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回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く㉔美濃赤坂~垂井~関ヶ原~今須~柏原

2016-05-30 14:58:09 | 中仙道(中山道)

今回は関ヶ原を越えていよいよ近江路に入りました。

5月28日(土)くもり。湿度は高めだが歩くにはちょうど良い気候。

最終ラインの大垣から美濃赤坂間は本数が少ないので逆算するとこの「のぞみ」が乗り継ぎに最も便利。

 

「のぞみ」の特急割引は効かないけれど、今回からジパングを使用。

 

名古屋から岐阜、岐阜から大垣と乗り継ぎ、大垣で歩き仲間のいっちゃんと合流。

懐かしい美濃赤坂に着いたのは11時頃。

谷汲街道との分岐点.

車が複雑な動きを見せて交差する独特の四つ辻あたり、は昔ながらの古いお屋敷が立ち並ぶ。

 

中仙道はなぜ大きな大垣を通らずに美濃赤坂~美江寺を経て加納につながったか、またこの街を囲む山々がむき出しの岩肌になっているのはなぜか、

など、地元のいっちゃんに興味深いお話を聞きながら歩く。

中仙道と、東海道に至る美濃路との分岐を過ぎやがて垂井の宿。

なかなかに風情のある宿場で垂井の湧水は有名。

つい最近まで営業していた旅籠、亀丸屋さんは女将さんが御年で店仕舞いしたとか・・。

通りに忽然と姿を現す南宮大社の鳥居。

 

匠工業の盛んであった町並み。

そろそろ12時近くになるのでお昼を食べる場所を探していたら、小さな小さな入口に青い暖簾のかかった料理屋さんを発見。

ここで77才になる板前のおじいさんのこだわりの料理に堪能!

突出しにトリ貝のぬた、気仙沼の生マグロ、新鮮なイカ、宍道湖のふっくらとしたシジミ、ていねいにおろした信州大王園のわさび・・

そして、何と云っても極めつけが自作のたまり醤油!

〆にこのたまり醤油をたらしたご飯を出してくれましたが、その美味しいことと云ったら!

いやはや水のありがたさをしみじみ感じました。

充分に満足して次の関が原へ。左に不破の関病院や新幹線を見ながら国道21線に沿って歩く。

いつのまにかそれらしき絵が描かれているマンホールが並び始める。

実は山側の関ヶ原の古戦場跡などは見ないで通過し次の宿へ行こうかと思ったが、やはり天下分け目の戦い、

幾万の兵の雄叫びの聞こえた地を実際に見たくなり、

歩く歴史家、いっちゃんのご案内でそれぞれの大名の陣地や首塚、開戦の地を見て回る。

すべてみて歩いたら10㎞以上あるのでほんのさわりだけでも、と。

資料館の自転車置き場の壁面。

旗印を憶えるのも大変。

歴史に「もしも」はないけれど、ここで石田三成側(西軍)が勝っていたら、小早川が裏切らなかったら・・と想像せずにはいられない。

しばし休憩。

関東関西と云う土地の呼び方もこの関ヶ原から東、あるいは西、という分け方だからまさに戦国時代の終焉を告げるその土地のど真ん中にいるわけである。

さて、この合戦場跡は今はハイキングコースになっているので間違えるはずもなかったのだが、なぜか道を間違えて線路際の墓地に出てしまい、

やむなく道なき道の林の中をショートカット。

けっこうサバイバル感あり(^^);;。

ようやく抜けて藤古川ダムを横切り、線路を渡る。

ここからは今須宿にいたる今須峠を抜け、里山の中をゆく。ノリウツギが盛んに咲いていた。

 

 峠を降りて今須の一里塚を越え、踏切を渡ると今須の宿場。

 

じゃん!民家の前のおばさんがぽつんと座っていて、わたしたちが通り過ぎようとすると「ここが境だよ」と声をかけてくれる。

ここ、今須のこの小さい水路を挟んでついに近江路に入った。

このおばさんがいなかったら知らずに通り過ぎる所であった。まさに国境の守り役である。すぐそばにはこんな石碑がある。

田畑の続く穏やかな今須を過ぎると本日のゴール、柏原の宿場となる。

美濃赤坂の出発が11時だったのと関ヶ原を散策したので少し時間がかかって柏原の駅を18時発の東海道線に乗る。

この時季は陽が長いので助かる。

本日の泊りは大垣のホテル。荷物を置いて長良川の鵜飼いに繰り出すために再び宿を出て岐阜へ。

先回りして待っていてくれたいっちゃんと奥様と合流。

夕闇迫る岐阜の駅。

ここからが本日の旅のもうひとつのお楽しみイベント!!

