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回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く⑯木曽福島~上松~須原

2015-10-14 13:03:25 | 中仙道(中山道)

10月12日(月) 晴れ時々曇り

歩いていていちばん辛いのは足でも心臓でも空腹でも雨でもなく暑さである。

東海道で熱中症を発症した経験から言って、盛夏とカンカン照りの日はなるべく歩行をしないように努めている。

その意味では今日は最高!この時季は元々肌寒いくらいのこの土地にあって、適当に曇ったり晴れたりの絶好のコンデイション。

朝食を済ませて7時40分に出発。(出発時間を早くするためには、こういう観光地化した街なかの宿は一泊2食付ではなく素泊まりでもいいかも知れない)

木曽福島駅の前の長距離バス亭。安い@!時間の制約がなければこれも手かもしれない。

 

 

宿場を出てしばらく行くと御嶽神社。本当はこの神社の中を通る道があったらしいが、気づかずに国道を行ってしまった。だがすぐに道は合流。

右にダムを見て、国道と線路を下に見て旧道は上って行く。

村の道にこんな立札があり、
津島様、って聞いたことあるようでまるきり思い出せなかったので検索してみたらありました。http://www.geocities.jp/gunmakaze/kodomonokoro/29tsusima.html

なるほど~☆歩いていると勉強になります(^^)

さらに進むと道の左側に廻り込む道があり、ガイドブックの地図を見るとトンネルをくぐれとの指示がある。

ところがトンネルの前はこんな幕。通行禁止になったのはつい最近らしい。(ガイドブックは2012年版)

ろくさんが偵察に行くもお先真っ暗でなにもみえない、との報告。

 

国道に廻り込む。

国道を歩いていても晴れているので気持ち良い。元橋の近くの交差点を過ぎて

ガードをくぐる。

ガードの下にこんな標識。

なるほどここから杉林に入ると小高い遥拝所があった。

鳥居峠では見られなかった御嶽山を拝観しようと西に目をやるが、あいにく白い雲がかかっていた。

御嶽山もいいけど、すぐそばを走る線路が好きだなあ。

木曽路は妻籠から馬籠間を除いては、ほとんど旧道に沿って鉄道が敷いてある。

昔の街道は今の鉄道にとって替わられたのだからたのだから当然と言えば当然だが、木曽川と鉄道と常に一緒に歩いているという感覚が好き。

一里塚の標識を過ぎて

いよいよ昔の木曽路歩きの難所中の難所、木曽の桟(かけはし)が見えてくる。

この両岸の奇岩がすごい。もちろん自然石。木曽福島側から見たところ。

 

木曽の桟とは、川の両岸をつなぐ橋ではなく、深い木曽川渓谷からほぼ垂直に切り立ちあがる岩場に取り付けられた丸太で組んだような繋ぎ棒のこと。

この赤い橋は向かい側から当時の桟の跡を見るために後世作られた橋である。

説明板↓

対岸からみた桟の跡。国道の下に川岸に垂直に立っているコンクリ柱の間を横に丸太や蔦葛を渡していたらしい。

こういうところを、参勤交代の行列、特に皇女和宮さんなどがどうやって通ったか昔の人に聞いてみたい。

本当は旧道はこの赤い橋を渡らずに桟側を渡る新しい旧道?があったのだがそれも今は危険個所のため、橋を渡って右岸道路、一番新しい旧道??を歩く。

これはけっこう遠回り@。

再び橋を渡る。鬼淵橋である。

と横に錆びた古い橋が横に横にかかっている。説明板を見ると何と、赤沢自然林へのトロッコ電車の軌道だったのだ。

赤沢自然林へは8年ほど前車で来たときに山の中を散策したものだ。

それで、上松宿のマンホールも森林鉄道の図柄。

9時40分頃。

国道の下を回り込んで上松宿に入る。

街道らしいいい曲がり方をしている。

 

 

そうか!今大相撲で活躍している御嶽海はここの出身らしい!

