そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

海上保安庁「工作船展示館」(神奈川・横浜市)

2009年11月29日 | Weblog
「工作船展示館」(海上保安庁資料館横浜館)と係留中の巡視船“しきしま”


 あなたは、平成13年12月22日に発生した工作船事件を記憶されておられるでしょうか?
 海上保安庁資料館横浜館(赤レンガ倉庫のそば)のリーフレット要約をすれば、
 九州南西海域における不審船情報を防衛省から入手し、これを捕捉すべく追尾、同船に対して巡視船や航空機による停船命令を行ったが無視したため射撃警告の後、巡視船の20粍機関砲による威嚇射撃を実施するも引き続き逃走を図り、かつ、巡視船に対して自動小銃やロケットランチャーによる攻撃を行った(海上保安官3名負傷)ため、巡視船による正当防衛射撃を実施したところ、不審船は自爆用爆発物により自沈した。
 その後、水深90mの海底から不審船および証拠品(1,032点)を引き上げ調査した結果、北朝鮮の工作船で薬物の密輸入に関与していた疑いが判明した、とある。
 この海上保安資料館横浜館は国民に我が国周辺海域の現状と海上警備の重要性などの理解を得るため、平成16年12月10日に開館、館内には上記、九州南西海域不審船事案にかかる工作船及び回収物などを展示されている。
 写真に掲載してある通り、工作船船体は漁船に偽装しているが搭載火器等から見ても重武装の船舶であり、これが日本近海を遊弋しているなどは由々しき事ですね。これからも海上保安庁等の海上警備に期待したいと思います。

 

 工作船船体の概要 説明図(画像をクリックしますと拡大します)  駐車場:無し
  海上保安庁「工作船展示館」(海上保安資料館横浜館)のホームページ(クリックしますとジャンプします)
 
 
工作船船首部分

 
操舵室から見た船尾  同じく操舵室から見た船首

 
 第一機関室と第二機関室(連続最大出力約1,100馬力、一般漁船の約10倍)
 
 
巡視船からの射撃による弾痕(人の居ない、船首部分を射撃したとのこと)

 
小船艇格納区画と観音開きの扉

 
 工作船に格納されていた小船艇とゴムボート

 
工作船に搭載されていたニ連装対空機関銃(口径14.5粍)と格納用移動レール

 
ロケットランチャー(口径85粍等のロケット弾発射機)と軽機関銃及び自動小銃
 
 
携行型地対空ミサイル発射機 82粍無反動砲

海上保安庁「工作船展示館」(海上保安資料館横浜館) 地図
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加須の“砂丘”(埼玉・加須市)

2009年11月22日 | Weblog
加須「西中学校」入口横に立つ河畔砂丘の案内


 あなたは、埼玉県に砂丘があるのをご存知だろうか?。
 地域の事情に詳しい市井の研究家K氏によれば、
 この砂丘(河畔砂丘)は、利根川の分流である「会の川(あいのかわ)」南岸に発達した河畔砂丘で、赤城颪により運ばれた砂が会の川の自然堤防上に堆積して出来たものであり全国的に見ても極めて珍しい、特に「志多見砂丘」は規模も大きく、また、かっての形をとどめている貴重な歴史的遺産である、と解説して頂いた。
 これら貴重な河畔砂丘もかっての面影も失われつつあり、多くが民有地になってしまっているのは寂しい限りである。
  かつての利根川の河畔砂丘(PDF)(NPO法人越谷市郷土研究会 加藤幸一先生の研究論文より)

 
秋葉山本坊(境内の左手は河畔砂丘)

 
河畔砂丘の丘上に祀られている馬内諏訪神社

 
馬内諏訪神社横の河畔砂丘(5㎝ほど掘ると砂地が現れ、ここが砂丘である事を納得!)

 
埼玉県から志多見東県自然環境保全地域と指定されているが、宗教団体の私有地となっていた
(左の案内板はクリックすると拡大します)

 
志多見東県自然環境保全地域内の河畔砂丘 河畔砂丘をつくりだした今は昔の「会の川」

加須市河畔砂丘 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)
秋葉山本坊 
馬内諏訪神社 
志多見東県自然環境保全地域 

深秋の光前寺(長野・駒ヶ根市)

