そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

吉見 イルミネーションフェスタ2011(埼玉・吉見町)

2011年12月25日 | Weblog
田園の夜空を彩るイルミネーション!!
 今年も吉見町青年団を中心にイルミネーションフェスタ2011が開催されましたので、昨年に引き続き訪問。田園の夜空を彩るルミネーションに大感激してきました。
 このイベントのコンセプトは、主催者のH.Pによれば、
イルミネーションフェスタの目的は、“町を明るくし、世代を超えて人々が集まれる場をつくる”
 第1回からずっとコレなんですがイルミネーションフェスタのコンセプトは“みんなで電飾を持ち寄ってみんなで楽しんじゃいましょう!!”
最近は個人のお庭にもキレイな電飾を見かけることがありますよね。アルバムのページに出ているイルミネーションは青年団の巨大なツリー以外どれも消費電力は500w以下。そんなに大きくないイルミネーションも一箇所に集まると結構豪華に見えるんですよ!
 と、記されています。
 そんなに手作りイルミネーションは12月25日で終了です
 吉見町青年団の公式H.P     駐車場:有り(無料)
手作りイルミネーションをご堪能下さい!
 
 
 
 
 

イルミネーションフェスタ201会場 地
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“おばあちゃんの原宿”巣鴨地蔵通り(東京・巣鴨)

2011年12月18日 | Weblog
とげぬき地蔵尊 (曹洞宗萬頂山高岩寺)
 巣鴨地蔵通り商店街のH.Pよると、
 「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきました。
 巣鴨地蔵通りは江戸時代、中山道の出発地点日本橋から出発して最初の休憩所(江戸時代の言葉で立場(たてば)と言います)が江戸六地蔵尊 眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、町並みが作られました。
そして、明治24年には、とげぬき地蔵尊 高岩寺が上野(現在の上野の新幹線の駅のそば)から巣鴨へ移転し、現在、巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、商業の街・信仰の街としてお年寄りを中心に若い方々にも親しまれています。
 と、記されています。

  
江戸六地蔵尊 眞性寺     巣鴨地蔵通り入口付近(JR巣鴨駅寄り) 

 
お地蔵様にあやかった店づくり...?   平日で一寸人出が少ない巣鴨地蔵通り

 
とげぬき地蔵尊 高岩寺境内     洗い観音(聖観世音菩薩像)

 
赤パンツで有名なお店でインタビューする八波一起氏  このお店は何屋さんでしょう?

 
巣鴨庚申塚(現在は猿田彦大神を合祀)     唯一現存する都電、荒川線「庚申塚駅」

とげぬき地蔵尊 地図
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紅葉の六義園(東京・駒込)

2011年12月11日 | Weblog
江戸の名園を今に残す 和歌の庭

 紅葉の名所“六義園をご案内。六義園は既にこのブログでもご紹介(2007年12月03日)したことがありますが、再度、訪ねて見ました。
 六義園は、Wikipediaによれば、
 徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。元禄8年 (1695) に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。
 元禄15年 (1702) に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える。
柳沢家は次の吉里の代に甲府から大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。
 明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、昭和13年 (1938) には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、昭和28年 (1953) に特別名勝に指定されている。 と、記されています。


  
入口付近の佇まい 

 
内庭大門を潜るとそこには...。         宣春亭と銀杏

 
出汐湊から妹山・背山を望む     玉藻磯からの吹上茶屋

 
蛛道付近の紅葉

 
藤波橋付近

六義園 地図
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絢爛豪華な本殿を誇る“妻沼聖天山”(埼玉・熊谷市)

2011年12月04日 | Weblog
国指定重要文化財 妻沼聖天山本殿(手前は石舞台 本殿前の石段を移築)

 埼玉の日光と言われる、“妻沼聖天山”をご紹介します。その本殿は目に眩しい、絢爛豪華な彫刻が施され、正に日光東照宮を彷彿されます。
 熊谷市の案内によれば、
 妻沼聖天山歓喜院の本殿「聖天堂」は、宝暦10年(1760年)に再建されました。
 日光東照宮を彷彿させる本格的装飾建築で、その精巧さゆえに「埼玉日光」と称され、国の重要文化財に指定されています。
 250年の時の流れとともに生じた傷みや、剥落した彩色を、建立当時のように美しく蘇らせるため、平成15年10月から約7年間の歳月をかけ、「平成の大修理」が行われました。
 そしてついに、平成23年6月1日から、保存修理の終了した聖天堂が一般公開が開始しました。現代に蘇った聖天堂の輝きを、ぜひその目に焼き付けてください。
 妻沼聖天山は日本三大聖天の一つとして知られ、特に縁結びの霊験あらたかです。
 夫婦の縁をはじめとし、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけます
 と、記されています。
 一般的な社の趣きある風情とは些か異にしますが、一見に値する見事なものでした。

  妻沼聖天山公式ホームページ   本殿拝観料:700円   駐車場:あり(無料)

  
中門から仁王門を望む         中門から貴惣門を望む 

 
境内の一角にある太子堂        相撲場

 
本殿西側(拝観はこちらの入口から)

 
眩しいばかりの絢爛豪華な彫刻や装飾

 
彫刻の一部をご紹介

 
本殿をぐるりと一周して拝殿正面へ、改めてその絢爛さを実感

妻沼聖天山 地図
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