上松は木曽路でも相当高い位置にある。駅前の広小路を過ぎ歩道橋の横の道を上ると

上松の街が一望。

 

上松小学校の前、材木役所跡を過ぎ、ちょっと曲がり角を間違えて山に入りそうになったのを戻って見返り集落に入ると、なるほど振り返りたくなるような絶景。

買い物帰りか前を行くおばさんがゆっくりゆっくり歩いている。

途中の集会所の壁にこんな句が。思わずにんまり(^^)

もう寝覚め集落。当時のままの姿の立て場(お休み処)と向かいの蕎麦屋。

この2軒の間の坂を1㎞ほど下りてゆくと岩と水のおりなす景勝地「寝覚めの床」になるが8年前に一度言っているので今回はパス。

10時半頃。この蕎麦屋がやっていれば問題はないのだがどうやらもう営業はしていない様子。

道端の段差に腰かけてベビーあんドーナッツでおやつ。

上松と次の宿場、須原の間は中仙道にしては長い距離間で12㎞もある。どこかでお昼が食べられるか少々不安なので前もって甘いものでしのぐ。

さて、寝覚め郵便局で分かれている道を左に取り、

上松中学校の前を通り石畳の道を下って滑川を渡る。

上がったり下ったりの連続。

そしてガードをくぐると国道にぶつかる。

そこでなんと!左にバーンと流れ落ちるのが名勝「小野の滝」である。

こんな国道の沿いに、さらに滝の上には線路が通っているという珍しさ!@

昔の中仙道歩きの旅人がタイムマシンでやって来てこれを見たらびっくりして腰を抜かすだろうなあ。

しかし水は全然汚れていない。あくまで透明で美しい。

ここからはしばらく国道沿いに歩いていくが、小さな集落に入り込む旧道がところどころにあって飽きない(が、お腹が空いてきたし、アップダウンの激しい道が続くのでちょいと疲れてきた)

荻原一里塚の楓と榎の合体木。

木曽古道への入り口。

細い道の向こうは民家の庭のような空き地。おじさんが焚火していた。

この焔が火事誤認を呼び起こし、地元の消防署で火災発生警報を街中に鳴らしていた。

こんな道をしばらく進む。

立町を過ぎ、倉本の集落へ。小高い山の上の集落。

また少し国道に出て今度は右の池尻集落を過ぎる。

もう12時過ぎてきたのでお腹が空いてきた。ひとつだけ国道沿いにうどん屋さんがあったが、あくまで旧道を歩く~++;

この日は須原を15時04分の電車に乗らねばならないので(一本逃すと1時間待たなければならない)、うどん屋さんでゆっくり食べるのも時間が心配であった。

で、また午後の照り返しの強くなってきた国道を歩いているうちに疲れて来て、神明神社のあたりでは無言の喧嘩。

あそこでぜひにうどん屋に入っておくべきであった、いやそれでは落ち着かなかった、だいたい我慢が足りないとか、イニシアチブの取り方が云々・・・と境内の階段で

やりあう。(けっきょく、のれんに腕押しでだいたいわたしが自己嫌悪となって喧嘩は終結するけれど~~)

それでもようやく須原の文字が見えてきた。

左の道にひょいと入り込むともう須原の駅。

須原は「水舟の宿」といわれるだけあって清水が家々の前に設えた木船を伝って滴りこの宿場の暮らしを潤している。

木曽路に入ってたくさんの集落や宿場でこのような水場を見てきた。

水がきれいなのはこのあたりに住む人々にとってごくごく当たり前の事なのだろうなあ、としみじみ感じる。

14:00少し過ぎ。

駅のベンチにはよそのご夫婦のリュックあり。

どうやってお帰りになるのですか?、と聞くと「東京ですが中津川まで出て名古屋から新幹線です」と答えられた。

ここは東京と京都のほぼ中間なので交通アクセスがとても難しいですね、とお互い同じ感想。

わたしたちは来た道を戻り塩尻まで出てまた「あずさ」に乗る。名古屋周りも考えたが、来た道を振り返るためにも次回の往きも同じ予定である

駅前の雑貨屋さん(店と呼べるのはその1軒だけであった)でアイスクリームを買い、待合室で食べる。お昼を食べていないので超美味しい(^0^)!

今日の歩行は珍しく足に来た。駅の階段もちょっとロボット歩きのようになっていた(^^).

帰りの乗り継ぎ、塩尻の駅構内で立ち食いそばを食べる。美味しかった!!

