goo blog サービス終了のお知らせ 

回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く☆番外編☆大井(恵那~岩村~根ノ上)

2016-01-03 17:50:57 | 中仙道(中山道)

2015年最後の街道歩きでした。

今回はわたしたち夫婦の他に娘と岐阜在住のいっちゃんが同行。

一日目は中仙道からは少し外れますが、山合いにひっそりとそれぞれを生き方をしっかり持って暮らす素晴らしい方々との出会いがありました。

おまけに今回の2泊3日すべて穏やかな晴天。歩いていてこの冬の晴天ほどありがたいものはありません。

2015年12月27日(日) 晴れ時々曇り

東京発9時30分ののぞみで名古屋に到着。

名古屋中央線のホームでいっちゃんと合流。久しぶりの再会でしたがちょっと大柄になられたほかは何年か前と変わりなし(^^)

恵那の駅に12時頃に到着。

JR駅と接続しているホームに明知鉄道の乗り場があります電車が止まっているので急いで切符を買って乗り込む。

なんとこの車両は『自然薯号』といって一日に一本発着のお弁当と日本酒付きの特別列車。

もちろん予約制なのでわたしたちは普通席の最前車両に乗ります。

いくつかの小さな駅を通過し約30分ほどで岩村駅に到着。

ここも小さな素朴な駅ですが、あるいて行くと岩村城址までみごとに長く続く城下町。

今は古い町を再興して観光地化を図っているようです。暮れなので天神様も大掃除。

目指していたお昼ご飯処も餅つきや大掃除で休業。

ようやくうどん屋さん「みつば」でお昼。

わたしは「ころうどん」を注文、「ころうどん」とは冷たいうどんの事だそうです。

日本酒も少しひっかけていい気持ちになって城址へゴー!

復元された太鼓櫓を過ぎ登ってゆく。

山城にしては割合道幅が広く歩きやすい。見えてきたのはまるで沖縄のグスクのような見事な石垣。

信長の叔母であるお艶の方が実質的な城主だったらしい。このあたりの地酒「女城主」はそこからきているのか。

その後、森蘭丸も城主になっていた。

 

つわどもが夢の跡、を見た帰りは車道をどんどん下って岩村に住まわれる川渕ご夫婦が開いている「志とり工房」へ。

午後4時頃。

歩いていると、本日宿泊予定の根ノ上「あかまんまロッジ」のご主人が車で迎えに来てくださったところに出会う。

ご高齢なのでお会いする出来ないかもと、少し懸念もありましたが、ひっそりと山里にあるその工房を見学することができました。

すべていっちゃんの采配のおかげです。感謝☆

実際に織って見せて下さる川渕翁。奥様は染色を主にしていらっしゃいます。

地ばた織りも見せていただきました。糸や布が好きな娘も興味深々。

いつまでも車に向かって、見送ってくださる姿を後に車は根ノ上高原を目指して登って行きます。

岩村名物、寒天の干してある風景。

あかまんまロッジについた頃はもう陽がとっぷり暮れ、夕食の用意がされていました。

アジアの織物がお好きで、たくさんの旅のお話を楽しく聞かせて下さるロッジの奥様には大いに刺激を受けました。

お料理ももちろん、地産の手作りのものばかり。

外は深々と冷たい山の上。でも心の芯からあたたかくなって喋りは尽きず就寝は夜中の12時近くでした。

鹿の肉の佃煮、ゆべしのチーズはさみなどなど・・美味しかった。

 

 


中仙道を歩く⑲馬籠~落合~中津川~大井

2015-11-05 08:53:47 | 中仙道(中山道)

11月2日(月) 雨

屋根を打つ雨の音。今までの峠越えの雨と違ってやや風も混じって強い降り。

昨日着いたときの賑わいは嘘のように人の姿はなく、坂の宿場は石畳に雨の音だけがする。

恵那山方面の山々は、中腹に白い雨霧がたなびき、うすく水ににじむ墨絵のようである。

8時に宿を出発。

馬籠峠を越えたのであとは中津川に向かってずっと下るのみ。

宿場を抜けると広々とした田畑が続き、鬱蒼とした山道の中に新茶屋の古いたたずまい。

中に何人が泊り客がいる模様。

ここにこんな宿があるとは知らなかった。静かでよさそうである。

そしてその宿の前には

「是より北 木曽路」の石碑が立つ。

京都方面から歩いてくる人々はここで、旅支度を整え直したのだろう。

贄川の手前で「是より南 木曽路」の碑を見たときと同じ感慨が胸に迫る。

二十二里、約88㎞という長い木曽路の旅はここで終わる。

ここからは美濃路に入る。

入ったと思うとすぐさま十曲峠、江戸時代のままの石畳が残る落合の石畳に入り込む。

昔日のまま残されている石畳は東海道箱根とこの落合しかないそうだ。

こんな注意書き!があり、石畳はちょうどこの正面からはじまる。

 

