そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

真山神社&ナマハゲ伝承(秋田・男鹿市)

2010年05月30日 | Weblog
季節外れのナマハゲ来訪!?

 真山神社はご由緒によると、
 12代景行天皇の時代、武内宿禰が男鹿を視察の折、使命達成・国土安泰・武運長久を祈願して主祭神を祀る。
平安時代以降天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤神明神と習合、真山別当光飯寺が開かれる。南北朝時代には真言宗に転じ東北豪族の庇護のもと修験の霊場として栄えた。江戸時代には藩主佐竹侯の祈願所となり数々の寄進崇敬があった。 と記されている。
 また、ナマハゲ行事は毎年、大晦日の晩に男鹿半島のほぼ全域で行われる伝承行事。男鹿のナマハゲは真山・本山に鎮座する神々の使者と信じられており、災禍を祓い、豊作・豊魚・吉事をもたらす来訪神として各家々では丁重にもてなすという。

 

 真山神社の案内版(画像をクリックしますと拡大します)

 
仁王門を潜り、急階段を登ると真山神社拝殿

 
狛犬が睨みをきかす薬師堂  千数百年の樹齢と言われる古木

 
真山神社境内のナマハゲ習俗を学べる「男鹿真山伝承館」

 
男鹿の地元若者達の「ナマハゲふれあい太鼓ライブ」その熱気溢れるライブは感動もの!

 
この若者達が躍動する情熱ほとばしるライブは必見、実に素晴らしいものだった。

真山神社 地図
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五能線(あきた白神~十二湖駅)

2010年05月23日 | Weblog
あきた白神駅に入構する「五能線」車両(普段は一両編成のようですがこの日は三両編成)

 ....... 女 みちのく 五能線 窓いっぱいに 日本海 と、熱唱する水森かおりのご当地ソングでも有名にもなった「五能線」。
 この五能線の「あきた白神~十二湖駅間」を30分余りの短時間であったが楽しんた。
 日本海というと、どんよりと雲に覆われ、波しぶきで荒れる海とのイメージが強いが、この日の日本海はJRのリーフレットにあるように「春から初夏にかけて
北東北の大自然はまばゆいほどの輝きを放つ時、
車窓に映し出される美しい景色、豊かな自然は...」のとおりで紺碧な空、波穏やかに迎えてくれた。
 JR五能線は、秋田県北部の沿岸から青森県津軽地方の内陸までの間147.2kmを走るローカル線で車窓から素晴らしい日本海や豊かな自然を見せてくれる、いまや女性に大人気の路線となっている。

 
あきた白神駅    入構する五能線

 
この日の日本海は蒼く、々、そして穏やかだった

 
岩館駅ですれ違い、遠ざかる「リゾートしらかみ“橅”」

 
車窓に広がる海岸線

あきた白神駅 地図
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日本三大渓谷“清津峡”(新潟・十日町市)

2010年05月16日 | Weblog
柱状節理の岸壁と清流美が楽しめる“清津峡”

 新潟・湯沢町八木沢から中里村小出にかけての約12㎞にわたる清津川両岸は切り立った岸壁が続き大渓谷になっている。ここを“清津峡”といい、清津峡の核心部では狭い川幅を保ちながら両側の山地を約500mの深さで浸食しているといわれ、見事な渓谷美を望む事ができる。かっては、この渓谷を見るのには絶壁を伝って進む危険な遊歩道が頼りであったが、現在では安全への配慮から閉鎖され 全長750mの歩道トンネル「清津峡渓谷トンネル」の完成で4ヶ所の見晴所からは雄大で壮厳な渓谷美を安全に鑑賞できるようになっている。
 トンネル内には清津峡の成り立ち等も紹介されている。トンネルは行き止まり式で往復1時間程要する。
 正直、トンネルから覗く渓谷はやや興ざめでもあるが、安全の為にはやむを得ない。

 

 清津峡周辺の案内版(画像をクリックしますと拡大します)