奥様の運転する車で岐阜城が高く美しく輝く金華山の麓の河原に降りる。

ところがところが5月の11日から連日繰り出しているはずの鵜飼いの船が一艘も見当たりません。

真っ暗な河川敷で待つわたしたち。

奥様が検索してみたらなんと、鵜匠の方が何日か前に川に落ちて亡くなりそのご遺体が一日目前に見つかったそうで

28,29日の鵜飼いは中止になったとのこと!

そういえば新聞のニュースでそんな記事があったような・・。

ということで今回は残念ながら鵜飼い見学はあきらめ、飲み屋さんに二軒はしご。

一軒目は最近新しく開いたらしいモダンな日本酒処。

前回宿泊した各務原産の「青波」ともう一本、(名前を失念)で乾杯(^^)!

そして2軒目が、いっちゃんの一押し!「Field」という元は本屋さんで現在は家庭料理とお酒やコーヒを出してくれるすてきなお店。

入った瞬間に懐かしさが充満、美味しいお料理をさっと出してくれるご主人と奥様のふたりでやっておられます。

こういうお店はホントに貴重。岐阜に来たら是非また立ち寄りたい。

お酒も食事もお喋りも大いに弾みました。楽しかった(^0^)

ご馳走様でした☆

 

 本日の歩行距離、約22㎞(関ヶ原散策を含む)、

京都まであと約78㎞。


中仙道を歩く㉓(各務原)~加納~河渡~美江寺~赤坂

2016-03-23 20:21:20 | 中仙道(中山道)

3月21日(月・祝) 晴れ

昨日よりは少し風もおさまった。

夕べのうちに買っておいたパンとゆで卵、コーヒーを部屋で食べて

7時半に出発。

元は岐阜大の農学部校舎だった市民公園を抜けていきます。

公園の中ほどにに一本だけ枝垂桜が三分ほど咲いていた。

 

思えば遠くへ来たものだと、ひとりごちながら歩いていく先は真っ青な空。

わずか20分ほどで新加納の間の宿。

枡形がしっかり形成されていて、次の加納宿と比べ、近代化されなかったせいか、ほのかに昔の面影が残っている。

新加納を出るとだだっ広い畑や野原が広がる。

東海道北陸自動車道の下を名鉄やJRが走る。

なんともこの地上を電車が走る図は好きであります。

昨日からずっとわたしたちのそばを走ってる名鉄各務原線、ほとんどが犬山行き。

そういえば昨日は犬山城を見る余裕がなくて残念であった。

ほら、次はこの車両♪

可愛くて凛々しい。けなげ。

と、いちいち電車が通るたびにわたしが立ち止まるので、ろくさんはちょっともどかしそうである~。

やがて、道は街道の幅になって手力神社、伊豆神社、などが立ち並び、切通や領家、細畑といった名前が出てきておちついたたたずまいの道が続く。

小さなお寺でしばし休憩。お天気がいいので、本堂の手すりに布団が干してある。なかなか風流(^^)

 

茶所(ちゃじょ)と読むのね。

この茶所の駅が加納宿の入り口となる。

だんだん太陽がまぶしくなってきた。

加納宿自体はもう殆ど遺構は残されていない。

が、道は城下街らしく曲りに曲がっている。

寺社もひっきりなしにある。

この加納から少し西に行ったところが岐阜駅。

こんな下水蓋のある道も☆

左甚五郎がうさぎの彫り物を残したと言われる二文字屋。

 

もうすぐ10時。

国道の角に和菓子屋さんを発見したのでここで最中を買うが、これは家へのお土産用。

マンホールはしっかり鵜のマーク。

昨日の美濃太田を出てから久しぶりに見る高層ビル。あれは岐阜駅近くだろうか。

6差路に分かれている大通りでこんなわかりにくい標識。

ま。あるだけありがたいが、できるなら渡る前に出しておいてほしいものだ。

さあ、加納を抜けていよいよ河渡へ進む。

最近、道路整備されたのか、すっかりモダンできれいな新しい住宅の立ち並ぶ街道を歩くと何軒か喫茶店が!