 

長い!石畳だけで3㎞ちかくあるのだろうか、これはなかなかに圧巻。

わたしたちは下りだからまだ楽だが、上ってくる方はかなり大変だろう。

しかし、滑るのに注意しさえすれば、雨のときの石畳は歩きやすい。靴の中に水がたまらずに済むのだ。

小説「夜明け前」のなかでは馬籠と中津川の往復にたびたびこの十曲峠が登場する。

 

ようやく出た。

落合の街がみえてきた。

落合橋を渡り終えて馬籠方面を振り返る。

橋を渡るとすぐに落合の宿。

本陣跡。

ここを抜け、国道を何度か横切ってゆく。

国道を歩けばかなり時短になるが、旧道は山里にぐるぐると廻り込んでいる。

小さな坂を上り下り、国道をまたぐおかじん橋を渡り

足元をみると中津川市のマンホール。

靴の中は雨でぐしょぐしょであーる。

この靴、東海道歩きの袋井あたりから履いてるけど、かなり艱難辛苦を共にしてきているなあ。

 

神明神社の案内板を左に見て下ってゆくと、しっかりした休憩所があるので休憩。

がんばってるわたし(^0^)休憩所の鏡で遊んでみた。

 中津川までは比較的平坦な道。国道を横断する地下道の壁には山頭火のこんな句が。

なかなかいいなあ。

道祖神があったり。

白木改め番所がここにもあったり

国道に出くわすとこんな標識。遠くまで来たものだ。

このあたりからちょっと見過ごしてしまいがちな回り込んでいる階段を下りると

移転した高札場。もう中津川の宿だ。

どんどん賑やかになって大きな交差点の右には中津川の駅が見える。

 

駅を右に見て信号を直進して商店街に入ってゆく。

11時10分前。お昼ごろになるかと計算していたが、早くも着いてしまった@!

雨は小やみになってきてとても歩きやすい気温である。

商店街の中ほどにこんな案内板。

中津川は商人の街として、文化の発信地としておおいに賑わいのあった宿場。

実際、ここに来るまでこれほど豊かな街並みが見られるとは思わなかった。

道の右側に立派な構えの和菓子屋さん。

美味しそうな予感がぷんぷんします。こういう時、だいたいわたしの予感は当たる。

入ると若いお姉さんがやんわりと、そしてきちんとした応対。

一個買いができるというので、名物の栗きんとんと11月になると売り出されるというの柿の美きんとん、を一つづつ買いろくさんと半分コして食べる。

これがまあ!!!!!!!!美味しいのなんのって!特に柿の美きんとんは東京に帰ったら絶対に取り寄せようと思ったくらいだ。

食べ終わるまで気づかなかったが、ここはたいへんに有名な和菓子屋さんであるらしい。

右が栗きんとん、左が柿の美きんとん。干し柿の中に栗きんとんが入ってるのよ~~~~♪♪♪それが甘すぎずしつこくなく実に実に自然の風味!

ここに和菓子の真髄をみました。

非常に満ち足りた気持ちで店を出る。

実は今日は、この中津川まで歩いて帰宅の予定であった。

が、10㎞くらいしか歩いていないので全く疲れていないのと時間が早すぎるので、もう一つ先の宿場、大井まで歩くこととする。

ここから大井までは約9.8㎞。

大井の宿の恵那駅からは名古屋への快速が30分に一本でているのでそんなに遅くならずに東京に帰れそうでもある。

休憩所の前のワンちゃん。ちょっと控えめな子だった(^^)

中津川の正しく枡形の道をカクッカクッと歩く。その名も「恵那山」の酒蔵。

 

 

