太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

セーターの穴を塞ぐ

2017-12-23 08:46:33 | 日記

昨日は本当に何も無い、何もしなかった日である。多分事件に巻き込まれて昨日のアリバイを訊かれたら何も思い出せない日だろう。定年後結構そういう日が混じる。少なくとも月1回、あるいは年4回程度はどうしても忘れてはならない、外せない予定が入っている方がメリハリがあると言うものだ。定期的に病院通いというのは何とか避けたいものだが。四六時中仕事やら家庭の雑用に追われているサラリーマンから見れば、何と怠惰な贅沢な時間の無駄と思われるだろう。しかし、別に苦労して手に入れなくとも何れ皆さんもこういう境遇には成り得る。それを善しとするかどうかは別だが。

 外に出て人に会う機会も減ったからたまに東京などに出る時は要らぬ心配をする。今サラリーマンは冬のスーツだろうか、コートは真冬のモノだろうかなどである。次はスーツを選ぶ時、折角洗濯に出したのに1日着たらその後どうしようとか。革靴も少々草臥れてきているが、新品を買おうか、買ってもこの後どれくらい履くチャンスがあるだろうとか。実に下らない事を考えてしまう。最近の衣、住は兎に角長持ちする。家だって安物の建売だが30年間、壁と屋根を塗ったくらいで大したメンテもしていない。風呂の屋外ユニットも27年目にやっと交換した。屋根の太陽電池は1998年に設置したが未だに元気に稼働している。多分定期的と言えば車の乗り換えだろうが、最近は小さな不具合すら起こらない。これはきっと明日からは乗らないという日に買い替えてしまいそうな悪い予感がする。

 スーツや靴、ネクタイなどのサラリーマン衣装は特に今後使う可能性を考えるとどうしても未だこれでも良いかと判断して消費に貢献しなくなる。年末に遠出する予定があるので着て行くセーターを出してみたら虫食いの穴が開いていた。家内がそれはウールである証拠というが、原因を知りたい訳ではない。何故防虫剤が入っていなかったのかが知りたいのだ。決してナフタリンの匂いは嫌いじゃないのに。捨てるには惜しいし、今後着る機会もないだろうと思い、似たような色の糸で穴を潰してみる。遠目にはまず分からないからこれで行く。これではタンスの虫が折角消費を促しているのに無駄骨だったろう。そう昨日はセーターの穴を塞いだ寒い1日だった。

 


ちょっとした差

2017-12-22 10:01:42 | 日記

ヒト500万年史を読んでいるが中々興味深い。やっと250万年前、ホモ・サピエンスの登場のところだが、多くの種が現れては消えてきた。その一つの理由に地球環境の影響がある。例えば突然変異で少しだけ、寒冷に強い種が現れたとする。目に見えるほどではない、無視できるほどの差であったとする。その時地球が寒冷化に向かっていたとすると、寒冷に耐性がある種はほんの少しだけ生き延びたとする。これが何万年の間繰り返されるとやがて寒冷に近い種が弱いものにとって代わるというものだ。直接戦って一方を滅ぼすわけではない。人類の歴史の単位は万年である。小さな差異が大きな結果を生み出す。これは必ずしも生物学的差異に限らず石器製作などの文化的差異でも起こることなのだろう。後半はヨーロッパのネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交替劇に迫るのだろうが(最近の文科省の研究プロジェクトはあらゆる側面から科学的にこの差異を検証しようと試みるものだと思うが)興味は膨らむ。

万年単位の歴史を辿ることは多分宇宙から地球を眺めた時のように価値観を変えてしまうとブログにも書いたが、ヒトの歴史と比較すると人生など瞬間にも満たないものであろうが考えさせられるところはある。他人と競争したり、国同士が覇権を争ったりすることはやはり瞬間の争いである。その時の勝負は必ずしも行く末を約束しない。負け続けの人生でも地道に努力していれば人生の最後に引き分け程度に持ち込んでいればこれで良かったと終わるだろう。勝ち続けの人生で最後に落とし穴に落ちる例は沢山ある。弱小国が一丸となって最強国を孤立化に導けば国としての末路はあきらかである。何だか宗教じみてくるからこの話は止めなければならないがヒトの歴史から学ぶべきところは多い。

「太陽電池の歴史」(JPEA発行、吉野量夫著)を呼んでも似たような所はある。一時期大変優れた技術であっても瞬間よりやや長い間しか優位的地位にはない。メーカーや国の優位性しかりである。緒戦の勝ち負けがそのものの絶対的価値を決めるものではない。歴史と現実の対比は結局現実を知る手立てとして大変有効なものであろう。般若心経の色即是空か。これはちょっと受け売りの喩えになっていまい再び宗教的解釈に陥ってしまう。

多くの人生は負け続けであろう。しかし、最後は引き分けくらいには持ち込める。君達はこう生きられる。

 


