そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

国指定重要文化財“彦部家住宅”(群馬・桐生市)

2013年01月27日 | Weblog

土塁や壕をめぐらし、長屋門を配した“彦部家住宅”

 国指定重要文化財“彦部家住宅”は、桐生市街地の東南の渡良瀬川右岸に位置し、屋敷地は西側に連なる手臼山麓を利用した広大な敷地を有する中世の城館の構えとなっている。
 Wikipediaによれば、
 彦部家住宅は、群馬県桐生市広沢町にある歴史的建造物である。昭和51年(1976年)5月7日に「彦部氏屋敷」の名で群馬県の史跡に指定され、平成4年(1992年)8月10日に「彦部家住宅」の名で国の重要文化財に指定された。
 桐生市広沢町の手臼山の麓に位置し、山裾以外の三方に土塁と堀を設け、南の大手口に長屋門、北の搦手口に櫓台を築いた中世の屋敷構えを残している。主屋や長屋門は江戸時代に建てられたものである。
 彦部家は家蔵の「高階朝臣家譜」によると、天武天皇の長子である高市皇子を祖とする。高市皇子から六代目で臣籍降下し高階姓となり、高階氏は鎌倉時代に陸奥国斯波郡彦部郷に移り、彦部姓を名乗った。室町時代に彦部氏は足利将軍家に仕え、永禄4年(1561年)に広沢の地に屋敷を構えたと伝わる。
 
と、記されている。

  彦部家住宅 公式ホームページ  駐車場:有(無料)  入館料:500円

 
案内板(クリックすると拡大します)         寄棟造り、茅葺屋根の長屋門

 
380年以上の歴史を持つ母屋(中央の四角い囲みは?) 奥座敷の南面は土壁

 
 来訪者のトイレでした

 
表座敷 帰農したと言っても、武家の表看板槍などが...。

 
奥座敷              囲炉裏を備えた広間

 
冬住み(二間取り隠居室)          文庫倉と穀倉

 
北隅の土塁を一段高くした櫓台跡     屈折した石垣の搦手口

 
広大な屋敷内敷地には石積みの八幡社等が祀られている

 彦部家住宅
地図

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埼玉県立「歴史と民俗の博物館」(埼玉・大宮)

2013年01月20日 | Weblog

“歴史と民俗の博物館”全景

 玉県さいたま市大宮区の大宮公園内にある埼玉県立「歴史と民俗の博物館」を訪ねて見た。
 同館は、歴史と民俗を中心にした歴史系総合博物館である。前身は1971年に現在地に開館した埼玉県立博物館で、2006年に埼玉県立民俗文化センターと統合して現名称となった。
 同館のホームページには、その使命を次のように掲げている。
 「埼玉の歴史と民俗に関する資料を収集・保管し、総合的に調査研究することにより、埼玉の地域的特性を明らかにし、その成果を展示公開・情報発信するとともに、県民の学習活動や交流の場となることにより、県民各層の心豊かなくらしと新たな文化の創造に寄与する博物館です。
 私たちは、博物館に携わるすべてのマンパワーと資源を駆使して、埼玉の魅力をアピールするとともに、県民と協働した生涯学習を推進する中核的生涯学習施設としての役割を果たします。」として、6項目の目標を掲げている(詳細は同館公式H.P参照)。
 主な収蔵品 としては、
 ○ 国宝の太刀(銘備前国長船住左兵衛尉景光 作者進士三郎景政 嘉暦二二年己巳七月日)および短刀(銘備州長船住景光 元亨三年三月日)(謙信景光)
 ○ 太平記絵巻(埼玉県指定文化財)(武蔵武士の活躍も描かれている江戸時代初期の太平記絵巻の原本)等がある。
 現在、特別展として「埼玉歴史街道Ⅰ-『新篇武蔵風土記稿』の世界- 」を開催中(2月11日迄)
※ 写真は、撮影許可されている展示品のほんの一部のみ掲載。(特別展は写真撮影禁止)

  歴史と民俗の博物館 公式ホームページ
  駐車場:有(無料)   入館料:常設展 300円(特別展は別途)

 
入口付近                 弥生時代終わりごろの住居(復元)

 
慈光寺開山塔(重文 複製)と板碑     大型化し、神器となった銅鐸


 
 頭蓋骨の変化                        青銅器文化(弥生時代)

 
埴輪や土器類の展示

 
土器類が大量に展示されている    皇后陛下も目を止められたという竹林

 
川越城(川越御殿)模型  日光道中「栗橋の関所」模型

 
発展した水運           入口付近から見た板碑等

 歴史と民俗の博物館 地図
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彫刻が見事な“桐生天満宮”(群馬・桐生市)

