そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

下谷摩利支天 徳大寺(東京・御徒町)

2012年08月26日 | Weblog

下谷摩利支天はビルの上に鎮座

  下谷摩利支天 徳大寺、同寺のH.Pによれば、
 JR山手線、御徒町駅~上野駅間の車窓からよく見える朱塗りのお堂、それが摩利支天徳大寺、通称 下谷摩利支天(シタヤマリシテン)です。賑やかな商店街の中にたたずむこの徳大寺の歴史は、いまから約600年前の昔にさかのぼります。
 
もともとの徳大寺の前身は、現在の上野公園の中に室町時代初めの応永年間、慈光院日遣上人によって建立された、小さなお堂であるとされています。その当時、上野公園はまだ木々の鬱蒼とした山であり、その山中に上野村という名の小さな集落がありました。その上野村こそが、現在の上野の街の始まりなのです。
 
時が流れ江戸時代、徳川家康の江戸入府とともに上野村にも変化が起こりました。上野の山に寛永寺が建立されることとなり、上野村は代地をあてがわれ、現在の上野広小路周辺へ移転、下谷上野町となったのです。その幕命には当然徳大寺の移転も含まれ、現在の上野広小路付近に建立されたのが寛永年間の頃と伝えられています。
 
その歴史の途中、開運勝利の御守護神 摩利支天(マリシテン)様が、寺門の守護として安置されました。聖徳太子の御作と伝わる御尊像に開運吉祥の御利益を授かろうと、多くの江戸の人々が参詣に訪れ、いつしか大寺の門前通りは下谷の摩利支天横丁と呼ばれるようになりました。池波正太郎の『鬼平犯科帳』、平岩弓枝の『御宿かわせみ』などの作品に、当時の様相が描かれています。
 その後、幾度と江戸の大火の類焼に遭いながらも、摩利支天様のご加護のもと、その度に本堂の復興を果たして来ました。 と、記されています。

  下谷摩利支天 徳大寺 公式ホームページ

 
本堂   威光殿の額は吉田 茂元首相の書による
  
阿吽の狛犬 中央の案内をクリックすると拡大します


境内もビルの上(日蓮聖人立像 七面さま 妻恋地蔵)

 
下谷摩利支天はアメ横(御徒町駅側)から2~3分

 下谷摩利支天 徳大寺 地図
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光と影のゆらゆらファンタジー in 森林公園(埼玉・滑川町)

2012年08月19日 | Weblog

夜空に揺らぐゆらゆらスクリーン

 “光と影のゆらゆらファンタジー in 森林公園”のネーミングに魅せられて、久しぶりに国営 武蔵丘陵森林公園に行ってきました。 子供向きのイベントとたいして期待はしていませんでしたが、それにしても名前負けのイベントで、正直がっかりでした。
 秋恒例の“紅葉見ナイト”のイルミネーションまでは望めないにしてもネーミング負けで職員の皆さんのご努力は多としながらも少々残念なイベントでした。
 イベント期間:8月26日(日)迄
 
  武蔵丘陵森林公園の公式H.P   入園料:400円
  駐車場:有り(有料) 毎回、記しますが近隣の民間駐車場の方が安いですよ! 入口までの距離によりますが100円~300円

 
ゆらゆらスクリーン              スクリーンの裏側では...。

 
あやかしの森(暗闇の森の中にモビールがところどころに...。)

 
ゆらゆらシャドウ  噴水のライトアップ(ライトアップも寂しいものでした)

 
スノーマシンによる降雪?


森林公園 地図
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室町時代創設の京都・仁和寺の末寺“遍照院”(埼玉・上尾市)

2012年08月12日 | Weblog

本堂 全景

 上尾の古刹“遍照院”は、室町時代の応永元年(1394年)の開山で、御本尊は大聖不動明王(だいしょうふどうみょうおう)。
 上尾市教育委員会のH.P(抜粋)によると、
 上町一丁目に所在する遍照院は、江戸時代には寺領20石の朱印地を与えられた大寺である。市内には幕府から御朱印を与えられた寺院は多いが、20石は最高の石高である。同寺は真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の寺院で日常山秀善寺と号するが、『新編武蔵風土記稿』によると、京都御室(おむろ)の仁和寺(にんなじ)の末寺となっている。同書によると、開山(かいさん)の阿順法印は応永9(1402)年に没しているので、すでに室町時代の初めには創設されていたことになる。ところで同書には建治・応安・永享・文明などの古碑があると記されているが、「建治」の年号は鎌倉時代末期のものなので、同寺の創設はもう少し古い時代に関係するとも考えられる。現在これらの古碑は確認することができないが、それでも宝篋印塔(ほうきょういんとう)の中には「康応元年」(1389)の年号も読み取ることができ、南北朝時代に何らかの関係があったことをうかがわせる。
 天保9(1838)年の村絵図では、同寺は広大な境内地を持ち、参道は旧中山道から山門に直進する形で描かれている。旧中山道には家並みが記されているが、この辺りは上尾宿と上尾村の地が、牙のように交互に入り組んでおり、遍照院は上尾村分である。文政11(1828)年の記録によると、上尾村分には42軒の商家・旅籠屋などが見られるが、遍照院門前にも多くの商家があり、中には当時から現在なお営業している豆腐店などもある。
 遍照院の本尊は不動明王で江戸時代の作であるが、木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像(りゅうぞう)の制作年は古く鎌倉時代末から南北朝期と推定される。この像の厨子(ずし)扉内側にある朱字銘には、「岩槻城主大岡越前守忠正公守本尊」とあり、由緒のある立像であることを伝えている。
 墓地の中央最北端には歴代住職の墓石が並ぶが、その近くに市指定文化財(史跡)の山崎武平治碩茂(ぶへいじせきも)の墓がある。また近くには「孝女お玉の墓」もあり、旧中山道の宿場でにぎわった往時の一面ものぞかせてくれる。
  遍照院公式ホームページ   
駐車場:有(無料)
 

 
どうどうの山門と山崎武平治碩茂の墓の史跡案内

 
鐘楼と薬師堂

 
本堂と弘法大師像

 遍照院 地図
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大和田公園花火大会(埼玉・さいたま市)

2012年08月05日 | Weblog

スターマインの競演 お見事!

 7月30日、花火大会のスタートを飾るミニ花火大会がさいたま市大和田公園で開催されました。
 本格的な花火大会は、これから各地で開催されますが、ミニといっても一万発を超える花火で見物客を魅了しました。スターマイン(連続発射)を中心とした花火はとても見ごたえがありました。ほんの一部ですがその打ち上げ模様をご覧ださい。

 
素晴らしい花火の一部をご覧ください

 
 花火はこの写真の中央部に打ち上げられた  芝川の土手上で花火の開始を待つ見物客

大江戸花火撮影場所 地図
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