2009年11月15日 | Weblog
紅葉に映える本堂


 霊犬「早太郎」伝説と光苔の寺として有名でもある天台宗 別格本山 宝積山「光前寺」。
 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、
 本尊は不動明王で秘仏。信濃五大寺(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられている。
 古記録は織田信忠との戦いなど数々の羅災により失われているとのことであるが、貞観2年(860年)、円仁の弟子、本聖の開基と伝わっている。創建時は現在より200m木曽山脈寄りのところにあったらしい。天正慶長のころには武田氏、羽柴氏などの庇護を受け、また、佐久郡、諏訪郡にまでその寺領を広げた時期もあったという。江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けた古刹。
 光前寺は杉の林の中にあり、樹齢数百年の巨木も多い。道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、さらにはヒカリゴケが自生している等、景観に優れている。
 境内全域が、「光前寺庭園」の名で名勝に指定されている。

 

 光前寺自然探勝園 案内図(画像をクリックしますと拡大します)  駐車場:有り(無料)
  光前寺のホームページ(クリックしますとジャンプします)
 
 
参道から山門を望む(左右の石垣には光苔が自生している) 山門を潜り本堂へ参拝する善男善女

 
本堂から山門を望む  霊験あらたかな延命水

 
 三重塔と伝説の霊犬“早太郎”の碑  紅葉に染まる鐘楼

光前寺 地図
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関東の石舞台“八幡山古墳”(埼玉・行田市)

2009年11月08日 | Weblog
八幡山古墳石室 外観

 八幡山古墳は古墳群で有名な「さきたま古墳公園」より程近い工場街の中にある。
 歴史に詳しい市井の研究家M氏やリーフレット等によれば、
 八幡山古墳は、7世紀中頃に築造された直径約80mの円墳と推定されている。若小玉古墳群に属し、その中でもかなり大型の古墳と言われている。昭和9年に小針沼埋め立ての為の土取工事で封土を崩した際に石室が現れ、翌昭和10年に発掘調査が行われた。その結果、前・中・後室の3室からなる全長16.7mという巨大な石室の存在が明らかになった。
 昭和19年に埼玉県指定史跡になり、昭和52年から54年にかけて復元整備が行われ、その姿から“関東の石舞台”とも呼ばれ、県外からも多くの見学者が訪れている。
 なお、石室内部の公開日は土・日・祝日(各10:00~16:00)となっている。

 

 八幡山古墳 案内板(画像をクリックしますと拡大します)
  見学料:無料   駐車場:有(無料)

 
石室内案内図(クリックすると拡大します) 反対側から見た石室外観

 
石室内部(左:前室 右:中室)

 
後室内部  後室から入口側を見る(分厚い石板が四層に積まれている)

 
八幡山古墳の周りは八幡山公園として整備されている
左:公園内にある万葉集(防人の歌)が詠まれた石碑


八幡山古墳 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)

花園神社(茨城・北茨城市)

2009年11月01日 | Weblog
花園神社 拝殿

 この花園神社は、紅葉で有名な花園渓谷の近くにあり、紅葉シーズンには多くの人出で賑わう。
 拝殿前には、茨城県指定文化財のご神木の高野槙(コウヤマキ、樹高30m 幹囲4.5m、樹齢600年)や三本杉(樹高45m 幹囲7.5m、樹齢500年)があり、境内は樹齢500年を越える杉の巨木が林立し、神の鎮座する霊場として神秘的な雰囲気を醸し出している。
 神社のご由緒によると、
 「今より千百六十年前桓武の昔、延歴乙亥の十四年四月、坂上田村麻呂勅定により奥州下向の折り霊夢によって草創す。
 平城帝 大同二年、花園山と号づけ勅額が掲げらる。慶長二年、徳川将軍より社領五十石の御朱印を寄進さる。古より大北川沿流十ヶ村の総社とす。七年目毎の磯出祭あり。

一、境内面積六千七百九十九坪

一、祭日 例祭五月八日、元旦祭、七草祭、霜月祭、節分祭

一、花園七瀧奥の院 山頂へ約二粁あり

一、花園山一帯の石綿は天然記念物に指定さる。
      
昭和四十年八月吉日 宮司 神永寧 謹書」とある。

 

 花園神社拝殿の見事な彫刻(画像をクリックしますと拡大します)  駐車場:有

 
晩秋の緑の杜に朱色の社が映える

 
樹齢何百年か?こぶ付きの杉のご神木 見事な山門(仁王門)

 
拝殿前に鎮座する阿吽の狛犬

 
拝殿奥の急な石段をあがると色彩見事な本殿にたどり着く

 
こちらは木彫りの阿吽の狛犬、歴史を感じさせる風格がある

花園神社 地図(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)