17時07分の「あずさ」に乗り込む。次回はいよいよ木曽路最後です。

 

本日の歩行距離:迷い道、回り道含め約25㎞。

京都まで、あと約226㎞。


中仙道を歩く⑮奈良井~(鳥居峠)~藪原~宮ノ越~(原野)~木曽福島

2015-10-14 09:32:22 | 中仙道(中山道)

10月11日(日) 雨のち曇り

夜明け前4時頃か、どしゃぶりの雨音。「しとしと」ではなく「ばしゃばしゃ」である。かなり激しい。

思い起こせば、峠歩きで晴れたときは数少ない。

山と山の間を縫って上り下りするわけだから、雲が山にぶつかって雨がちになるのも当たり前な話なのだけど・。

足や心臓に負担がかかるだけではない何かが峠にはあ~る。

東海道歩きで小夜の中山峠はカンカンに晴れたけれど、あれはかなりつらかった。

碓氷峠も前夜の豪雨のあとの山道に待ち受ける山蛭の執拗な攻撃に悪投苦戦。

そして、峠頂上を断念して大迂回した大雨の和田峠。

「でも止まない雨はないのだ!」と自らを励まし、美味しいお煎茶(玉露かも)のあとの朝ごはんをいただく。

どれも美味しくて、「もうこれで帰ってもいいか~」なんて、内心弱気(^^);;

7:40分出発。

ご主人は玄関先まで出てきて、いつまでも見送ってくださった。

昨夜はわからなかったが、朝になると雨にけぶる山々のあちこちに黄色や赤が、さし色のように染まっている。

「あと2週間くらいすると真っ赤になりますね~」とご主人のお話。

見方を変えれば雨の朝の奈良井もいいものだ。(けっして強がりじゃございません^^)

 

奈良井宿の南詰めの鎮神社を過ぎ、いよいよ鳥居峠へ。

山道に入った途端、やはり「森の熊さん」を歌います~♪。でも今回はちゃんとクマよけ鈴をリュックに

つけてるぞ!

思っていたより山道は険しくはない。難所といわれた江戸時代の旧道はところどころ通行止めになっている部分もあるが、

明治時代に整備された迂回路があってかなり歩きやすくなっている。

一時間ほどして峠の茶屋跡に着く。

茶屋跡には新しい休憩場があり、水場もトイレも完備。

ここで一人の青年が休んでいた。

軽装でやはり奈良井から藪原に抜けると言っていたが、奈良井を相当早く出て来たのか、会ったのはここでだけである。

少し不思議な気がした。

 この鳥居峠は栃の木が多く、たくさん落葉していた。

途中に何か所かこういう鐘撞き場あり。

晴れていれば御嶽山がみえるかもしれない御嶽遥拝所を過ぎ

やがて峠の頂上らしき草場に出る。

「ひばりより 上にやすろう峠かな」という芭蕉の句碑もあったようだが、判別不能であった。

しばし休憩して下り始める。

古い旧道と新しい旧道とよくわからない道が三叉路になっている。真ん中の石畳の道を降りる。

ずんずん下ってゆくと杖置場があり、もう山道は終わりと知らせてくれる。

あとは次宿の藪原に向かってどんどん下る。

 

真っ赤なお稲荷さんを左に見て

藪原の里にでた。

峠を越えた。

すると、なんと雨があがっているではありませんか!

9時45分。奈良井を出てから約2時間。案外早かった。

宿場の入口には飛騨街道との追分の道標。

尾州御鷹匠役場跡の碑。

飛騨とか尾州とか・・いかに遥けき地にきたものか・・。

 

それらの道標の下には中央線の線路。

名産のお六櫛屋さんや高札場、デゴイチ(一里塚跡)の前を通って宿場を抜けガードをくぐったあたりでまた雨が・・・。

 

木曽川の流れは右に左にうねり、これだけの雨でも水が濁らず、美しい景観を醸し出している。

しばらく国道歩き。

和田峠下りでも経験したが、雨の日は峠の山道より国道が辛い。

大きなダンプや乗用車のしぶきが容赦なく襲いかかってくる~。

紅葉の名所、権兵衛山付近も晴れていたらさぞかし!と無念。

吉田洞門の歩道を歩く。

だんだん本格的な土砂降りになってきた。しばらく小さなバス停で雨の止むのを待つ。

左側にあった焼肉レストランでトイレだけ借り休憩。

再び歩き出し、山吹トンネルをくぐる。

もちろん旧道はべつにあったらしいが現在は崩落危険地帯となり、歩くことはできない。

トンネルの中を歩くのは気持ちの良いものではないが、ここはちゃんと歩道もあるし、雨に濡れないだけましかもしれない。

 

トンネルを抜けると雪国ではなくて木曽町であった。そしてトンネルを出ると空が明るくなりはじめうっすらと陽が~~♪

国道沿いにコンビニ711を発見!!それもミニカウンター付き!!