名古屋式モーニングを、ということでおやつタイム。

珈琲にトースト、サラダ、メロンがついて380円。

喫茶店を出て河渡橋を渡るべく少し行くと、なんだか人がわらわらとあちこちから出てきます。

街道筋でこんなに人を見るのは、お祭り以外は初めて。

さては何かの祭りかと思ったら、案の定、長良川のほとりに建つ鏡島弘法(乙津寺)で弘法大師様の生誕祭であった@!

ここで、まさに大師様のお導きともいえる出会いが!

加納のあたりから自転車でお寺参りに来ていたおじさんが「歩くの早いですねえ、ずっと自転車でそばを走ってたんですよ。」とわたしたちに話しかけてきてくれた。

そして「ここまで来たら小紅の渡しに乗ったらいいよ、境内を抜けるとすぐ船着き場だから」と教えてくれた。

とても話好きのおじさん、旅の楽しみの一つであります。

仰せのとおり、ありましたありました、小紅の渡し!なんだか江戸川の帝釈天と矢切の渡しの風景のようである。

この渡しは県道としてあるので無料。月曜は定休らしいのだが、今日は祝日で特別運転。ラッキー☆

長良川を渡しで渡る。

空が青くて、遠くには飛騨の山々、向こう岸までものの5分とかからないのですが、元禄時代から続くという貴重な渡しのゆったりした時間を楽しみました。

ま、いい思いをした後なので少しの苦難は織り込み済み。

この渡しははじめ渡る予定だった河渡橋のかなり上流にあるのでUターンをするように、1キロメートルばかり戻らなければならない。

廻り込み廻り込みようやく河渡宿。

だがこの宿場はこの標識の他はな~んにも宿場の面影がない。

道を間違えたのでなければ、元の街道に新興住宅地や大工場地ができてしまったのだろうか@@?

喫茶店でモーニングを食べたせいでお腹は空いていないが、真昼の太陽は案外強く味気ないアスファルトの上を延々歩いて少々疲れ気味。

珍しく足の裏に少しマメもできたらしい。

河渡を抜けたのだか何だかよくワカラナイところに標識があり、道は間違っていなかったと確信。

ふと先を見るとお寿司屋の看板。ここでお昼を兼ねて休憩とする。

お店のご主人も来ていたお客さんもこのあたりの名所を教えてくれたりして感じがいいのだが、肝心のお寿司がイマイチ。

美味しいのだけど具が大きすぎ重くて下の酢飯がひしゃげている。

全部は食べられずろくさんにかなり手伝ってもらう。(彼はお寿司はいくら食べても平気なのだそうだ。)

店を出て次の宿、美江寺を目指す。

こんな延命地蔵堂を通り過ぎ

五六川を渡り、

樽見鉄道の踏切を渡り

美江神社に着くと、この参道が美江寺宿の入り口となる。

(この美江神社のおトイレは新しくとてもきれいであった。)

美江寺の宿場は小さいが落ち着いていて柿の木の栽培で有名らしく緑が多くてとても気持ちの良いところ。

しかし~~、ここから揖斐川に向かう道を間違えてまたまた1キロメートルばかり行きつ戻りつをやらかす・・。

このあたりは木曽三川に囲まれているから当然小さな川や水路も多い。まるで迷路のように川が行き違っている。

巣南中学校を過ぎ、だだっぴろい大きな国道を横切って畑の道に入りまた道を間違えた~~~+;;

ようやく揖斐川に架かる鷺田橋を渡る。

風が強い、帽子もマスクも?吹き飛ばされそうな勢い!

渡りきると呂久だ、ろくだ!

この呂久と云う地名はなんとなくいにしえの匂いがする。

静かな街並みを歩いていると左側に皇女和宮が降家の際、休んだといわれる小簾神社がある。

ここで説明板を読んでびっくり!

揖斐川の流れはもとは呂久川だったということ。

それがこのあたりを流れていて付け替えられたのはわずかむかしの大正年間だったということ。

東京の荒川放水路も、その頃できたわけだからまあ、不思議はないかもしれないが・・。

呂久にて皇女和宮の詠める歌。

「おちてゆく 身と知りながらもみぢ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」

先に進むと平野井川、大垣市に入る。

さあさあ、近鉄養老線の東赤坂の駅が見えてきた。

目指す赤坂はすぐそこだ!