ルールとは

2017-12-21 16:53:46 | 仕事に関すること

貴乃岩が診断書を提出せずに休場したことに色々なコメンテーターが意見を言っている。どうも実社会を理解していないように思えてならない。代表的なものが、傷害事件の被害者だから提出が無くとも止むなし。それを責めるのは可哀そうと言うものだ。現役の頃、パニック障害で長期欠勤をせざるを得ない部下が居た。ストレスによる発症だった。直接担当していた事業部の人間では無かったが、労務管理はしなければならない立場でもあった。会社の規則では1週間以上の欠勤の場合は医師の診断書等を提出し、欠勤理由を明らかにする義務があった。さらに1カ月以上続く場合は診断書の更新が必要であった。これら提出を怠れば懲戒、最悪の場合は免職に繋がる。

1カ月過ぎて更新がなされなかったので本人のアパートまで様子を身に行った。面会するといたって元気で出勤に支障があるとも思えず、診断書の提出は勿論出勤の約束までして帰ったがやはり本人は出て来ない。本社に連絡すると、如何なる理由があろうと診断書が出て来なければ懲戒の手続をとらざるを得ないという。ルールはルールであり個別の事情をいちいち斟酌するとルールは決められない。それでは労務管理はできないと冷たく言われた。遅ればせながら出て来た診断書はやはりパニック障害は完全には治癒していないというものだった。症状が出るのは一定の環境条件下であると言われた。面会した時には発症の状態ではなかったのだろう。

親の期待が異常に大きく、本人は期待に添う様に仕事でも立派な社会人を装うプレッシャーが常にあったと彼の妹から聞いた。そう言えば面談の時長期欠勤が親に知られているかどうかをえらく気にしていた。田舎から出て来た、多分田舎では優等生だったのだろう、仕事でさほどの成果も出せなかったことが本人を追いこんでいたと思うと可哀そうでもあった。

あの時は本人の状況も知らす、本社の対応を随分冷たいと思ったが組織を管理する場合は何処かで線引きしないと運営が立ちいかなくなると気づいたのは随分後のことである。よく役所の窓口でお年寄りが色々事情を説明している姿を見る。対して窓口担当は会話など成立させずに一方的にお年寄りに要件を伝えている。冷たいようだが、そうしないと窓口業務が捌けないのである。極端に進んだ例はファーストフードの店員である。一方的に早口でマニュアル通りに喋るから殆ど聞き取れない。先日などは5千円札で支払ったらお釣りの4千円札を出してまず後を向いてリーダーらしき人にその札を見せて4千円出ますと確認をした後渡してくれた。小銭のお釣りは見せずに直接渡してくれたから、ちょっとからかって小銭は見せなくていいんですかと聞くとマニュアルにないのだろう、0.5秒くらい間を置いて小声で「ええ」と答えた。

何処までルールで決めて運用するか難しいところではある。ルールを外れる側の言い分と遵守を主張する側の対立は必ず起こる。さて貴乃岩の場合はどうだろう。ただ一つ言えるのは尤もらしく声を張り上げるコメンテーターの思慮不足と、何よりも彼らを登場させる番組制作者のお粗末な脳みそは何となく分かる。


そろそろ終わりか大相撲

2017-12-20 23:03:51 | 社会観察

どのチャンネルを回しても大相撲の問題ばかり。他にネタは無いのかと思う。スタジオに呼ばれた人達は出演料を貰っているのだろうが、いっそ日馬富士、貴の岩、貴乃花、白鵬にも出演料を出したらどうだろう。最後には白鵬の横綱としての品格まで問題になっている。張り手や肘打ち紛いのカチ上げなどが取り口として品格が無いそうだ。そもそも外人に日本古来の相撲様式、さらに品格など日本人にもちゃんと説明できない品格など持ち出しても通じる筈が無い。ブログに書いたが、万歳とはこういう場面でこういう心持の時にやるものと説明できる日本人が居るのだろうか。横綱になったら、張り手、ぶちかまし、待った、万歳禁止というくらいのルールを作らないと駄目ではないか。

たけしだったか言っていたがモンゴル(少し広げて日本人以外)人のリーグを作り、プロ野球のセ・パのように古式豊かな奉納相撲的、相撲道を極める日本人リーグと強さのみを求める外人リーグを作って最後にリーグ上位5位くらいの代表で年間チャンピオンを決めたらどうだ。体重によるクラス分けが無いから、外人リーグにはきっとアメフト選手のような筋骨逞しい力士が参入するだろう。彼らは35歳くらいで引退してプロレスラーの道を歩むだろう。日本人リーグは引退したらチャンコ屋で第2の人生を歩む。

もう正直言ってワイドショーやニュースのネタにならないよう落ち着いて欲しい。何よりも知ったかぶりでコメントする元記者や正義感面するコメンテーター、美男美女のお門違いの弁護士や何処にでも居る××評論家のコメントは食傷気味。

