太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

自分だけは特別?

2024-05-26 07:08:29 | 日記

 自分だけはという思い上がりでヒヤリとした。アクセルとブレーキの踏み間違いが事故の原因ということが良くある。どうして踏み間違うのか不思議だったが実際に自分に起こった。慣れから来る油断である。今の車にはバックモニターがついており前を向いたまま後方が良く見える。停車中に少し下がってから発進しようと思いバックモニターを見ていたらご婦人がモニターに映った。車が邪魔なのかと思って少し前に出そうと思ったらギアをバックに入れたままアクセルを踏んでしまった。急に車が下がったので思わずブレーキを踏んだ。1mくらいだろうか無事止まった。幸い事故にはならなかったがブレーキを踏まなかったらと思うとぞっとする。人身にはならなくとも後の塀に激突していたであろう。運転を始めて半世紀くらいになるが慣からくる油断である。明日は我が身の経験になった。

自分だけはそうはならないという思い込みは他にもある。認知症を発症する年代になってきたが頭は常に覚醒状態にあり自分には無縁のことだと思っていた。ところが二つのことをやろうと思った時、特にそれが何時ものやり方と異なるとき片方を忘れてしまうことがある。卑近な例では刈った雑草や枝葉をゴミ収集日に出そうと袋詰めして庭の片隅に置いてあったとする。当日兎に角優先的に搬出したのは良いがルーチン化している机の傍のゴミ箱のゴミを出すのを忘れてしまった。車で外出のとき図書館に返却する本を持ち出したのは良いが忘れたことなどない車のキーを持ち出すのを失念する。些細なことだが昔なら考えられないことだ。ご多分に漏れず自分も普通のお年寄りの一員であることを念頭において活動しなければ。大事に至る前の教訓である。


老化は足腰から

2024-05-25 07:30:33 | 日記

 あれほど言われているのに信じてこなかったのは拙かった。昨日は気温が30℃くらいまで上がり暑い日だった。久し振りに運動公園に散歩に出掛けた。林の中を縫って起伏に富んだジョギングコースを歩く。若い頃は歩くだけなら何十キロだって歩けるだろうと思っていた。ところが30分くらい歩くと腰や足に妙に力が入っていることに気付く。そのうち違う場所が次々痛み出した。歩を踏み出すのも右左、もっと膝を上げてとか意識しないとギクシャクした歩きになってしまう。小一時間だったが全身汗まみれになった。普段歩く生活をしていないからだろう。先日砂浜で歩けなくなって転んだのも足腰の弱さからくるものだったのだろう。その時は砂浜を歩き疲れたのが原因だと思ったが確実に弱っている。老化は足からと当たり前のように言われていたがそんな日常生活で常に使っているのにあり得ないと思っていた。あり得る。恒例の自転車散歩だけでは不十分だ。斜め向かいの80代のご夫婦はよく散歩に出掛ける。二人一緒ではなく別々に出掛ける。多分自分に適したコースを選んでいるのであろう。二人とも姿勢が良く歩く姿のとても年寄りには見えない。自分も自転車散歩だけでなくコースを定めて歩くことにしようかと思っている。

足腰の老化に比べて頭の方は未だに若いと思っている。未だにネット記事には興味があるし市民講座もそれなりに楽しんでいる。本は若い時の何倍も読んでいる。辛口志向も昔のままだ。しかし冷静に考えると正確には頭といっても感情の方だろう。喜怒哀楽の対象が若い頃とあまり変わっていないだけだ。理屈の方は若い時に比べて根気の点で長考ができなくなった。まあ偏微分方程式をとくわけでもなくいいだろうと投げ出してしまう。ブログが書けている間は大丈夫だろう。今月は高校も大学も同窓会頼りが届く。参加したことはないが同窓生の訃報に接すると年齢を感じずにはいられない。


大混戦

2024-05-24 08:05:13 | 日記

 大相撲夏場所は12日目を終えて3敗が4人、4敗が7人と大混戦である。誰が優勝してもおかしくない。1強の大横綱が君臨してもそれはそれで安定感があり面白いものだが混戦は別の面白さがある。この混戦の中から誰か抜け出してやがて大横綱が生まれるのだろうが政治の世界も似たところがある。1強多弱と言われた時代が長かったが今は混戦突入の気配だ。安定の中に変化を望み、変化の中に安定を望むのが世の常である。恐らく他の分野でも同じことが繰り返されているのだろう。

