そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

北本自然観察公園の“エドヒガンザクラ”(埼玉・北本市)

2009年03月29日 | Weblog
200歳以上と言われる“エドヒガンザクラ”

 この“エドヒガンザクラ”は北本自然観察公園内にある北本市指定の天然記念物、高さ29m、根回り3メートル、樹齢約200年以上と 言われている。
 ソメイヨシノよりも濃いピンク色で小さめの花をつけ、開花はソメイヨシノ等の他の桜より早咲きである。現在は満開状況であるが、まだまだ楽しめる。近くには普門寺(桶川市)の枝垂れ桜や高尾さくら公園(北本市)等があり、桜見物にはことかかない地域である。
 “エドヒガンザクラ”の周辺には動植物の保護のため、木道が敷いてある。木道や園路以外の場所には立ち入らないようお互い気をつけよう!
 なを、北本自然観察公園は32.9haの広さがあり、埼玉県の「里地里山」の自然環境を残しながら野生の生 きものが生息しやすく、かつ、来園者が自然に親しめるように整えられ た公園で、1992年(平成4年)にオープン、自然愛好者やバードウオッチャー等が多く訪れている。

  北本自然観察公園H.P  埼玉県自然学習センターH.P
  駐車場:有り(無料)

  
満開の“エドヒガンザクラ” 花びらは小ぶりで可憐です

  
早咲きの“ソメイヨシノ” 自然観察公園入口付近に咲いていました

  
 左:“エドヒガンザクラ”はこの奥に咲いています。この写真の左上の樹木にカラスの巣がありました 
 右:この案内板をクリックしますとカラスの巣が見えますよ!


北本自然観察公園 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)


遷喬館と時の鐘(埼玉・岩槻)

2009年03月22日 | Weblog
遷喬館(せんきょうかん)外観 埼玉県で唯一文化財で公開している建物

 遷喬館は、「岩槻に 過ぎたるものが 二つある 児玉南柯と時の鐘」と謳われた、児玉南柯が開いた学問所。
 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
 武蔵国埼玉郡岩槻(埼玉県さいたま市岩槻区本町)にあった岩槻藩の藩校。遷喬館の名は中国最古の詩経の「出自幽谷 遷干喬木」に由来する。遷喬館の扁額は岩槻藩大岡家第5代・忠正の兄にあたる八田藩第3代藩主加納久慎が大書したものである。建物は武家屋敷を利用した物であり、木造平屋建て、茅葺屋根の構造。現在、埼玉県の指定史跡となっている。
  1,799年に遷喬館が開かれ、1,805年から1,811年ごろに岩槻藩の藩校となる。1,814年に学舎を修理し(現・遷喬館)、1,869年、明治維新によって廃止された。1,939年に埼玉県の史跡になり、1,956年に昭和の改修が行われる。そして、1,998年度から1,999年度に史跡保存管理のためのデータ収集や保存管理計画を策定。建物の傷みが激しいため、2,003年から2,005年にかけて、全面解体修理を実施、地下の遺構に影響が及ばないように修理工法を検討、発掘調査や残された木材の加工跡などを検証、藩校当時の状態に近づけるために復元を行った。
 と、記されている。
  案内版(画像をクリックしますと拡大します)
  さいたま市の公式H.P(遷喬館)
   さいたま市の公式H.P(時の鐘)
  東武岩槻駅から徒歩5~10分

  
建物外観と内部(全体として質素な作りである)

  
岩槻郷土資料館に展示されている遷喬館関連資料

  
春満開!時の鐘の鐘楼(クリックしますと説明板が見えます) 昔を伝える、時の鐘


地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)
遷喬館

時の鐘


時の鐘の桜も開花! 春の日差しを浴びた花々が今、目を覚まします。
“春の花々”をデジブックに作成しました。ぜひ、ページを開いてご覧下さい!