11時45分。ちょっと早いが、街道歩きは食事処を見つけたら、時間には頓着せずまず入ってしまうのがやまびこ式セオリー。

(そうしないと夕方まで食いっぱぐれる恐れあり)

ちなみにおにぎりは昨日東京から買ってきた、同じ711のおにぎり。よって今日のお昼代は唐揚げとコーヒー代のみ!

時間節約にもなってありがたい。

お腹もいっぱいになり、雨もやみ、いい感じで歩いてゆくと右側に宮ノ越の宿場の道標。右の脇道に入る。

宿場を入ってすぐに美しい流れの淵「巴渕」。

このあたりは木曽義仲にまつわるの土地柄。

本陣前を通り過ぎ、一里塚を通り過ぎ宮ノ越宿を抜けて、左にコンクリート工場を見て踏切を渡ると

原野(はらの)の集落。

原野駅から少し先のなにもない畑の際に「中山道中間地点」の案内板あり。明神岩公園の向かいである。

「やっと真ん中に着いた!」という嬉しさと「まだ、真ん中!?」という徒労感が微妙に入り混じる。

東海道で中間点の袋井に着いたときは意気揚々と達成感を感じたものだが、やはり中仙道は長いなあ~。

まあとにかく、これからはひたすら京へ下る(いや、上る、が正しいのかな)一方なのだ。がんばろう!

そんなこんなでテクテク歩いてゆくと左の川の流れに沿うように降りてゆく細い脇道がある。

一瞬通り過ぎたが、ろくさんが「ここだ、ここを降りるのだ!」と

騒ぐので降りてゆく。

雨のあとで道が悪く草が生い茂って道幅は50センチくらい。サバイバル的な感じだが、やがて平地に出て正沢川に架かる赤い橋を渡る。

この橋、鉄板の御網のようになっていて川面が丸見え@!けっこう怖い。

高所恐怖症の気があるろくさんは恐る恐るペンギン歩きで渡っていた。

お婆さんが川に洗濯に降りてきそうなのどかな集落を過ぎ

シュウメイギク群落のお迎えを受け

 

さらに平らな山道を歩いて行くとひだりにこんな大きな石碑と手習天神。「?三夜」

他にも数ヵ所かで見たが、この石碑の字が読めない。読める方教えてね☆

さて、いよいよ木曽福島に入り、関所が近くなってきた。

木曽路ではこんな箇所がたくさんあって、さすがにアップダウンの多い街道筋だと実感。

ふっと国道からそれる道がたくさんある。

再び国道に出てみごとな川の風景を眺めながら進む。チラリズムの紅葉がなかなかすてき。

大きな門?をくぐって左に街道をのぼってゆくと

15時少し前。

着いた、四大関所の一つ、木曽福島の関所。藤村の「夜明け前」ほかいろいろな小説に登場する木曽福島の関所。

休憩がてら、しばし内部を見学。

関所の隣はこういうところ

関所を過ぎるとすぐに宿場の街道筋に入る。

今まであまり見なかった人間の姿がここでにわかに多数出現。

木曽福島は塩尻⇔中津川間での特急が唯一停車する駅なので観光客も多いのだろう。

予想外に早く着いてしまったので街中を一時間ほどぐるぐる回る。

ここは本陣を守るため枡形に直角に曲がる道路が作られているので散策と云うよりは、ぐるぐる回っているという感じ。

ひとりで夜歩いたら迷子になるかもしれない。

大手橋から南に向かって眺める山容。

この橋を渡ると山村代官屋敷。

 

 

日の宿はこの代官屋敷にほど近い「自由旅クラブ三河屋」さん。

お値段はリーズナブルだが、サービス面がちょっと?という感じはしました。

それでも、久しぶりの温泉は気持ち良かった。

夕飯に地酒「木曽路」をいただく。

部屋からの夕焼けがきれいだったので明日の天気に期待☆

 

本日の歩行距離:約20km、峠越えした割にはよく歩いた。

京都まであと約247㎞。(中間地点を越えたのにちょっと距離が合わないのはあくまでも現代の歩行距離だからです)