今B級読書は源氏物語で桐壺から花散里まで読んだが最終章の夢の浮橋までは相当ある。あるがもう飽きたこの種の物語りは文学的意味は良く分からないが性に合わない。中断し、ヒトの500万年史に取りかかっている。相当興味深い。最近の文科省の研究プロジェクト、人類交替劇の本が出版されたら、今の続きとして是非購読していみたい。何せ時間の単位が万年である。宇宙から地球を眺めた時、人の営みの小ささを感じると言うが、人類の歴史を読んでいると、現在の悩みが如何に小さいものか思い知らされる。ちょっと面白い記述があったのは、暑い地域、温暖な気候の下では人の手足は長くなる(放熱フィン)というところがあった。アフリカに住む人と極地に住むイヌイットの体形を引き合いに出していた。そう言えば日本人は中間かと納得する。先日のTVで人間がそのまま小さくなると体重に比し表面積(皮膚面積)が大きくなり放熱が大きくなって今の気候には耐えられなくなって死滅するというものがあった。以前、地球の資源を長持ちさせる為にはヒト縮小化計画をすべきと書いた事がある。マッチ箱くらいの家で十分になると。しかし、生物学的根拠に欠けるものであった。所詮素人の想像はそんなものである。

 


またですかゼネコンさん

2017-12-19 22:16:03 | 社会観察

リニア新幹線工事で大手ゼネコン4社が受注調整をしたという。何度やっても懲りない談合体質の露呈だ。民ー民契約だからでは済まされない。国の融資も入っている。融資だから返ってくる金だからでは済まされない。融資がどのように使われるかは精査する義務がある筈だ。結局は競争が無い高い工事費のツケは運賃にしわ寄せされる。

スーパーゼネコンと呼ばれる割にはお粗末だ。豊洲の工事で予定価格の上限に張り付いた受注でも何となくウヤムヤになったではないか。へたくそだ。もし、予定価格が漏れたり、談合が無かったらどうなるか。豊洲の安全対策追加工事で何度も入札不調になったように工期にすら影響する、国家的プロジェクトにそのような事があってはならない。工期は最優先課題だ。大凡大型の国家プロジェクトには大なり小なり胡散臭い話が混じり、その気になれば週刊誌ネタは幾らでも出て来る。折角××砲とかいって週刊誌が不倫報道に明け暮れているからと油断したんじゃないの。何でそれぞれが得意技術分野があるのに特命発注に持ち込めなかったの。まあいいか。担当者が自社の技術の自慢話をした際他社が応札を諦めて結果としてこうなったと言うか。贈収賄が絡まなければ意外と世間は忘れるのが早い。・・・こう言う発言は誰がするのだろう。

ゼネコンほどの大型工事ではないが昔太陽光発電でも公共施設への設置で入札に関与していた時期がある。営業ではないので入札に直接関与していないが、工事積算をして入札価格の元を作る役割だ。予定価格は想像するしかないが、怪しげな情報は山ほど入ってくる。最後に営業が悩むのは消費税を内外どちらにするかと言う事だった。予定価格の大凡が掴めたのは入札前に自治体が予算付けのために事前に何社かに見積依頼をして相場を確かめることが多かったからだ。勿論この時点で他社が幾らで見積もったかとかは分からないし、自治体がどのレベルで予算措置をしたかは分からない。しかし、予算編成用の見積もりであっても我が社の信頼度は圧倒的に高かったように思う。それは当時太陽光発電システム技術で抜きんでていたからである。技術が優れていると言うより、他社が不慣れな間に社内で実験もし、技術要件、機器仕様で一歩先を行っていたからである。多分初期の頃の案件受注シェアは7~8割はあったと思う。贈収賄はあり得なかった。何せ2千円以上の接待には凜議が必要で昼飯代にもならなかった。技術力を生かしたサービスと言えば、設計会社に教えたり、自治体の質問に丁寧に答えることだった。ところが功を奏したのは最初の3年くらいで、他社も技術に慣れてくる、自治体も経験を積んで独自で見積もりができるようになりシェアは落ちる一方であった。当時は民間の競争は凄まじく全てがライバルで談合などあり得なかった。ビジネスではどんどん苦しくなって行ったが不正をしたり赤字覚悟で受注することは無かった。案件規模も精々1億円前後でスーパーゼネコンが手を出す範囲ではなかったので子供のような競争に明け暮れていた時代である。

入札で最も激しい競争を繰り返していたのはODA事業である。こちらは商社が応札するが、ライバルや相手国の要人を巻き込んだ複雑な構図である。その内太陽電池ではない無償案件プロジェクトで大手商社の社長のクビが飛び、大手商社は5億円にも満たないプロジェクトでクビが飛んでは適わない、と言って太陽電池プロジェクトを含む無償案件の入札から一斉に撤退した。次に出て来たのはコンサルで、彼らが応札者になった。こちらは節操もクソも無い猛烈な獲得競争をしていた。名前も知らないようなコンサルがとんでも無い安い価格で受注したり、とてもビジネスと呼べる代物ではなくなった。因みに太陽電池プロジェクトのODA第一号の入札には深く関与したが面白い話は山ほどある。次にスーパーゼネコンが何かしでかした時にこのブログを覚えていたら書こう。