このあたり、足の裏のマメが痛くてほとんど10分おきにベンチで休憩状態である。

足の裏の皮膚が弱くなってるのかしら?面の皮と同じくらい厚くしたいものだ。

 

いよいよ「左中仙道」の道標を越え、水運で栄えた杭瀬川を渡ると、

今回の目的地赤坂の宿!

おりしも我々の到着を祝うように噴水がぱーーーっと上がった!

 

宿場の入り口には

明治時代に建てられた赤坂港記念館がある。

しばらく直進して左に折れ、

引き込み線に沿って行くと、まあ時代を移したかのような美濃赤坂の無人駅。

駅舎の中にはこのような説明書きが。

駅に着いたのが16時半、ちょうど一時間に一本の16時52分発に間に合った。

ここから大垣まで出て大垣から名古屋。

名古屋で新幹線指定席を買おうと思ったが、のぞみの指定席は21時過ぎまで満席。

しかたなく(思いつきで)17時58分発のこだま自由席を狙う。

ラッキーなことにちょこちょこと空席があってバラバラに、そして豊橋のあたりで2席並びに座れた。

ただ、「こだま」は車内販売がないので、駅に着くたびにホームに走るが、殆ど駅弁は売り切れ。

歩き途中で買った干し柿やパンや、なんとかひとつだけ買えた幕の内弁当を半分こし、ビールで夕食とする。

なかなかスリリングな帰途であった。

次回はジパングを使うぞ☆

本日の歩行距離:約27㎞(街道以外に回り道した距離を含むと30㎞くらい+;)

京都まであと:約97㎞(100キロ切った!!?)

かなり疲れたけれど、翌日にはまた歩きたくなってる自分が可笑しい。


中仙道を歩く㉒太田~鵜沼~(各務原・泊)

2016-03-23 14:12:43 | 中仙道(中山道)

暮れに歩いてから約3か月ぶりの中仙道。

今回の太田の宿からは初めて聞く未知の地名ばかり。

前回最後に渡った木曽川に沿って歩いてから、長良川、揖斐川を越えました。

 

3月20日(日) 晴れ 西風強し

7時47分「のぞみ」に乗り、名古屋まで。

 名古屋からは東海道~高山線の特急ワイドビューひだ5号で美濃太田へ。

中仙道は乗り継ぎがなかなか難しいが、ワイドビューだと乗り継ぎ割引もあり、かなり時間も節約になる。

3か月前にたどりついた懐かしい美濃太田駅へは10時31分着。

ここから太田の宿へ、木曽川へ戻る感じで歩きだす。

10分ほどで宿場へ入る。

太田宿は木曽川に沿って作られた宿場で、川っぷちに住んでいるわたしとしてはなんとなく親近感が湧く。

 

洪水の浸水を防ぐための防波堤が作られて川が見えないのが少し残念。

ひっそりとした(毎度思うのだが、旧街道ってどうしてこんなに静かなのかしら~?)道を歩いてゆくと

穏やかで明るいお寺の境内が見える。惹きこまれるように入ってゆくとすらっと一本の黄色い花。(なんだっけかな?)

川の土手側に門があった。500年の歴史を持つ名刹、祐泉寺。

 立派なうだつの上がっている商家の元脇本陣。現在でも左の母屋は居住しているとのこと。

この脇本陣跡は中仙道随一の遺構らしい。

中には地域のボランテイアなのか、きちんとしたおばさまがいらして浸水したときの様子や宿場の歴史について説明してくださった。

ちなみに本陣跡は門しか残っていなかった。

これは昔の駒つなぎ場かしら?現代版駐車場、駐輪場といったところかな。

宿場の西詰には飛騨街道と郡上街道の追分の碑がある。

道はここからずずずずずっと木曽川を見下ろす土手歩き。

木曽川をドイツのライン川になぞらえて、この土手道はロマンテイック街道と云うらしい。

土手道は気持ちはいいのだが、強風なので時々下の国道21を歩く。

ふ~ん、なるほど~。いろいろ大きな工場がありまする。

 

