そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

旧陸軍桶川飛行学校 跡(埼玉・桶川市)

2009年12月27日 | Weblog
今では静かに陽光を受ける「旧陸軍桶川飛行学校」兵舎跡

 皆さんは、桶川に旧陸軍の飛行学校があったことをご存知でしょうか?
 「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」のリーフレットによると(要約)、旧陸軍桶川飛行学校、正式には「旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」は、昭和12年に桶川市の川田谷に開校、航空兵を希望した招集下士官、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官など、昭和20年2月の閉校迄に20期余り、推定1,500~1,600名の航空兵を教育し、多くの卒業生は戦地にお赴き、多数の戦死者を出した。
 特に昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年4月5日、陸軍初の練習機による特攻となる振武第79特別攻撃隊12名が知覧に向け飛だった、と記されている。
 現存する兵舎等は守衛所、車庫、営庭、本部兵舎などが残り、滑走路は現在の桶川飛行場(ホンダエアポート)と同じで、そばに格納庫や現地事務所があったとのこと。
 現在、「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」が中心となって、この貴重な遺跡を保存する運動が行われている。
 なお、建物内部の見学は第1、第3日曜日に公開されている。
 ※ 多くの画像をy.sさんに提供して頂き、感謝しています。
 

 「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の案内板(画像をクリックしますと拡大します)
  駐車場:有(無料)

 
兵舎出入口と本部兵舎跡の看板

 
兵舎前に建てられた「鎮魂之碑」 老朽化がすすむ貴重な兵舎

 
車庫跡と弾薬庫跡

 
左:兵舎入口にある解説(画像をクリックしますと拡大します)
右:多くの飛行兵の訓練が行われ、また、練習機による特攻作戦に飛びたった桶川飛行場

 
本部兵舎の建物配置図 旧陸軍桶川飛行学校の案内(各画像をクリックしますと拡大します)

「旧陸軍桶川飛行学校」地図
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田舎教師 所縁の寺「建福寺」(埼玉・羽生市)

2009年12月20日 | Weblog
落ち着いた佇まいの「建福寺」

 四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出しを出した田舎の姐さんがおりおり通った。
 これは、皆様ご存知の田山花袋の名作「田舎教師」冒頭部分である。
 小説「田舎教師」は、ここ羽生が舞台となっており、市内各地にそのゆかりの跡がのこされている。羽生市教育委員会の案内板にあるように作者田山花袋は、この建福寺に下宿していた青年教師、小林秀三の日記を目にし、それをモチーフとして書き上げた。
 小林秀三は21歳の若さであまりにも若くしてこの世を去った。志なかばにして果てた無念さは如何ばかりであったろう、悲しい限りである。
 この作品は、小林秀三が書き残した日記をもとに田山花袋が書き上げた小説で、登場人物はほとんど実在した人々といわれる。明治30年代の羽生の自然や風物、人間模様が生き生きと描かれ、小説の主人公「林 清三」を中心とした香り高い青春小説であり、多くの動植物が登場する自然文学ともいわれている。
 なお、「田舎教師」は青空文庫でファイル化されているので、下のリンクバナーをクリックすると読む事が出来る。
 

 田舎教師研究会の記念碑(画像をクリックしますと拡大します)
  駐車場:有(無料)
 (このバナーをクリックすると青空文庫内の「田舎教師」がご覧になれます)
 
 
山門を潜り、石仏の先を左に曲がると墓碑等がある

 
「田舎教師」の碑(小杉放庵の筆) 史跡田舎教師の墓の案内板(画像をクリックしますと拡大します)

田舎教教師 所縁の寺「健福寺」地図
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圧巻のイルミネーション住宅(埼玉・伊奈町)

2009年12月13日 | Weblog
このお宅のイルミネーションは豪華絢爛!お見事で~す

 彩の国の住まいらしく?、イルミネーションで彩やかに飾られた住宅が毎年、年末になると伊奈町の閑静な住宅街の一角に現れます。
 昨年迄は10軒余りの住宅が屋外や庭を飾り付けていましたが、今年は環境問題に配意されたか、はたまたゾロゾロと押し寄せる見物人対策なのかは分かりませんが、その数が半減してしまい大変残念であります。
 しかし、半減したとはいえその見事さは変わりありません。今回、その素晴らしさを「デジブック」に作成しましたので、是非、ご覧下さい。
  駐車場:無し(多くの方は路駐していましたが、取り締まりの対象とならないよう自己責任で対処されますようにお願いします。)

“ina イルミネーション住宅”をお楽しみ下さい(デジブックをクリック)
デジブック 『聖夜の街、“ina”』


イルミネーション住宅 地図
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日本郵船“氷川丸”(神奈川・横浜市)

2009年12月06日 | Weblog
「太平洋の女王」とも呼ばれた、横浜港のシンボル 日本郵船“氷川丸”

 横浜港のシンボル的存在の氷川丸!「太平洋の女王」とも呼ばれた豪華客船がその優雅な姿のまま横浜(山下公園)に係留され、多くのフアンを楽しませている。
 “氷川丸”のパンフレット要約すると、
 昭和5年にシアトル航路用に建造された貨客船で当時の最新鋭大型ディーゼル機関を搭載し、水密区画配置など先進の安全性を誇っていた。一等客室にはフランス人デザイナーによるアールデコ様式の内装が施され、太平洋戦争前にはチャーリー・チャップリンを初めとした著名人等約1万人が乗船する等の活躍をした。
 その後、戦雲ただならぬ中、政府徴用船、および海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷したが、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れた強運の船であった。
 戦後も引き続き病院船のまま復員輸送に従事し、昭和22年に復元工事で貨客船に戻り、国内航路定期船、後に外航不定期船、昭和26年8月からはシアトル・ニューヨークおよび欧州航路定期船に就航。
 昭和28年には内装をアメリカンスタイルに改装し、シアトル航路に復帰、フルブライト留学制度での渡航者約2,500人を含む乗客、約1万6,000人を輸送し、活躍した。
 昭和35年、船齢30年に達し、同10月シアトル、バンクーバーから神戸に寄港、係留地横浜への回航を最後に第一線を退いた。
 太平洋横断254回、船客数は2万5千余名。 と記されている。

  日本郵船“氷川丸”のホームページ
  乗船料:200円(「日本郵船歴史博物館」とのセット券 500円)

  
氷川丸の優雅な船尾       船橋から見た船首方面


船橋からの大桟橋方面の景色をお楽しみください

  
船名は武蔵一宮「氷川神社」より命名(クリックすると拡大) 船内装飾はアールデコ様式

氷川丸 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)