 

 

 

 

 


中仙道を歩く⑮奈良井宿の夜

2015-10-13 15:32:54 | 中仙道(中山道)

10月10日(土) 曇り

午前中に仕事と昼食をすませ、新宿へ向かう。

晴れるかも~?、と天気予報のお姉さんたちは云っていたが、どんより曇り。まあ、本日は奈良井へ泊まるだけなので天気はあまり関係ない。

明日晴れてくれれば問題ないのだが、それは望み薄。天気予報士さんたちは自信を持って日曜は雨!と断言していた。

新宿発14:00のスーパーあずさに乗り込む。

この時間に出発と云うのもあまり経験がないので中途半端な気分。

この「あずさ」は塩尻にも下諏訪にも止まらないので上諏訪で降り各停に乗り継ぎ、さらに塩尻で中津川行きの鈍行に乗り換える。

木曽方面への旅は長い汽車の旅でもある。

17時29分着の到着予定より5分ほど遅れて奈良井に着く。

 

奈良井の宿はちょうど夜のとばりが降り、前回賑わっていた街道筋には人っ子一人いない。

街全体が重要文化財(正しくは「国の重要伝説的建造物群保存地区」というらしい)であるこの宿場町のいちばん美しい時間ではなかろうか。

 

 

少々贅沢をして、今回は創業が寛政年間から続く古い旅籠「越後屋」さんに宿泊。

一日に2組しかお客さんを取らないのでここを予約できたのは奇跡的。

当主は9代目。飾り気のない丁寧な応対をしてくださる。

もちろん当時をしのばせる部屋の造作。

 

わたしたちは2階の部屋だったので、トイレお風呂洗面所は1階におりて暗い廊下の端っこまで歩かなくてはならない。

それもたいへんに幅の狭い急な階段を;;。

信濃路の和田峠越えの前に望月の宿場でも古い旅館だったので、それ自体は不便さは感じないが、たぶん、もっと高齢になって足腰が悪くなったら、

または相当な重量級になったらこういうところには泊まれないかもしれない。

お風呂はコウヤマキの木造リ。小さいがいい香り。ヒノキはもっといい香りだがずんで来るのが早いらしい。

ご主人自ら夕飯のご馳走の説明をしてくださる。夕飯:鯉の洗い、錦糸カボチャ、ササゲの胡麻和え、各種キノコの酢の物、などなど・・。

岩魚の山椒味噌焼き。この他、地野菜の天ぷら、ご飯、具だくさん味噌汁。デザートに塩尻産のブドウ3種。(奈良井はまだ塩尻市なのである)

 

 

テレビも時計も部屋には無い。ご主人と四方山話をしているうちにも時間は過ぎ、心づくしの地野菜の数々にひとつひとつ舌鼓打ちながら、

そして地酒をいただきながら(この夜は「仲乗りさん」)幸福感にひたっているうちに夜は更け、階下の振り子時計がボーンボーン♪と時を告げるのを聴いて眠くなったら眠りにつくのであった。

 

 


中仙道を歩く⑭洗馬~本山~(日出塩)~贄川~(木曽平沢)~奈良井

2015-09-24 14:47:22 | 中仙道(中山道)

朝起きると、民宿のおじさんは早々に長い地下足袋を履いて山へ。

おじさんからは自家製のわさび漬けや、疲れたら食べてね、と、おばさんからは梨をいただく。感謝。

7;30宿を出発。(ここから写真が大きくなったり小さくなったりいろいろしますので煩わしいかと思いますがご勘弁!クリックすると大きくなるのもあります)

 

ガードレールの上が国道、旧道はこの下を歩く。昨夜の地酒「七笑」は美味しかった。何杯でも呑めそうであった。

祭りの準備のおじさんが縄をないながら挨拶をくれる。

国道にいったん出てすぐに右に入るとすぐ本山の宿。洗馬からは約3㎞の短い宿間距離。間の宿だったのだろうか?