宿場を抜けると雨が止んできた。左側には恵那山が常にある。

いくつかの間の宿を通り

中央線の踏切。ん~、鉄道と久しぶりの再会❤

この踏切は中仙道踏切とは書いていない。なぜだろう。

とにかくこの線路にいったん近づきまた離れ、六地蔵の前を通り過ぎ、旧道と新道との分かれ道を左に入る。

田畑の中をずんずん歩いてゆくと

右に坂本立て場跡、尾州白木改め番所跡、もう茄子川の地である。

そろそろ1時になる。お腹もすいてきた。通行人のきわめて少ない街道。

大井まではたぶん食べる所はないだろう、と歩いていると

じゃん♪

珍しく、非常に珍しく!こんな軽食喫茶が、しかも営業中(^0^)V

さっそく入ると、土地のおばさん方(お姉さん方?)のたまり場らしく4,5人の女性が楽しそうにワイワイ井戸端会議をしていた。

こういう話を聞くのは大好きである。

さて、カレーを注文(食べるものはカレーしかないようだ)

これが美味しいのなんのって!ひとり500円だし!

そして、お金を払って外に出ると、お店の中にいたおばちゃんのご亭主なのか「これ一つ食べてみてよ」(ほんとはこちらの方言だったがよく聞き取れなかった)

と梅干のたくさん入った袋あけて指さしている。

わあ、嬉しい、いただきます~!とひとつ取り出すと、たくさん紫蘇の葉のからまった真っ赤な梅干し。

もちろん自分のおうちで漬けたとのこと。酸っぱくてカリカリで美味しい!!タネも取ってあるから食べやすい!

「これ食べて頑張って歩いて!」とおばさんも励ましてくれた。

 

梅干も人情もたっぷりいただいてもう百人力!!

大井までのあと4㎞をけっこうな速度で歩く。

田畑の道の真ん中に恵那市の標識。

 

そして、右に雨霧の中から山頂を表した美しい山。笠置山というらしい。(Bさん検証)

広久手坂を越し、甚平坂を登りきると、晴れていればどんなに素晴らしいことかと想像に難くない大いなる山々の眺め。(残念ながらこのあたりカメラが不調で画像なし;;)

登った坂は必ず下る。

どんどん降りていきますとようやく大井の宿に到着!また少し雨が降ってきた。

大井の宿も落ち着いたたたずまい。染め暖簾で町興しを図っているらしく宿場の家々の前にはさまざまな暖簾がかかっている。

そんな暖簾の街のイベントが行われていた。

次回はここからの出発となる。

美濃路もまた佳きかな。

宿場から中心地の恵那駅まで歩いて14時31分の中央線快速にぎりぎり間に合う。

名古屋までは約1時間ちょい、席は空いていてちょうどよいおやすみタイム。首カックンとなるまで寝た。

名古屋で新幹線に乗り換え、東京駅着は17時半時頃。いやはや新幹線ってなんて早いんでしょ~@

本日の歩行距離:約20km。

京都まであと約185㎞。

 


中仙道を歩く⑱(十二兼)~三留野~妻籠~(馬籠峠)~馬籠

2015-11-04 12:52:46 | 中仙道(中山道)

11月1日(日) 晴れ

なんと今日から11月だ。

ひと品ひと品、おじさんの丁寧な説明を受けながら美味しい朝ご飯をいただき7時30分に宿を出発。

奥さんと二人だけで民宿を営んでいるおじさんは忙しいにもかかわらず、十二兼の駅まで車で送ってくれる。

↓ 外に出してあった車は霜で凍ってドアが開かず、もう一台の立派な車を車庫から出してくれました。

車を降りて歩き始めたのが7時40分ごろ。

本日は馬籠峠を越えて馬籠までおりる予定。

三留野まではずっと国道をたどるのだが、朝なので殆ど車は通らず、朝日を浴びて山の斜面が明るくなってゆく様を見ながら歩くのは楽しい。

与川道に入るあたりは山が左右前後から迫ってくる。

島崎藤村の「夜明け前」の書き出し「木曽路はすべて山の中である・・」はこの場所を設定している。

 

「木曽路はすべて山の中である。

あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、

あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。

一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。・・・」

今でこそ旧道に乗っかって国道が開通し、通行が便利になったが当時は木曽路最大の難所と呼ばれ、迂回路として

山道を回る与川道ができたそうだ。

 

