今回は、江東区深川の松尾芭蕉所縁の史跡を訪ねて見た。
「江東区芭蕉記念館」のリーフレット等によれば、
芭蕉は、延宝8年(1680)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住みました。そして、この庵を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残しています。この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれ、芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されましたが、幕末から明治にかけて消失しました。
大正6年(1917)の大津波の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。
江東区は、このゆかりの地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、昭和56年(1981)4月19日に芭蕉記念館を、平成7年(1995)4月6日に隅田川と小名木川に隣接する地に芭蕉記念館分館を開館しました。と、記されています。
今回は、1、芭蕉庵史跡展望庭園 2、芭蕉稲荷大明神 3、江東区芭蕉記念館 を、ご紹介します。
江東区芭蕉記念館公式ホームページ 江東区芭蕉記念館入館料:200円
芭蕉庵所縁の萬年橋 今回の訪問地(クリックすると拡大します)
芭蕉庵史跡展望庭園(芭蕉記念館分館)
芭蕉稲荷大明神(芭蕉庵があったと云われているが、実際は萬年橋より100m程東とのこと)
江東区芭蕉記念館(館内は撮影禁止)入口
江東区芭蕉記念館に併設された庭園(築山) 築山の芭蕉は句作中...?
芭蕉庵史跡 地図
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