小さいながらとても穏やかで人情味がある街。おもしろいもので地方にゆくと歩いているだけで町のカラーがわかる。

ちなみに中央線中津川線にはこの宿場の駅はない。

このあたりから秋祭りの準備があちこちに見られる。

本山は蕎麦打ちの発祥の地でもあるらしい。ここでお蕎麦を食べたかったがここを通過したのはまだ8時半頃であった。

宿場の西詰の本山神社の祭礼ということで山の上の神社にはたくさんの男の人が準備のために集まっていた。

ここでも誰もが挨拶をしてくれて、街道歩きの話が弾む。

まもなく日出塩の集落。こちらは鉄道の駅がある。

このあたりの集落、宿場は山に囲まれた道の合間にひょいっと小さく暖かい人々の生活が感じられる。

こういう自然の土地と人々の性格の感じの良さは山の気なのだろうか?

ここも祭りの準備に余念がない。だんだん天気が良くなり暑くなってきた。

 

宿場間は国道に沿う道が多いのだが、ときおりすぐそばを走る抜ける電車がいちいち楽しい。

さて、いよいよ出ました。国道脇(元は旧街道)に

「是より南、木曽路」の道標。

う~~~ん、よくここまで来たものだ、嬉しい!しかし、空はいよいよ青く暑い!

 

左に断崖絶壁、右のはるか下には(関東人から言えば非常に不可思議な逆流)滔々を流れる奈良井川の渓谷。

行く手の桜沢の近くにはダム。

 

若神子の一里塚を右に見て小さい道に入ると小さい集落。

三段式水場。このあたりからこういう水場がどんどん現れ、おばさんが三段目で洗濯をしていたりする。

わたしもペットボトルに一段目の水をいただく。美味しい☆

また国道に出て贄川の宿に入ったのは11時頃。

線路をまたぐ橋には木曽節の歌詞が書いてあり、欄干に吊るされた金属の筒を鳴らすと木曽節のメロディに

なるらしいのだが、あいにくところどころ壊れていて自分で歌うしかなかった♪

橋を渡ったところには贄川の関所。

中を見学。今さらながら中仙道の参勤交代の道中に想いを馳せる。

☆最近になって浅田次郎さんの「一路」を読んだが、なかなかおもしろかった☆

皇女和宮さんに着いて江戸入りした岩倉具視が贄川宿の娘さんに書いたラブレターなどが展示。

本陣跡近くの旧家の庭先に咲いていたシュウメイギク。

 

小さな神社の鳥居のそばに水場がある。

贄川から奈良井までの間は知る人ぞ知る漆器の町、木曽平沢がある。

ここでもすでに漆器の製作は行われていてお店がいくつか。

「ひのきや」さんという店に入って街道歩きの記念に厚手の栗の形の木皿を買う。

話好きのおばさんに大サービスしてもらう。

そろそろ13時近く。「ひのきや」さんのおばさんが教えてくれた蕎麦屋「ながせ」で昼食。

山菜天ぷらそば。

タンポポ、山ニンジン、スイバの天ぷら。やっぱりお蕎麦は美味しい!!

お腹がいっぱいになって、ひたすら奈良井宿に向かって出発。

途中国道の道の駅に出て地元の物産工芸品を見る。ここはなかなか規模が大きくて見ごたえあり。

ちょうど家の風呂桶が古くなっていたのを思い出し、ここで風呂桶を買う@!

夫はここからずっとそれを持って歩く。

楢川の瀬音を聴きながら歩いてゆくと名前も知らなかった集落に出会う。

木曽平沢である。

山間の下り道が終わる頃行く手に見える家並み。ほとんどすべての家の屋号のそばには「漆器」と書かれてある。

ガイドブックにない、そこだけ世間の賑わいから隔絶されたような町並み。

そういうものがこの街道沿いに幾つあるのだろう。

かつて東海道歩きで、有松の町並みに遭遇したような嬉しい驚き。

昼下がりの漆の街はひっそりしていた。

素晴らしい工芸品の置いてある店では品のよいお婆さんが奥から出てらして、珈琲でも飲んでいらっしゃいませんか?