酒倉という町や右手にJRの線路や岩谷観音を見上げながら歩いていると、めざしていたカフェテラス「ゆらぎ」

この店は、これから上る「うとう峠」の目印。殆どの中仙道歩きの人々がここをポイントにしている。

店そのものは完全に廃屋だが、ただひたすら目印のためにそこに建っている、という感じである。ありがたい☆

この「ゆらぎ」の裏から回り込み、国道をくぐり峠の入り口にでるという寸法。

ほらね(^^)☆

昔の人々が木曽川を避けて回り道(ショートカットかな)した峠道である。

東海道より中山道を選んで歩いた一つの理由は川幅が広くなる大きな河川を渡るのに、相当難儀したからだと言われているが、

現代においては東海道の方がずっと楽チンであることは、碓氷峠、和田峠を越えて来た経験から言うまでもない。

なぜ「うとう」と呼ぶのか?定かではないらしい。

久しぶりの山道はそんなに急な登りは無く軽いハイキングコースである。木々の中はやはり気持ちいいね♪

峠を下ると眺望が開けてこれから向かう鵜沼の宿場も見下ろせる。

峠からの坂を下りきったところにある見附跡。

そばにはかわいらしいお地蔵さん。

たらたらと下り歩いてもう鵜沼の宿に入った。

この石碑は京都側から歩いてきた旅人用ですね。

しだれ柳が風に揺れる大安寺大橋を渡ると宿場通り。かなり町並み保存に力を入れているらしい。

新しい力で古いものを興している感じ。

さて、ここでもう13時近く。

橋のすぐそばにお蕎麦屋さんを発見!お昼にする。

土筆や山菜の天ぷらがついた手打ちそばが美味しい♪♪

ビールも少し飲んでちょうどよいお腹具合。再び歩き出します。

 

ここから次の宿場、加納までは16、7キロメートルと中仙道では和田~下諏訪の次に長い距離なので宿を中間あたりの各務原市民公園のそばに取ってある。

本当は加納の前の新加納が昔の間の宿なのでそこに泊まりたかったが、残念ながら宿屋の類はゼロなのであった。

羽場あたりを過ぎると、中仙道は車がブーブー走りぬけてゆく国道21に合流する。

これはたまらん!とJRや名鉄の線路を越えたりまた出たりしながら静かな線路沿いを歩く。

JRの踏切

名鉄の踏切

なんだかこのあたりの名鉄沿線は京成線の地上線沿線のようで親近感。

ピンクのコブシが青空にきれい。

 

各務原の駅のそばの和菓子屋さん「松江」でいちご大福を買い歩きながら食べる。

美味しい~~~!!

三柿野駅の手前はずーーっと航空自衛隊岐阜基地の高い壁が続く。

向こう側が見えないって気持ち悪いなあ。

まもなく三柿野の駅を味気のない歩道跨線橋で渡り

 

 また線路沿いに歩き、市役所を越えると本日の宿「ホテル観月」に到着。

素泊まりなので、ホテル回りをうろうろ探しけっきょく市役所まで戻りイタリアンレストランで夕食。(写真取り忘れ;;)

 

明日の朝食用にパンやインスタントコーヒなどをコンビニで買ってホテル着。

 

西風が強かったのと、花粉症マスク装着のため、息苦しくメガネもかけられず、疲れた~。

テレビも点けっぱなしで朝まで爆睡でした。

本日の歩行距離:約18㎞

京都まで:約124㎞

 


中仙道を歩く㉑大湫~細久手~御嵩~伏見~太田

2016-01-04 21:12:54 | 中仙道(中山道)

12月29日(火)晴れ

7時40分に宿を出発。

街全体も遠くの山々も薄い靄に包まれている。

昨日より暖かくなりそうである。

宿場を出るとすぐに秋葉坂の三尊石窟。山道に入る。

旧中山道は「1日中山道」と読み替えられるほど、大井宿から次の宿の御嵩までは本当にそのとおり。

絶えず道はアップダウンを繰り返す。

時折り入り込む集落の家の玄関先にはキノコの飾り?