2013年01月13日 | Weblog

関東五大天神 桐生領総鎮守“桐生天満宮”

 織物の街として栄えた桐生市、昨年末にその紹介(歴史の足跡である近代化遺産が数多く残されている)したところですが、この桐生天満宮は、
 Wikipediaによれば、

 現在の桐生市街は、桐生天満宮を基点として成立しており、天満宮鳥居前が本町一丁目となっている。桐生市は多くの高校が存在するため、受験シーズンには多くの参拝者が訪れる。
 また、天満宮の近くに群馬大学工学部(同窓記念会館をご紹介)や桐生工業高等学校があり、緑の多い静かな環境となっている。
 社伝では景行天皇の時代(71年~130年)に天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。南北朝時代初期に桐生綱元(桐生氏の祖)が現在の所在地に移し、菅原道真を合祀して天満宮となった。江戸時代には徳川家の祈願所となっていた。現在の社殿は1789年に建造されたものである。と、記されている。
 なお、現在の社殿は寛政5年(1,793年)に再建されたもので拝殿、幣殿、本殿が一体化した権現造り、建物全体が極彩色で彩られ細部には名工関口有信による精巧な彫刻が施され見事。
 当時の神社建築の技術の最高峰のものとして平成2年に群馬県指定重要文化財に指定されている。
  桐生天満宮公式ホームページ  駐車場:有(無料)

 
神橋(太鼓橋)と神門(桐生門)                神楽殿

 
拝 殿              神道七福神 宝船神社

 
 群馬県指定重要文化財「天満宮社殿」

 
細部まで精巧な彫刻が施され素晴らしい

 
桐生市最古の建物「春日社」(右案内をクリックすると拡大します)

 桐生天満宮 地図
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初詣で賑わう“愛宕神社”(東京・港区)

2013年01月06日 | Weblog


三が日が過ぎても初詣で賑わう愛宕神社
【丹塗りの門】 ほおずき市の時には茅の輪が設置され、潜ると災いを避けられると云う

 正月の五日、山手線内では珍しい自然に形成された山である愛宕山(標高26m)山頂に鎮座する愛宕神社に初詣に訪れた。
 Wikipediaによれば、
 京都の愛宕神社が総本社であり、防火・防災に霊験のある神社として知られる。
主祭神:火産霊命(ほむすびのみこと)、配祀:罔象女命(みずはのめのみこと)・大山祇命(おおやまづみのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)
 1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、別当寺である円福寺に祀ったことからはじまる。明治の廃仏毀釈により円福寺が廃寺となった後は、将軍地蔵は近くの真福寺に移されたが関東大震災で焼失した。
 千日詣り(6月23日夜~24日早朝)---この両日に社殿前にしつらえた茅の輪をくぐり参詣すれば千日分の御利益があるとされた。別名・茅の輪くぐり。同時に催されるほおずき市はこの地が元祖。
 例大祭(9月22日~24日)---別名・出世の石段祭。2年に1度、神輿が男坂(出世の石段)を行き来する。 と、記されている。
 
  愛宕神社公式ホームページ

  
標高26mの愛宕山頂の社殿迄はを急な石段(男坂)を登る
(足弱の方にはNHK放送博物館側にエレベーターがある)

  
 【出世の石段(男坂】 曲垣平九郎の故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれる急な石段

  
 境内からの東京タワー(左はNHK放送博物館) 初もうでに訪れた参拝者の長蛇の列

 
【社殿】主祭神「火産霊命」を祀る社殿 【招き石】この石をなでると福が身に着くとか

 
【將軍梅】曲垣平九郎が将軍徳川家光に献上したと言われる梅の木 男坂を見下ろす

愛宕神社 地図
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年始のご挨拶を申し上げます

2013年01月01日 | Weblog

 

旧年中は“そぞろ歩き2”をご覧頂き誠に有り難うございました。


当ブログは、“そぞろ歩き”
(2006年6月~2008年12月掲載)の継続版として2009年1月より、彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力等を写真等でご紹介して参りました。

 

お陰様で皆様のアドバイス等を頂きながら何とか4年間(通算6年7か月)続けることが出来、深甚より感謝申し上げます。

 

今後も“彩の国”を中心とした見近なスポットを撮り歩き、原則として毎週日曜日に更新して参りますので是非ともお立ち寄りくださいますようお願い申し上げます。

 

皆様にとりまして2013年がより良い年となります事を祈念しつつ、年始のご挨拶を申し上げます。