と聞いてくれる。何にも品物を買ったわけでもないのに。

さらに歩いて行くと、後ろから大声で「今お茶を淹れるから寄っていってくださーい!」と元気なおばさんの声。

通り過ぎた無料休憩所のおばさんらしい。

一瞬どうしようかと迷ったが、せっかくの旅の出会い、折り返して中に入る。

漆器作り工房を兼ねる休憩所なのか、中の様子もほのかな木の匂いとぬくもりでいっぱいである。

中には地元の漆器職人さんと地域振興の女性が居合わせ、自家製のお漬物やらブドウを出してくれる。

地元の話、漆の話、いろいろ伺う。

偶然に通りかかった街道歩きの旅人にこんなにも手厚くてもてなしてくれる人々がいるのだ。

 

宿場と宿場に挟まれたちいさなダイアモンドみたいなところだと不思議な感覚に包まれて平沢を後にする。

15時頃になって陽はいっそう暑くなる。

川を左に見て踏切を渡る。

 

線路と平行にまだ漆器店の並ぶ道を歩いてゆくと、行く手に並ぶ屋根が見えてくる。

奈良井宿である。

木曽路に入りこの一本道をずっと歩いてきて、いや、お江戸の板橋宿を出て数十里、いよいよ中仙道六十九宿の真ん中の宿場である。

駅が近づくにつれ感激でちょっとうるうる。

15時20分頃、奈良井着。

実は五年ほど前に、奈良井、木曽福島、妻籠、馬籠、へは車で来ている。

車では実に簡単だった。楽だった。SAやPAで降りるほかは点と点を目標に車が走っただけだった。

だが、この街道歩きは違う。

丁寧にゆっくり又あるときは足早に、土地の人々と触れ合い、花々に慰められ、ブドウの香りの嗅ぎ、水の音を聴き、道祖神に案内を乞い、点と点を結ぶ線の中を五感の働きをいっぱいに感じて進む旅だった。

帰りは塩尻まで出て17:07発あずさ56号に乗り新宿へ。

さて、ホントは木曽路を中津川まで一気に通関したいところだが、なかなか時間の調整がつかないのが悲しいところ。

次回は奈良井からどこまで歩けるかスケジュールを睨み合わせて待つのも旅の楽しみとしましょう。

今回の歩行距離:約20㎞

京都まであと約267㎞


中仙道を歩く⑬下諏訪~(塩尻峠)~塩尻~洗馬

2015-09-24 12:51:40 | 中仙道(中山道)

前回の和田峠越えとは打って変わって晴天続きの連中の天気予報。

今回はいよいよ木曽路に入ります。

シオン、コスモス、シュウメイギクなどの咲き乱れる街道筋には人情も盛りだくさんでした。

距離が遠くなるにつれて朝の出発も早くなってきます。

新宿発7:18分のあずさ51号に乗る。

10:00少し前、下諏訪着。

この間大雨の中、歩きついた場所なので、晴れているとこんな駅の風景かと、少し驚く。

ここから岡谷を通り過ぎ塩尻峠に向かう。

岡谷に続く道は絹の道とも呼ばれ、養蚕と絹織物で名をはせた町。

ゆるやかな上り坂を歩いて行くと右側に「ひかぎり地蔵」とかかれたのぼりが立っている。

毎月23日にお参りすると多大なご利益があるとか…今回は2日違いで残念だったが、とりあえずお参りをしましたよ。

 

「右中山道 左いなみち」と書かれた道標を通り過ぎしばらく行くと今井の集落。

ここは塩尻界隈の宿場でも一つの歴史を刻んだ町。詳しく調べるとタイヘン面白そう。

どんどん登り道になってきて岡谷のインターのあたりの中央高速道路を回り込むように道は続く。

ドライブでは何度も通っているこの自動車道、上から見るとまるでおもちゃの国のようです(^^)

しい水の流れ落ちる石船観音の苔むした境内でひと休み。

道はアスファルト整備されているけれどけっこうきつい。

↓どこから飛んできたのか大昔からここに鎮座ましますこの大石を過ぎると

次第に急峻な山道となり、あたりは静けさの中に鳥の声、そして自分の息切れの音。

 

途中2組くらいの軽装の家族連れとすれちがう。地元の人にとってはハイキングコースなのか、

ルンルンお喋りしながら下ってくるけれどこっちはヒイハアヒイハア・・・きついぜ。

まだ旅の始めなのでゆっくりゆっくり休みながら登る。

まだかな~、と思ってふと右を見ると明治天皇御行幸の野立て処という石碑、その後方に展望台がある!

階段をよじ登って展望台のてっぺんに立ちますと、いやいやあっぱれあっぱれ!(と云うには曇りがちだったが;;)

登ってきた下諏訪岡谷の街が一望に見渡せるではありませんか!!