湯島聖堂(東京・文京区)

2009年03月15日 | Weblog
大成殿(孔子廟)土・日・祝には内部公開される

 湯島聖堂は元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた本来は孔子廟である。JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口から聖橋を渡りすぐ右手にある。
 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた孔子廟「先聖殿」が移築され、将軍綱吉は先聖殿を「大成殿」と改称し、またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。林家の学問所も当地に移転している。
寛政異学の禁により、1,797年(寛政9年)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。
ここには多くの人材が集まったが、維新政府に引き継がれた後、1,871年(明治4年)に閉鎖された。教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを組む開成所、種痘所の流れを組む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せることができるほか、この地に設立された東京師範学校(現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学) の源流ともなった。
 と、記されている。こうしたことから、この地は「日本の学校教育発祥の地」と言われている。
  案内版(画像をクリックしますと拡大します)
  湯島聖堂(財団法人斯文会)の公式H.P
  お茶の水駅から徒歩3分

  
大成殿を守る、屋根上の聖獣

  
湯島聖堂の碑(クリックしますと説明板が見えます) 杏壇門前からニコライ堂を望む(丸いドーム屋根の建物)

  
入徳門から杏壇門を仰ぐ  日本一大きいと言われる孔子像

  
仰高門と関東大地震でも焼失が免れた入徳門  

湯島聖堂 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)


忍東照宮・諏訪神社(埼玉・行田市)

2009年03月08日 | Weblog
忍東照宮・諏訪神社 拝殿

 忍東照宮は、石田光成が忍城を水攻めにしたものの落城せず「忍の浮城」と呼ばれた忍城の諏訪曲輪であった場所にある。
 その創建は、文政6年(1,823)、忍城主になった松平忠尭が、徳川家康の長女・亀姫以来、代々、奥平松平家に伝えられた徳川家康画像(県文化財)を御神体として安置するために建立したことに始まると言われている。
 この東照宮は、寛永2年(1,625)に大和国郡山城内に社殿を造営したのが始まりで、奥平松平氏が転封になるたび、その都度、遷座され、歴代藩主の篤い保護のもと社領100石を授けられていたそうである。
 忍諏訪神社は後鳥羽天皇の建久年間(1,190)に忍三郎ら忍一族が創建し、成田親泰が忍城を構築した際に城鎮守としたと伝えられている。詳しくは、下記案内板をご覧下さい。
  案内版(画像をクリックしますと拡大します)
  忍城址内の駐車場を利用すると便利(無料)

  
 左:奥行きの長い境内です
 右:阿吽の狛犬が睨みを利かせています
(狛犬研究家のshio氏によれば、この狛犬は奉納時の時代を反映した国家神道色が強く出ている「護国型(大宝神社型)」と言うそうである)
  
隣の忍城趾内にある御三階櫓、景観賞を受賞したそうですが電線が気になりますね

忍東照宮・諏訪神社 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)


さきたま古墳群(埼玉・行田市)

2009年03月01日 | Weblog
遥か昔の貴人が眠る?丸墓山古墳前でグランドゴルフに興じる人たち

 「さきたま(埼玉)古墳群」は行田市の市街地から南東へ約1kmにある。大型古墳が集中(9基)していることで全国的に有名で、昭和13年8月に国の史跡として指定を受け、 埼玉県により「さきたま風土記の丘」(さきたま古墳公園)として整備が進められている。大型古墳の中でも丸墓山古墳は日本一の円墳と言われている。
 また、稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)は、115文字の銘文が持つ歴史上の意義から国宝に指定され世間の注目を集めており、公園内の「さいたま史跡の博物館」で展示公開されている。
 今回は9基の古墳のうち、北東側の4基(丸墓山古墳、稲荷山古墳、将軍山古墳、二子山古墳)をご紹介。
  駐車場:有り(無料)   「さいたま史跡の博物館」入館料:200円
  さいたま史跡の博物館の公式H.P

  
丸墓山古墳(高さ18.9m、桜の見所としても有名)    稲荷山古墳(高さ11.7m)

  
将軍山古墳(高さ8.4m、横穴式石室を見学できる無料展示館がある) 二子山古墳(高さ13.0m)

  
古墳群遠景(丸墓山古墳、稲荷山古墳) 古墳群の周囲はこのような田園風景が続いています


さきたま古墳群 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)