この地で戦われた河越夜戦は、厳島の夜戦、桶狭間の夜戦に並ぶ戦国期前期の日本三大夜戦の一つと言われている。
天文6年(1537)の戦いで北条氏綱に敗れ河越城を奪われた上杉朝定はこれを奪回すべく、同14年(1545)山内上杉氏・古河公方足利氏と連合軍を組んで総勢八万騎の軍勢を率いて河越城を包囲した。かたや河越城の守備勢はわずか3,000、しかも翌年春には兵糧も尽きて危機的状況だったところで北条氏康率いる援軍八千騎が駆けつけ、夜陰にまぎれて猛攻を開始、城兵もうって出たため油断しきっていた上杉・古河連合軍は大混乱して朝定は討死、また山内上杉勢は平井城へ、古河公方軍は上州へ敗走したと伝えられている。
今は、川越市内の静かな住宅地となった夜戦跡は東明寺の境内にその碑を残すのみで、その跡形を見いだすこともできない。
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