から降りてくる旅行客がかなり多くなる。
驚くべきは、奈良井、木曽福島、妻籠、馬籠の各宿場での外人客の多いこと!
中国人や韓国人ももちろん、欧米からの人もかなりの数である。
なんだか東京の浅草や銀座のような国際的な賑わい@@!
わたしたちのたどっているのは妻籠側から馬籠に行く登り道だが、反対方向の馬籠から妻籠は楽な峠の下りになるので、途中に車を置いてこの馬籠~妻籠~南木曽だけをハイキングしている観光客が多いのだそうだ。
南木曽を越すとしばらく鉄道や木曽川と離ればなれになる。
宿場や駅からちょっと外れると、全然人のいないふつうの?旧道が続いている。
今日はお祭りがあるらしく、山道では土地の人が大勢集まっていろいろ作業していた。

しばらく行くとこのようなノボリ。なにか、こういうのをみるとワクワクしてくるわたし。
街道を歩いている時のお楽しみのひとつだ。

運営している村のおじさんが、裏の兜観音を拝んでいってくださいとおっしゃる。

しっかり拝んで長閑な道を歩く。爽やかで気持ちのいい秋の日の午後だ。
途中の道端に良寛さんの句。


まもなく右に妻籠城跡の標識あり。往復20分くらいなので上ってみる。
だいたい山城はけっこう高いところにある。
ヒーハーヒーハー;;といいながら登る。城主が誰であったかは定かではない。
上りつめると城址は草生した200坪くらいの広場。眼下に見えるのは妻籠の宿だ。

城址から軽いスキップするように坂を下る。
妻籠に着く。
直ぐに高札場があり本陣。中に入って見学。

ここで一気に観光客が増える。
8年前に来たときよりはるかに人が多い@@!
しかし、よくこれだけの街並みを保存したものである。他の宿場もみんなこのように保存されていれば、どんなにか素晴らしいだろうと思うが、
実際に住んでいる住人の方々はかなり苦労が多いらしい。

そろそろ12時近くになっていたので名物の五平餅を茶店でいただく。
木曽の五平餅はお団子みたいに丸く、甘辛いごまみそ味が美味しい。

妻籠から馬籠への峠道は下る人々でラッシュ状態。
こんにちは、こんにちは、とすれ違うたびに挨拶してくれるが、あまりに多いとずっと挨拶していなければならない。
ついでのことに、わたしは山(だけ)でする「こんにちは」の挨拶は好きではない。
街道を歩いていると、そこに住む人たちはほとんど全員と云っていいくらいすれ違ったり出会ったりする際に
「おはようございます」とか「こんにちは」とか「ご苦労さんです」とか挨拶してくれて、それにはわたしも嬉しくて挨拶返すのだけど、
山で苦しくて喘ぎ喘ぎ上ったり下りたりしているときに、何が楽しくて観光客(or登山客)同志が声出して挨拶しなくちゃいけないのかわからん。
ま。それはいいとして、そんなこんなで侘びた苫屋に花が飾ってあったり、

ワンちゃんがシッポ振ってくれたり、

男滝女滝を眺めつつ

ところどころ美しく紅葉している木々の間を通り

熊よけの鐘を鳴らしながら

やがて白木改番所跡に着く。・・これは「夜明け前」にもたびたび登場する。このあたりの山々から勝手に木を伐採して持ち出すのを取り締まる番所。

さて、立て場茶屋である。
時代がかった建物の中は暗いが、めっぽう明るいおじ(い)さんが盛んに外人相手に
妻籠までワンナワー、ウエアアーユーフロム?と連呼している。
なぜかわたしたちは、茶屋の手伝い人となり急須や湯飲みを運んだり、通訳したり・・。

この飄々としてお笑い講談師のようなおじさんと出会ったことで峠越えはいっそう愉快な楽しい思い出となった(^0^0^)
おじさんありがとう!!

おじさんにあと一時間くらいで馬籠だから気を付けていきなせえ、と励まされてがんばって歩き着いた!!
馬籠峠の頂上☆☆

頂上を越えるともう岐阜県である。
国道を何度も横切りやがて山道から出ると周りは広々として視界が開ける。

途中に十返舎一句の碑がありちょうどお休み処となっている。

農家の玄関先で売っていた干しイモを食べながら歩く。

馬籠宿を見下ろす展望台に着くと正面に恵那山がくっきり!。感動ですな。


一気に坂を下りながら、まったく木曽のすべての宿は峠と山道のはざまに張り付くように点在していると今さら思う。
これは車で来たのではわからない。
馬籠宿に着いたのは15時30分。
馬籠は坂道の宿場、島崎藤村でもっている。

「夜明け前」の舞台を静かに訪ねようとしたが、とにかく人が多い。お土産屋さんも多い。五平餅をあちこちで焼く匂いも強烈に鼻を突く。

記念館を観たり、街の中を回ったりして本日の宿に入る。
ここでの宿は、各部屋に仕切りがなければ昔の木賃宿風である。
食べきれないほどの夕食。忙しいのだろうけど殆ど姿を現さない店主。
ちょっとビジネスライクすぎるかな。観光地だからかもね。
前日の柿其の宿があまりに丁寧に(カメムシはいたけれど^)客への応対をしてくれて、料理も心づくしだったのでよけいにそう感じるのかもしれない。
宿泊費はこちら8000円、あちらは10000円なり。
それでも宿場の夜はなんとも風情があってよろしゅうございました。

本日の歩行距離:約19㎞
京都まであと約195㎞。・・・ん??200キロを切った?計算違い?