これがあるから辛い登りも耐えられるのである。

もっと晴れていれば右前方に富士山も望まれるらしい。

そして反対側を見渡せば、これから歩いてゆく木曽への山の襞が折り重なって見える。

塩尻峠は同じ信濃の国にあって諏訪地方と木曽地方を隔てるひとつの壁かも知れない。

さて、下りはさっき登りの時にであった家族のようにルンルンである。まったくなぜにこんなに上りと下りでは

心臓への負担が違うのだろう?!

どんどん下ってやがて東山の一里塚を越えたところで国道と合流。

もうすでに12時。

どこかに食堂はないかと探し始める、街道筋にはなかなか食事処を見つけるのは困難なのだが国道に出たのでもしやと思ったら

ラッキーなことにあったあった、ありました!

 

このどでかい看板!もうこの看板がみえると同時に焼肉の匂いが漂ってきます♪♪♪

まるで馬の前にニンジン。一目散にその食堂へ!

中もだだっ広いこの食堂はいまどき珍しくもうもうと匂いが立ち込め、車で来たお客さんんでいっぱい。

そういう方々を尻目にビールで乾杯!美味しかったが夜まで焼肉の匂いは体から消えなかった・・。

おまけのソフトクリームを食べ歩きながらまた旧道に入り、さらに下る。

柿沢の町へ向かうこのあたりの道、おちついてとてもよかった。

車が殆ど通らないのに設けられた地下道をくぐって上に出るとこういうところ↓を過ぎ

なんとなく雅で豪邸の立ち並ぶ柿沢地区に入る。

このあたり宿場でないのに高札場があったりする。

昔は立場茶屋でもあったのか?

塩尻峠を越えてから時折目にするこういう屋根造りの家。説明書きがありました。

 

ふたたび国道に合流。

三州街道の分岐道標を左にみて歩くと塩汁の宿場である。

塩尻市はなんとここから木曽の奈良井までを包括している大きな市。

町全体が威風堂々としている様相。

重要文化財の古い家の軒先でひと休み。

車のプレートが松本ナンバーなのが、よくぞここまで来た!という感慨を呼び起こす。

阿礼神社や

もう標識に中津川の文字が見え始めた。

塩尻宿のはずれの目印、大門神社。

この境内の横には耳塚があり、古びた祠の中にはたくさんのカワラケが願掛けのしるしとして吊るされている。

わたしもしっかり拝む。

さて、広大な敷地の昭和電工の裏を歩いてゆくと、のびやかに広がる田園風景。

ソバやキャベツやたくさんの野菜、刈られた稲穂・・・。

こういう風景にほっと安心感を憶えるのは日本人だからなのか。

 

平出遺跡が左にみえるあたりは一面のブドウ畑。

ここを歩くときはこのうえなく幸せな気分であった。

房の稔りの豊かさに加えて甘く漂うブドウの香り!

これはたぶん、歩いていなければ味わえない香り。

疲れるほどずっとずっとブドウの道である。

踏切を渡り、ブドウの販売店の立ち並ぶ国道をしばらく歩く。

もうそろそろ陽が傾きかけてきた。

国道から右の道を入るとまもなく洗馬(せば)の宿。今日の宿泊地である。

この宿場は大火のため今では遺構はあまりないが「あふたの清水」で有名な、水の音のきれいな静かな宿場町である。

こういう分かされ道をみるとゾクゾクしますね。

民宿「千倉」は宿場の終わる頃、左の道を上がって国道にでたところに建つ、昔ながらの宿。

到着は17時頃。

お世辞にもきれいで近代的とは言えないが、街道歩きで宿に着いてやれやれと畳の上にリュックを下す時はほんとに疲れも一緒におりる。

昔の人は一日40キロを平気で歩いたらしい。

どんなにかその日の旅籠の到着を楽しみにしていたことだろう。

さて、この民宿の食事はいえばすごいのよ(^0^)//

キノコ尽くし料理です。食卓はすべてキノコキノコキノコ!!!

とてもユニークな宿のおじさんが自分の山から毎日採ってくるとのこと。

キノコ以外はキノコ鍋に入ったお豆腐とキノコのお浸しについた大根おろしだけ。ご飯もキノコご飯。

おまけにマツタケの刺身付き!!!!

キノコの夢を見るかと思ったけれど、夢も見ずに20時半にコテッと就寝であった☆

本日の歩行距離:約19㎞。

京都まであと約287㎞。300㎞を切った!