やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

通級先生の奮闘・・・4

2016年12月19日 | 日記(息子・小5)

2日間、熱を出して伏せっておりました。

喉、鼻の症状等何もなく、38℃を超える熱のしんどさだけで、これってもしかしてインフルエンザ?

・・・とか、

もしそうだったら、せっかく予防接種したのに損した気分やな。

・・・などと考えていたら、月曜日になって、病院の診療が始まる頃にはすっかり治っていました。

 

したがって、病院には行かずに、ただの風邪だと思うことにして、自宅で体力の回復を待っています。

 

さて、ブログに書きたいことはたくさんあるのに、なかなか更新できません。 

9日の金曜日の話です。

放課後、6年生一人、5年生一人、4年生二人、そして息子と、それぞれの担任の先生、通級の先生とで話をしたそうです。

 

公園で遊んでいるときに、以前からフリーキックを失敗したら、腕立て伏せやジャンプをするなど、ペナルティを課すことはあったようです。

それが、ある日、6年生の子がいきなり、

「今から失敗したら、罰ゲームでそいつにボールを蹴る。」

と、言い出したそうです。

 

息子は、突然のことで何のことか分からないまま、気が付いたら罰を受けることになってしまいました。

「もし、最初に『こういうルールでする』と、ちゃんと言ってくれたら、『そんなん嫌や』って断っていた。」

と、息子は、はっきり言ったそうです。

ボールを蹴られ始めたとき、

「そんなルールは、なし!」と、息子は言ったらしいのですが、無視して誰も聞いてはくれなかったそうです。

 

ボールを息子に向かって蹴っていたのは、言い出した6年生の子だけだったそうですが、初めは6メートル位離れたところから蹴っていたのが、どんどん近くなって至近距離から蹴られるようになっていったそうです。

 

人間的当て状態になって、ご近所の5年生は、だんだん「こういうのはおかしい」と思ったそうですが、6年生に口出しすることが出来なかったそうです。

みんな息子よりずっとサッカーがうまいので、結局は、〇〇一人が罰を受ける状態で、「自転車で家に帰り、また戻ってくる」という罰も行われていたそうです。

そういうことが、毎回ではないけれど、ちょくちょく行われていたということでした。

 

今回の話し合いの中心は息子の担任の先生で、あらかじめ息子と話をして、

「先生に任せてくれるか?」と、確認をとってくださっていたそうです。 

 

一人だけが罰ゲームを受ける状態って、それっておかしくないか?

自分だけがずっと罰を受け続けてたとしたら、どう思う?

最初は、本当に罰ゲームやったんやろうけど、だんだんエスカレートして「ゲーム」じゃなくなってる。

罰ゲームって、名前を付けた「いじめ」になってしまってると思えへんか?」 

 

ボールを蹴られるのを怖がっていた息子に、4年生の児童が面白がって、

「根性見せろ。FCもいつまで休んでるんや!」

というようなことを言ったそうです。

 

「根性って何?」と、息子の担任の先生は、その子に問いかけたそうです。

「根性って、ある目的を達成するために、辛くてもしんどくても頑張ることやろ?

ボール当てられたり、自転車で家に帰らされたりして、サッカーがうまくなるか?

心や体を痛めつけられて我慢することは、「根性」とは違うで!」

 

息子は、罰は罰で「いじめ」だとは思いもしなかったようですが、

「自分ばっかり罰を受けて嫌やった。公園でサッカーして遊ぶことが面白くなくなってしまった。」

と、自分の気持ちを伝えたそうです。

話し合いの後、家に帰って来た息子は、とてもすっきりとした表情をしていました。

 

私は、息子が「嫌なことをされている」「いじめられている」と思っていないのなら、問題を大きくしないでほしいとさえ思っていました。

息子のことだけ、いや、「なるべくもめ事を起こしたくない」と、自分のことだけしか考えていませんでした。

 

そんな私に、担任の先生は、

「〇〇君は今回全くの被害者ではあるけれど、〇〇君がどう思っているかだけでなく、関わっているみんなにとって大事なことだと思うので、話し合いをさせていただきたい。」

と、仰いました。

 

こうして話し合いをしていただいて、もちろん私は、「いじめ」の芽を摘んでくださったことに感謝していますが、ご近所の5年生のお母さんも、

「金曜の朝は、『また話し合いや~』って、嫌嫌学校に行ったけど、帰ってからは清々しい表情をしてた。私も話し合いをしてくれて良かったと思う。◇◇にとっても、いい勉強になったわ。」

と、話してくれました。

 

その影には、息子と話をして気になる点を粘り強く他の児童達に聞き取ってくださった通級の先生の努力があります。

 

もちろん、それは、息子のためだけではなく、「学年で一番優しい男子」と言われているらしい6年生の男の子にとっても、周りにいた子ども達にとっても、

なぜ、そうなったのか?

どうすればよかったのか?

それらを振り返り、考えて、前に進むことが、失敗や嫌な出来事を経験の一つに変える大切なプロセスなのだと思います。

また、障害があろうがなかろうが関係なく、「人を傷付けてはいけない」あるいは「その行為が人を傷付けることになるのか」と学ぶことが、息子達小学生にとって大切なことなんだ、とも思いました。

 

「〇〇君の気持ちを楽にするために、何か出来ることがあったらいいのですが・・・。」

懇談の折、通級の先生はそう仰ってくださいました。

「学校で息子に不安な様子がなければ、特に何もしないでほしい」と、お伝えしたにもかかわらず、先生は動き続けてくださいました。

 

このことがあった時期は、息子の調子が悪くなって、レクサプロを増やし、なおかつ調子が良くならなかった時期と重なっています。

薬を元に戻して2週間が過ぎましたが、息子は、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあります。

薬の服用は大切な治療法ではあるけれど、それだけでは、息子の調子は良くならないのだと思いました。

また、私一人頑張れば何とか出来る問題でもなかったのです。

 

これからも先生方の力をお借りしながら、息子が落ち着いて暮らせるよう注意深く見守っていきたいと思います。