そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

庭園日本一と言われる足立美術館庭園(島根・安来市)

2010年11月28日 | Weblog
庭園日本一と言われる足立美術館庭園

 足立美術館のホームページ等によれば、
 米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が「2010年日本庭園ランキング」を発表、足立美術館の庭園が初回の2003年から8年連続で「庭園日本一」に選出され、はたまた、フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』において、足立美術館の「日本庭園」が山陰エリアで唯一となる最高評価の「三つ星」と評価された!と、記されている。
 同館のキャッチコピーにある“名園につつまれ、名画に染まる”と、あるように日本庭園と近代日本画が鑑賞できる美術館として、年々その評価が高まり、多くの見学者が訪れている。
 創設者、足立全康氏が収集した、横山大観をはじめとする近代日本画を初めとした陶芸、彫刻、蒔絵などのコレクションの数々が来館者を魅了。
 特に、恵まれた自然を借景とした、四季折々の表情を醸し出す50,000坪の日本庭園が人気を読んでいる。
 日本庭園を見る、外国人の感性と日本人の感性との差があるかも知れないが、8年連続の日本一は素晴らしい快挙! 見事に手入れされた庭園は訪れる価値は十分あり、多くの見学者が鑑賞に足を運ぶのも納得である。
 なお、美術館内のコレクションは素晴らしいものばかりであるが、撮影禁止のため庭園のみご紹介したい。

  足立美術館の公式H.P      駐車場:有り(無料)

 この“足立美術館庭園”をデジブックにしましたので、ご高覧頂ければ幸いです。

デジブック 『足立美術館庭園』


足立美術館 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)



錦秋の松江城(島根・松江市)

2010年11月21日 | Weblog
壮重雄大な5層の天守閣

 リーフレットによれば、
 松江城は千鳥城ともいい、全国に現存する12天守閣の一つで、平面規模で2番目、高さでは3番目、古さで5番目であり、国指定の重要文化財となっている。
 築城は、慶長16年(1611)出雲の領主・堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成させた。
 天守閣は、付櫓を加えた複合天守で高さ30m、外観5層、内部は6階となっており、最上階は望楼式で、下見板張りの壁や狭間、石落としなど実践本位で安定感のある無骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な姿を伝えている。
 と、記されている。
 天守閣からの眺望は360度見渡すことができ、眼下の眺めは素晴らしかった。
 また、城周辺も比較的整備され、小泉八雲の旧宅や武家屋敷等、見所が多い観光地でもあった。

  松江市城山公園管理事務所の公式H.P      駐車場:有り(有料)

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デジブック 『錦秋の松江城』


松江城 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)


倉敷 美観地区(岡山・倉敷市)

2010年11月14日 | Weblog
倉敷川、両岸の柳が美しい

 ウィキペディアによれば、
 倉敷美観地区(くらしきびかんちく)は岡山県倉敷市にある伝統的建造物群保存地区。 国選定の重要伝統的建造物群保存地区としての名称は倉敷川畔伝統的建造物群保存地区。
 江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残しており、1979年に岡山県内2件目となる重要伝統的建造物保存地区に選定されている。
 また、1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館大原美術館や1888年(明治21年)に代官所跡地に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修・再利用した観光施設倉敷アイビースクエア等も当地区を代表する建築物である。 と、記されている。
 今回の訪問では時間がなくて美観地区の全てを撮ることが出来ず、一部の紹介にとどまるが、この地区の趣を感じ取って頂ければ幸いである。

  倉敷市の公式H.P      JR岡山駅より、徒歩5分

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デジブック 『倉敷美観地区』


倉敷 美観地区 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)

出雲伊波比神社の流鏑馬(埼玉・毛呂山町)

2010年11月07日 | Weblog
疾駆する馬上から、二の的に向かって騎射する騎士

 毛呂山町の出雲伊波比神社の流鏑馬は、毎年11月3日に行われている。町のリーフレット等によると、その起源は源頼義、義家父子が奥州平定のために本神社に戦勝祈願をし、康平6年(1063)、凱旋の際に再びこの地を訪れて流鏑馬を奉納したのが始まりと言われている。
 かって、埼玉県内各地で行われていた流鏑馬も毎年行われているのは毛呂山町だけとなっている、とのこと。
流鏑馬を守り、継承するには、口取りの皆さんの馬の世話や稽古等の精進を重ねなくてはならず、このような活躍があってこそ流鏑馬が継承される大きな礎となっている。
 出雲伊波比神社の流鏑馬では一の馬・二の馬・三の馬によって奉納され、一の馬は白(源氏)を、二の馬は紫(藤原氏)を、三の馬は赤(平氏)を表しているという。
  また、騎士は町内の小中学生がつとめているのが特徴でもある。

  毛呂山町の公式H.P     駐車場:有り(無料)

 この“出雲伊波比神社の流鏑馬”をデジブックにしましたので、ご高覧頂ければ幸いです。
デジブック 『毛呂山町の流鏑馬』


出雲伊波比神社 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)