川沿いを4㎞ほど歩いて行くと標識が示してくれているのでそれに従い、左の旧道に入る。

上ってゆくとすぐに三留野の宿。静かな宿場のたたずまい。

三留野は三殿とも表記したらしい。地名表記は時系列的にいろいろ変化していて面白い。

小高い丘の上を回り込むように三留野を歩き抜け、

右下を見おろすと南木曽の駅である。

駅構内横の広場には木材が山と積まれている。柿其のおじさんも嘆いていたが、現在では木の需要が少なくなって村の生活は苦しく、

最近進出してきた車会社や精密機械会社に就職するものが多くなったとのこと。

その結果林業に携わる人がますます少なくなるという、古来この木曽に受け継がれてきた木と密接につながる生活が危惧されているらしい。

それでも、この木材の数のなんと豊富なことか。

街道からはそれるがトイレ休憩も兼ねて、南木曽の駅に降りてみた。立派な新しい駅でちゃんと切符売り場も改札口もある。

このあたりから、妻籠方面から降りてくる旅行客がかなり多くなる。

驚くべきは、奈良井、木曽福島、妻籠、馬籠の各宿場での外人客の多いこと!

中国人や韓国人ももちろん、欧米からの人もかなりの数である。

なんだか東京の浅草や銀座のような国際的な賑わい@@!

わたしたちのたどっているのは妻籠側から馬籠に行く登り道だが、反対方向の馬籠から妻籠は楽な峠の下りになるので、途中に車を置いてこの馬籠~妻籠~南木曽だけをハイキングしている観光客が多いのだそうだ。

南木曽を越すとしばらく鉄道や木曽川と離ればなれになる。

宿場や駅からちょっと外れると、全然人のいないふつうの?旧道が続いている。

今日はお祭りがあるらしく、山道では土地の人が大勢集まっていろいろ作業していた。

しばらく行くとこのようなノボリ。なにか、こういうのをみるとワクワクしてくるわたし。

街道を歩いている時のお楽しみのひとつだ。

運営している村のおじさんが、裏の兜観音を拝んでいってくださいとおっしゃる。

しっかり拝んで長閑な道を歩く。爽やかで気持ちのいい秋の日の午後だ。

途中の道端に良寛さんの句。

 

まもなく右に妻籠城跡の標識あり。往復20分くらいなので上ってみる。

だいたい山城はけっこう高いところにある。

ヒーハーヒーハー;;といいながら登る。城主が誰であったかは定かではない。

 

上りつめると城址は草生した200坪くらいの広場。眼下に見えるのは妻籠の宿だ。

城址から軽いスキップするように坂を下る。

妻籠に着く。

直ぐに高札場があり本陣。中に入って見学。

ここで一気に観光客が増える。

8年前に来たときよりはるかに人が多い@@!

しかし、よくこれだけの街並みを保存したものである。他の宿場もみんなこのように保存されていれば、どんなにか素晴らしいだろうと思うが、

実際に住んでいる住人の方々はかなり苦労が多いらしい。

そろそろ12時近くになっていたので名物の五平餅を茶店でいただく。

木曽の五平餅はお団子みたいに丸く、甘辛いごまみそ味が美味しい。

妻籠から馬籠への峠道は下る人々でラッシュ状態。

こんにちは、こんにちは、とすれ違うたびに挨拶してくれるが、あまりに多いとずっと挨拶していなければならない。

ついでのことに、わたしは山(だけ)でする「こんにちは」の挨拶は好きではない。

街道を歩いていると、そこに住む人たちはほとんど全員と云っていいくらいすれ違ったり出会ったりする際に

「おはようございます」とか「こんにちは」とか「ご苦労さんです」とか挨拶してくれて、それにはわたしも嬉しくて挨拶返すのだけど、

山で苦しくて喘ぎ喘ぎ上ったり下りたりしているときに、何が楽しくて観光客(or登山客)同志が声出して挨拶しなくちゃいけないのかわからん。

ま。それはいいとして、そんなこんなで侘びた苫屋に花が飾ってあったり、

ワンちゃんがシッポ振ってくれたり、

男滝女滝を眺めつつ

ところどころ美しく紅葉している木々の間を通り

熊よけの鐘を鳴らしながら

やがて白木改番所跡に着く。・・これは「夜明け前」にもたびたび登場する。このあたりの山々から勝手に木を伐採して持ち出すのを取り締まる番所。

 

さて、立て場茶屋である。

時代がかった建物の中は暗いが、めっぽう明るいおじ(い)さんが盛んに外人相手に

妻籠までワンナワー、ウエアアーユーフロム?と連呼している。

なぜかわたしたちは、茶屋の手伝い人となり急須や湯飲みを運んだり、通訳したり・・。

この飄々としてお笑い講談師のようなおじさんと出会ったことで峠越えはいっそう愉快な楽しい思い出となった(^0^0^)

おじさんありがとう!!