総務省が敬老の日」に合わせ、65歳以上の高齢者の推計人口を発表した。15日時点で前年より1万人減の3623万人で、比較可能な1950年以降で初めて減少した。それはそうでしょう、団塊の世代が徐々に鬼籍入りしている。しかし総人口に占める割合は0.1ポイント増の29.1%で過去最高となった。政府は経済財政諮問会議(議長・岸田文雄首相)を開き、ウェルビーイング(身も心も満たされた状態)社会の実現に向けた方策を議論した。民間議員は健康寿命が長くなっていることを踏まえ、高齢者の定義について「5歳延ばすことを検討すべきだ」と指摘。その上で、全世代のリスキリング(学び直し)推進を提言した。リスキリングがもっとも必要なのは政治家だろう。例外なく75歳を定年としその後の人生を変化させてみたらどうか。世の中少しは変わっていくと思う。あまりに些末な問題が多く国民の多くは変化を求めている。ただし変化したからといって良くなる保障は何処にも無い。悪くなることも覚悟しなければならない。

その内若者も年寄りも減ってこじんまりとした国になるのは見えているが。ポスト団塊世代社会を考える時期である。老兵は死なずただ消え去るのみとなるか思いっきり水を引っ掻きまわして飛び去るか。まだ決めてはいない。お楽しみに。

 


クスッと笑う

2024-05-23 08:22:19 | 日記

 ネット記事や新聞でクスッと笑う場面がある。記事の見出し(タイトル)がウィットに富んでいるのを見つけた時だ。書き手の記者の遊び心が何とも微笑ましい。最近では、猛暑に見舞われたメキシコで「猿も木から落ちる 猛暑」とあった。実際に沢山の猿が熱中症だかで死んで地面に落下している写真があった。大相撲で湘南の風が2敗を維持した朝刊では「湘南の風 順風トップ」だった。

話は変わるが車の買い替えを意識してカタログなど見ているとやはり高いと思ってしまう。しかし我々が物を買う時高いと感じるのは材料費や人件費を考えてのことだ。決して相手(売り手)の利益まで考慮して高いと思ってはいない。商売だから相手は利益を考えて当然なのであるが。これはスーパーの食材についても言えることだ。物の値段というのは売り手と買い手では感覚が大いに違う。

利益といえば国の委託事業では一般に「利益」を生み出すことはできない。あくまで人件費も含めて必要経費が帳票類(エビデンス)と照合して戻入される。それらが正しく記帳されているかどうか期末に確定検査が行われる。これが結構厳しい。ものによっては、これは一般管理費で処理されるべき項目ですとなる。「一般管理費」はエビデンス無しで戻入される金額でプロジェクト総額×3~5%である。受託側にとっては僅かな利益が得られる勘定科目であるが大抵はその額は会社の一般管理費相当で相殺されてしまう。会社によっては一般管理費が10%程度のところもあり持ち出しとなるのだが。エビデンス無しの金の流れは何処か裏金に似ているが確定検査の厳しさは今でも夢に出て来る。今日は午後から確定申告の修正のため税務署に出掛ける。まさか何十年も経って同じようなことになるとは。ただケアレスミスなので揉めることはないと思っているが。


定年へのアドバイス

2024-05-22 08:18:34 | 日記

 「年問(としと)わんより世(よ)を問え」ということわざがある。問題なのは、年齢の多寡より、どんな経験を積み、どう生きてきたかであるいう意味だ。馬齢を重ねてきた身には耳が痛い言葉である。昔なら定年まで勤めあげたらほぼ一生が終わり経験もそれなりに積んだと言えるが今は定年後も結構長く、1.5生くらいの人生がある。問題は締めの0.5生をどう生きる(経験を積む)かである。

経験から言えるのは決断の問題である。定年後何か仕事をと考えて個人事務所を開設したが最初の2年くらいは少ないが仕事はあった。現役時代の延長上の仕事だ。しかし世の中甘くない。年と共に実業の世界に知る人も減り、こちらも賞味期限がやってくる。黙って座っていれば出来そうなことが舞い込んでくると思うのは間違い。世の中自分一人くらいいなくても回っていく。今年はその個人事務も廃業届を出した。青色申告とも無縁になった。

さて何をしようかと思うのは定年直後と同じである。何時までも元気ではいられない。責任を持つためには中途半端で終わるようなことはできない。定年直後よりそれは強く思う。結果として短期に成し遂げられる、いつ放り出すようなことがあっても人に迷惑がかからないもの。これは仕事でも趣味でも同じことで選択肢はさらに狭まった。幸い大病も患わず何とかやって来れたがこれからは超短期の目標しか掲げられない。結局残りの時間と天秤にかけてやるべきことに迷ったことが最大の失敗だ。思い立つ日が吉日、何かをすると決めたらその日を吉日として、すぐに始めるのがよいということ。アドバイスというより個人の後悔と反省を込めて。