やがて皇女和宮も眺めたという御殿場(物見峠)

登ってみると恵那山が右方向に雪の頂をみせている。

ここで昨晩の大黒屋さんで一緒だったひとり旅のおじさんに会う。

「大勢で歩いていると楽しそうですね」とおじさん。

確かにそう。ひとり旅も二人旅も悪くはないけれど、4人くらいのグループ歩きは山道に最適。

「唄清水」「一呑みの清水」と湧水の場を通り過ぎると、桃源郷のような山里の風景。

また桜の頃に来たいなあ。

さあて謡坂の石畳。

あまりの山道の辛さに歌でも歌ってがんばろう、と意味で「謡坂」の名がついたらしい。

いっちゃんがいくつか地元の民謡をご披露(^^)♪

やがて右側の階段の上にこのような幟が。

 

老人会というのがなかなかよろしい。職業柄耳の調子が悪いと困るので、小さなお社の前に吊るされたキリで耳に近づけお祈りする。

耳が良くなったら自分の年の数だけキリを持ってお礼参りにこなければならない;

いよいよ山道最後の「牛の鼻欠け坂」という峠の下り坂に差し掛かる。

ここを降りれば平坦な道となって一路京都へ、ということらしい。こういう案内板を見るとなんだかすごく遠くまで歩いてきたような気がする。

 

坂を下りればそこは広々と広がる田園風景。気持ちいい!

まこと、里に下りてきた感じ。

広い車道(国道21号)に出てもう11時近くになっていたので岐阜の名物、喫茶店のモーニングサービスを注文。

珈琲380円頼むとこれだけついてくる。

 

喫茶店の近くの和泉式部廟をちら見して街中を歩いてゆく。

右側にかなり屋根の剥げた願興寺。

御嵩宿はこのお寺の門前町として栄えたらしい。

山門から出てすぐに真正面に見えてくるのが名鉄広見線の御嵩駅。

やっぱり駅はいい。ほっとするね。

鬼の首塚を通り過ぎ比衣一里塚跡を過ぎ、さらに国道を歩いて可児川(かにがわ)に沿うようになる。

途中で右折してタラタラ歩いて伏見宿に到着。13時半になっている。

ここは京都の伏見とは関係がない。

旅人には嬉しい無料お休み処、一本松公園に着いてひと休み。

そろそろ娘は疲れてきた感じ。

はじめの予定では今日はこの伏見宿まで、だったがもうひと足(約8㎞)のばして次宿の太田まで歩くこととする。

そうすると次回歩き始めるときに交通の便がいいので・。

途中地元のスーパーでお稲荷さんや干し柿を買って神社の境内で食べたりして疲れをいやす。

伏見を出ると道は新しく立派になり大きな工場やショッピングセンターも増えてくる。

車がびゅんびゅん走る高台の国道から眺める北美濃の山々。

中仙道踏切を渡り、

 

今渡神社を過ぎると

いよいよ飛騨川と木曽川の合流するすぐそば、太田の渡しのあった地点に建つ太田橋である。

橋の向こうには木曽川ライン下りの乗船場も見える。

橋は以前までは車道と歩道が一緒だったが、平成20年に写真右の歩道専用橋が架かり大変歩きやすくなっている。

この橋を眼前にしたときは、よくもはるばるここまで歩いたものだと我ながら感心してしてしまった。

山道峠道乗り越えて美濃加茂だもの。

しかし行く手にはまだまだ道は続く。

これから歩く岐阜方面の山々を望むと新たな闘志がわいてくる~~~!

・わたしはいたって元気だが、娘は初めての街道歩きで限界に近づきつつあるので太田の宿に入らず

橋を渡ったところで北上し美濃太田の駅を目指す。けっこうこの距離が長かったが、途中の和菓子屋さんで休憩を取り

ようやくモダンな駅舎の美濃太田駅に着く。

16時。美濃太田から岐阜まで高山線。岐阜から名古屋まで東海道線を使う。

岐阜駅

尾張一宮でいっちゃんと別れ、名古屋に着き18時03分ののぞみで東京へ。

お天気のせいかグループで歩いたせいか、山道が続いた割りには全く疲れずとても楽しい旅であった。

年末に世の中が忙しくしているときに旅するのもなかなか乙なもの(^^)

本日の歩行距離:約24㎞

京都まであと約142㎞。


中仙道を歩く⑳大井~大湫~細久手

2016-01-03 22:39:39 | 中仙道(中山道)

