そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

紫陽花と花菖蒲が見頃の上尾丸山公園(埼玉・上尾市)

2012年06月24日 | Weblog

花菖蒲田の周りの遊歩道には静かな佇まいで紫陽花が咲いています

 上尾丸山公園は昨年も訪ねていますが、今年も色とりどりの紫陽花や花菖蒲が見頃を迎えています。
 特に花菖蒲田の隣接する遊歩道脇には紫陽花は株数も多く、散策には絶好です。
 この公園は、面積約14.88ヘクタール、「水と緑の調和」をテーマに昭和53年に開園した総合公園です。
 小動物コーナー、児童遊具等の整った児童遊園地、バーベキュー場、自然学習館、上尾天文台、大池などが訪れる人々を楽しませてくれます。

  上尾丸山公園H.P(上尾市公式H.P)   駐車場:有り(無料)

花菖蒲園の周りの遊歩道に咲く紫陽花
 

上尾丸山公園 地図
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新緑の“圓覚寺”境内散策(神奈川・北鎌倉)

2012年06月17日 | Weblog

新緑が眩しい、山門への石段

 新緑の北鎌倉、鎌倉五山の第二位、圓覚寺の境内を散策した。
 圓覚寺は同寺の案内によると、1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建されました。時宗公は18歳で執権職につき、 不安な武家政治の中で心の支えとして、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。 時宗公は禅を弘めたいという願いと蒙古襲来による殉死者を(敵味方区別なく、冤親平等に)弔うために円覚寺建立を発願されました。

 と、記されている。詳しくは下記ホームページをご覧下さい。
  圓覚寺公式ホームページ   拝観料:300円 

 
天明三年(1783)再建された山門 楼上には観世音菩薩・羅漢が安置されている

 
道ばたの野仏      選仏場(仏を選びだす堂宇)

 
居士林(在家のための座禅道場)  道ばたの野仏 


  
道ばたの野仏  正縦院開山仏光国師無学祖元禅師の塔所

 
佛日庵(開基廟)   同庵内に咲く花々

 
方丈と泉水

 
ダンディな外国人も古刹に似合う
 
圓覚寺 地図

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紫陽花の寺“明月院”(神奈川・北鎌倉)

2012年06月10日 | Weblog

山門への石段

 Wikipedia:ウィキペディアによると、
 明月院(めいげついん)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)である。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある。
 山ノ内上杉家の祖、関東管領上杉憲方は密室守厳を開山として、明月院を開創した。憲方の没年は応永元年(1394年)で、それ以前の開創である。
 なお、寺伝では、平治の乱で没した首藤俊通(しゅどうとしみち)の菩提のため、永暦元年(1160年)、その子の経俊が「明月庵」を建立したのが草創とされ、上杉憲方は中興者とされているが、実際の開基は上杉憲方とみるのが通説である。
 明月院は、禅興寺という寺の塔頭(たっちゅう、子院)であったが、本体の禅興寺は明治初年頃に廃絶し、明月院のみが残っている。禅興寺の起源は鎌倉幕府5代執権北条時頼にまで遡る。時頼は別邸に持仏堂を造営し、最明寺と名付けたが、時頼の死後は廃絶していた。時頼の息子の北条時宗は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山としてこれを再興し、禅興寺と改名した。
 現在は、「あじさい寺」として有名で、花のシーズンにはたいへんな混雑をみせる。この寺でアジサイを植えたのはさほど古い事ではなく、「手入れが比較的楽だから」という理由で第二次大戦後に植えたものが次第に有名になったという。 と、記されている。
  入山料:500円 

 
山門への石段の左右は紫陽花で一杯

 
 開山堂への石段も紫陽花が見事   本堂(方丈

 
本堂の丸窓から望む裏庭(花菖蒲が望める)

  
本堂前の枯山水               開山堂横のやぐら

 
山内は紫陽花で埋めつくされている

明月院 地図
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海上からのゲートブリッジ(東京・江東区)

2012年06月03日 | Weblog

恐竜が向かい合っているようなゲートブリッジ(中央の細い塔は東京スカイツリー)

 Wikipedia:ウィキペディアによると、
 東京ゲートブリッジ(Tokyo Gate Bridge)は、東京港第三航路(東京東航路)を跨ぎ中央防波堤外側埋立地と江東区若洲を結ぶ橋梁である。東京港港湾計画に位置付けられた港湾施設(幹線臨港道路)・東京港臨海道路のII期事業区間の一部を構成する。
 建設時は仮称として東京港臨海大橋と呼ばれていたが、1万2,223件の一般公募の中から「東京ゲートブリッジ」の名称が付けられた。また、恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から恐竜橋とも呼ばれる。
 建設地が東京国際空港(羽田空港)に近く航空機の飛行ルート上にあるため、航空法により橋の高さに制限(98.1m以下)が課されている一方、東京東航路を通る大型船舶が航行可能な桁下の高さ54.6mを確保すべく、吊り橋や斜張橋ではなく、三角形に繋いだ鋼材を組み合わせて橋桁の荷重を分散するトラス構造が採用された。また、支間長は440mで、日本国内のトラス橋としては生月大橋(同400m)を上回り、港大橋(同510m)に次ぐ規模である。
 と、記されている。

 全長:2,618m  最大支間長:440m  幅:24m(往復4車線・都心側に歩道設置)
 高さ:橋梁最上部 87.8m  形式:トラス橋

 
羽田空港沖からのルートから望むゲートブリッジ

 
 見る角度によって、様々な表情を見せるゲートブリッジ

 
羽田空港に近く、航空機の飛行ルート上にあるため数分置きに航空機が通過する

  
羽田空港に着陸する航空機

ゲートブリッジ 地図
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