  駐車場:有(無料)  入抗料500円

 
清津峡 渓谷トンネル入口付近の“清津川”  渓谷トンネル内

 
清津川は両側の山地を約500mの深さに浸食している  清津川を覆う残雪

 
清津峡の柱状節理が良く現れている(左の画面をクリックすると「柱状節理」の説明が読めます)

 
清津峡 渓谷トンネルの最奥部(ここから引き返すことになる) 清津峡は更に更に続きます

清津峡 渓谷トンネル入口 地図
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玉敷神社(埼玉・騎西町)

2010年05月09日 | Weblog
参拝客で賑わう玉敷神社拝殿

 『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
 玉敷神社(たましきじんじゃ)は、埼玉県加須市にある神社である。大己貴命(大国主)を主祭神とする。式内社で、旧社格は県社。埼玉県の元荒川流域を中心に数多く分布する久伊豆神社の総本社的存在であり、創建は大宝3年(703年)と伝えられる。
 社伝によれば、大宝3年(703年)、東山道鎮撫使・多次比真人三宅磨によって創建された。一説には、成務天皇6年(136年)、武蔵国造・兄多毛比命の創建ともいう。延喜式神名帳では「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載され、小社に列格している。
元は現在地の北方の正能村(現 騎西町正能)に鎮座していた。天正二年(1574年)、上杉謙信が武蔵に出兵した際に兵火にかかり、社殿を焼失した。このとき古文書・社宝等も焼失したため、それ以前の歴史については不詳である。江戸時代に根古屋村(現 騎西町根古屋)の騎西城大手門前に再建された後、寛永4年(1627年)ごろに現在地に遷座した。
江戸時代までは「久伊豆大明神」とも称されており、埼玉郡の総鎮守として尊崇されていた。 と、記されている。
 神社に伝わる玉敷神社神楽(2008年3月指定)が江戸神楽の源流ともいわれ、重要無形民俗文化財(国指定)に指定されている。
 また、樹齢400年を越える大藤は、特に有名でシーズン中は多くの見物客で賑わう。
  駐車場:有(無料)

 
玉敷神社境内 神楽殿(画像をクリックしますと、江戸神楽の源流をなす玉敷神社神楽の説明があります)

 
5月4日は子供の健康祈願である“御馬くぐり”の祭祀日でした

 
玉敷公園(文学博士 河野省三氏の旧宅跡地) 園内は丁度、モデルの撮影会中であった
(夫々の画像をクリックしてください) 

 
玉敷神社と言えば大藤で有名、樹齢400年を越える古木が咲き誇ります

玉敷神社 地図
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星峠の棚田(新潟・松代)

2010年05月02日 | Weblog
一瞬の陽光を受けて輝く棚田の水鏡

 新潟県十日町市松代(まつだい)地区のは棚田は、春夏秋冬を通じて美しい景観を見せてくれる。
 山の斜面に沿い階段状に広がる棚田は日本の原風景として多くの人に親しまれているが、特にカメラマニアにとっては多いに食指の動く景色である。
 この星峠の棚田は、十日町市観光協会作成の「棚田マップ」(観光案内所などで配布)の第一番に掲載されている県道403号線の星峠裾野に広がる棚田である。
 例年では緑が息吹、山桜も咲く時期であったが異状気候のせいかご覧の通り棚田は雪に覆われていた。
 また、朝日も一瞬で暑い雲に隠れ、朝焼けと朝もやも見られず残念であった。
 なお、雪の棚田を「デジブック」に作成しましたので、是非、ご覧下さい。

  十日町市観光協会     駐車場:若干有り

 
星峠から望む夜明け時の棚田

 
棚田の水鏡に満開の山桜が映る絶好のポイントで有名な儀明(ぎみょう)の棚田もこのとおり

“星峠の棚田は雪だった”をお楽しみ下さい(デジブックをクリック)
デジブック 『星峠の棚田は雪だった』


星峠の棚田 地図
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