12月28日(月)晴れ

山の朝の冷気を気持ちよく吸いこんで少し遅めの9時に出発。

前回着いた大井宿まではロッジのご主人に車で送っていただく。

前回は恵那駅から帰京したので新しい橋だったが、今日は正しく街道筋のこの長島橋を渡る。

まもなく西行硯池を通り過ぎ、いよいよ十三峠の石畳に入る。

まさに峠が十三あるようにアップダウンのある山道である。入るとすぐに西行塚。

中仙道の中でも長い道のり。

近くに交通機関はなくなるので、引き返すことはできない、前進するのみである。

道の両脇にはサザンカの花びらが散り、まるでピンクの絨毯。

ドウダンツツジも一緒に植えられているので秋の紅葉のころはさぞかしあでやかだろう。

カラスが食べ残したような、もう実り落ちてわずかしか残っていない柿の実を採って食べる。

シブガキなのかもしれないが、熟れているからかなんだか甘くておいしい。

初冬の枯葉色の山道、広がる畑、棚田の風景が気持ち良くて、大井~大湫間の約14キロの距離を全然疲れを感じることなく歩ける。

4人連れの旅とあっておしゃべりも冗談も出て楽しい(^^)

まもなく藤村高札場跡、深萱立て場(昔の御休み場)跡に着く。

もうお昼近く。ちょうどよく立て場跡にあずまやがあるのでそこで昼食。

あかまんまロッジの奥さんが作ってくれたおにぎりをいただく。

ウインナやタクアンが入った美味しい美味しいお弁当。いただきまーす!

 休憩所の近くの民家に住んでいる姉妹がひとなつっこく話しかけて来て、「気を付けて歩いてください!」とエールを送ってくれる。

道は再び石畳になったり、アップダウンを繰り返し、東濃ヒノキや竹の生い茂る山道に入ってゆく。

フフフやっぱりあるのよね、この注意書き。

ここに書かれている権現山の一里塚は江戸からちょうど90里にあたるらしい。

およそ360㎞歩いたわけである。

クマに出会うのは怖いから、もちろん、歌うのです。

この日はいつもの「森の熊さん」に加えて「あの鐘を鳴らすのはあなた」も独唱!♪

ちょっとおどろおどろしい祠に並ぶ三十三観音を過ぎ、よくわけのわからない尻冷やし地蔵も通り過ぎ、やがて大湫(おおくて)の宿に着く。

ひっそりとした宿場の中に入って公民館でしばし休憩。

ちなみに「大湫」の「湫」とは低湿地帯の意味。次の宿の細久手も同じ意味だろうがなぜ字が違うのかしらん?と首をひねりながら歩き出す。

 

街中の神明神社の大杉。樹齢1300年とのこと@!

何年か前にこの樹に雷が落ちたらしいが、それでもいまだに健在!

 

大湫を出て琵琶峠の石畳に入る。

馬籠から落合に下る十曲がり峠の石畳も長かったが、ここも600mあるらしい。

中仙道の、このあたりは鉄道や近代化から取り残されたせいか、一里塚も道の両側にきちんと残っていたり、本当に昔日の面影の残る貴重な道である。

美味しかったヘビイチゴ?

コワイね。

奥ノ田一里塚を越え、コケコッコーと啼き交わす養鶏場のニワトリの声が近づき、あれはトップテナーの素晴らしい鳴き声だ、なんだかんだ、と鑑賞したり

すぐそばのゴルフ場から飛んでくるボールなど拾いながら歩いているとやがて道は細久手宿に入ってゆく。

すでに4時を過ぎ、歩みを止めて立っているとしんしんと冷たさが足の裏から伝わってくる。

 

説明板の他には何にもなく、ただ通り道にしかすぎないようなこの宿場に今日は宿泊する。

江戸時代から続く尾張藩専用の本陣「大黒屋」さんである。

もちろん今は旅籠(旅館)。

 

中の黒光りする柱や造作は安政の大火をこうむったが、それ以後もずっと昔のままに保存。

2階に泊まるのだが、ちょっと歩いただけでギシギシミシミシ・・。

望月宿、奈良井宿でも宿泊した旅籠と同じようにトイレも階段下。

でも慣れてくるとこれでも十分なような気がしないでもない。

至れり尽くせりのホテルで空調もバストイレも完備でアメニテイもばっちりで、というところでなくても、あらかじめそれとわかっていれば全然困らない。

食事はお殿様が座られた上段の間でいただく。

わたしたち4人の他には埼玉の中仙道歩きのおじさまが一人だけ。

一杯やりながら美しく盛られた山の幸、アマゴの塩焼き、鯉の甘露煮などに舌鼓。

山中の街道の夜はしんしんと冷え込みながら更けてゆくのであった。

本日の歩行距離:約19 ㎞

京都まであと約167㎞。