おじさんにあと一時間くらいで馬籠だから気を付けていきなせえ、と励まされてがんばって歩き着いた!!

馬籠峠の頂上☆☆

 

 頂上を越えるともう岐阜県である。

国道を何度も横切りやがて山道から出ると周りは広々として視界が開ける。

途中に十返舎一句の碑がありちょうどお休み処となっている。

農家の玄関先で売っていた干しイモを食べながら歩く。

馬籠宿を見下ろす展望台に着くと正面に恵那山がくっきり!。感動ですな。

一気に坂を下りながら、まったく木曽のすべての宿は峠と山道のはざまに張り付くように点在していると今さら思う。

これは車で来たのではわからない。

馬籠宿に着いたのは15時30分。

馬籠は坂道の宿場、島崎藤村でもっている。

 

「夜明け前」の舞台を静かに訪ねようとしたが、とにかく人が多い。お土産屋さんも多い。五平餅をあちこちで焼く匂いも強烈に鼻を突く。

記念館を観たり、街の中を回ったりして本日の宿に入る。

ここでの宿は、各部屋に仕切りがなければ昔の木賃宿風である。

食べきれないほどの夕食。忙しいのだろうけど殆ど姿を現さない店主。

ちょっとビジネスライクすぎるかな。観光地だからかもね。

前日の柿其の宿があまりに丁寧に(カメムシはいたけれど^)客への応対をしてくれて、料理も心づくしだったのでよけいにそう感じるのかもしれない。

宿泊費はこちら8000円、あちらは10000円なり。

それでも宿場の夜はなんとも風情があってよろしゅうございました。

本日の歩行距離:約19㎞

京都まであと約195㎞。・・・ん??200キロを切った?計算違い?


柿其の宿:番外編

2015-11-03 21:29:37 | 中仙道(中山道)

柿其の民宿のおじさんは、訥々として部分的にぼそっとおもしろいことを云って笑わせてくれる。

部屋に案内してくれながら、階段の踊り場にあるガムテープを手に取って、「これカメムシ用ね」とのたまう。

「・・・?」

カメムシは潰すととてつもなく臭いにおいを放つぺったらこな緑の虫である。

なんとそれが夕暮れになると外から窓サッシのスキマを見つけて部屋に侵入してくるそうなのだ@!

内心、いや言葉に出したかもしれないが「うぎゃ~!+;」である。

おじさん「これを切ってペタッとカメムシにつけると臭くないから」

え^え^^^??そんなこと誰がやる?

ぺタとできてもその次の行動がわたしにはできん。

で、ぺタして次にそれを畳んでゴミ箱に入れるのはろくさんの役目となる。

カメさんは、まるでわたしたちを歓迎するように、夜のとばりが降りると同時に一匹また一匹・・と少しづつ数を増やしてカーテンに天井に壁にひっついているのであった。

わたしが見ていないときにろくさんは子連れカメさん一家もぺタしたようだ。

極めつけは押し入れから布団をだしたとき(民宿なので自分で布団を敷く)押し入れの隅に4匹くらいのカメさんがかくれんぼするようにひっついっていた場面であった。

仲良くじっと、しかしウゴウゴとそこにいるのであった。

「ぎょえ~~@@!」と思わず雄叫び!

さっそくろくさんがぺタっとガムテープ。

↓ 苦手な人は写真を見ないように・・。よくわたしも写したものだ。自分で自分を褒めてあげたい。

 

おじさんが云うには、夜中は人間の暖かさで逃げるから布団には入ってこないから大丈夫、ということであった。ほんとかな~~;;

事実、一匹布団の下に潜り込んだのを見てるし、布団に入ったら天井にひっついているのを真上に見たし・・。

ま、疲れていたのが幸いしたのか、(もしかしたら一度くらい顔の上に落ちたかもしれないが)ぐっすり寝られた。

朝、起きたら明るい光の中に一匹発見。

カメムシにはガムテープ!よく憶えておこう!

 

 

 

 


中仙道を歩く⑰須原~野尻~(十二兼から柿其温泉)

2015-11-03 11:12:14 | 中仙道(中山道)

今回は木曽路のフィナーレを飾るのにふさわしく、土地の人々との触れ合いも満喫!ちょっとしたウォーキングハイにかかりました。

10月31日(土)晴れ

新宿発8:00発ちょうど♪の「スーパーあずさ」で塩尻まで。これが塩尻駅を使う最後。

ここから20分待ちで中央線各停中津川行に乗り換える。

車窓からの風景。前回から約一ヶ月、あのとき大雨だった権兵衛峠あたりの紅葉は盛りを迎えつつありました。

12時15分。須原に到着。

前回歩き終わった時より人がいるのはこのお天気のせいか?

あとから大桑の駅で一緒になった名古屋からいらしたおじさんに聞くと、何でも休日はウオーキング号とかいうのが走っていて

列車が何便か増発されるらしい。

須原は思っていたよりずっと大きな由緒ある宿場。

街道のあちこちにある水船のそばに嬉しい歓迎ナツメ☆

 

名勝「定勝寺」の紅葉もあと1週間もすれば見頃かと。

土地の民謡「ばねそ」の案内板を通り過ぎ

須原を出て伊那川橋を渡る。ここからの眺めも素晴らしい。

今日はなぜか子供たちに多く出くわす。

時折り男の子が川で魚獲りをしていたり、女の子のグループが楽しそうに前を通り過ぎたり・・。

桃源郷のような、のどかな集落が続く。

家々の前を流れる小さな流れも、摘まれた花が浸かっている小さな池も、どこを見ても水がきれいだ。

畠の中のひっそりした寺、天長院を過ぎると右に大桑の駅。

さらに歩いて行くと国道にぶつかり道の駅。

けっこう車で観光に来ている人々で賑わっている。

リュックで首タオルの自分たちの恰好がなにげにおもしろい。

ひょこっと細い旧道から大都会に出てきた山猿のような気がして車の人々と違和感あり。

14時少し前になっていたのでここでお昼にする。

わたしは山菜蕎麦、ろくさんはざる蕎麦。ざる蕎麦に軍配!!

道の駅を出て再び国道を渡り、旧道へ入る。

振り返ると素晴らしい木曽駒の峰々・・。

ここからはしばらく鉄道と一緒。

線路が付かず離れずあることも歩いていてとても楽しい。

ずっとずっと敷かれた線路の後先を見ていると、自然と人間の力の融合のようなものを感じる。

もちろん道もそうだ。問題はどこまでやるかだね。リニアモーターカーが必ずしも必要かどうかはわからない。

新幹線ができたときに驚嘆したわたしたちがごくごく普通にそれらを利用している。すべては後の世にどう感じるか?

 国道の左側に熊野神社をみて道はやがて野尻宿。

枡形が特徴のこの宿はひっそりと静か。

ガードを越え一里塚を過ぎ、阿寺(あでら)の手前でダムにせき止められた木曽川の湖・・急流の束の間の休息を眺めながら歩く。

また国道に出る。

もう南木曽である。

国道から離れてしばらくいくと、だあれもいない十二兼(じゅうにかね)の駅。16時ちょうどに着く。

さて、本日の宿の柿其(かきぞれ)の民宿のおじさんが、この十二兼駅まで来る前迎えに来てくれていた。

野尻の宿から電話をして確認してある。

 ここから車で山の上へ奥へ・・・。こんなに奥とは思っていなかったので車でのお迎えはほんとにありがたい。

10分ほどで渓谷の宿【いちかわ】に着く。

ここ柿其渓谷の名所は何と云ってもトルマリン色の素晴らしい青碧色を醸し出す渓谷の流れと牛ヶ滝。

宿から往復30分くらいなので荷物を置くや否やさっそく見物に行く。

の木曽の桟とはかの如くか?と思うほど、岩場に付けられた急峻な階段(もちろん、街道時代はこんな立派な階段は無かったと思うけれど^^)

揺れる恋路の吊り橋は5人以上で渡るのは禁止。

 

 

 

牛ヶ滝。見ごたえあり。

 

再び宿に着いたのは17時近く。

木曽路では珍しい温泉である☆無味無臭で気持ちいい~~~♨

夕食は、同じ泊り客の三重県からのバイク&車ツアーのおじさんたちとおしゃべりしながら賑やかに食事。

地産の手作りの料理に舌鼓を打ちました☆

 

本日の歩行距離:約12㎞(滝までの往復は含まず)

京都まであと約214㎞。