昨日は本当に何も無い、何もしなかった日である。多分事件に巻き込まれて昨日のアリバイを訊かれたら何も思い出せない日だろう。定年後結構そういう日が混じる。少なくとも月1回、あるいは年4回程度はどうしても忘れてはならない、外せない予定が入っている方がメリハリがあると言うものだ。定期的に病院通いというのは何とか避けたいものだが。四六時中仕事やら家庭の雑用に追われているサラリーマンから見れば、何と怠惰な贅沢な時間の無駄と思われるだろう。しかし、別に苦労して手に入れなくとも何れ皆さんもこういう境遇には成り得る。それを善しとするかどうかは別だが。
外に出て人に会う機会も減ったからたまに東京などに出る時は要らぬ心配をする。今サラリーマンは冬のスーツだろうか、コートは真冬のモノだろうかなどである。次はスーツを選ぶ時、折角洗濯に出したのに1日着たらその後どうしようとか。革靴も少々草臥れてきているが、新品を買おうか、買ってもこの後どれくらい履くチャンスがあるだろうとか。実に下らない事を考えてしまう。最近の衣、住は兎に角長持ちする。家だって安物の建売だが30年間、壁と屋根を塗ったくらいで大したメンテもしていない。風呂の屋外ユニットも27年目にやっと交換した。屋根の太陽電池は1998年に設置したが未だに元気に稼働している。多分定期的と言えば車の乗り換えだろうが、最近は小さな不具合すら起こらない。これはきっと明日からは乗らないという日に買い替えてしまいそうな悪い予感がする。
スーツや靴、ネクタイなどのサラリーマン衣装は特に今後使う可能性を考えるとどうしても未だこれでも良いかと判断して消費に貢献しなくなる。年末に遠出する予定があるので着て行くセーターを出してみたら虫食いの穴が開いていた。家内がそれはウールである証拠というが、原因を知りたい訳ではない。何故防虫剤が入っていなかったのかが知りたいのだ。決してナフタリンの匂いは嫌いじゃないのに。捨てるには惜しいし、今後着る機会もないだろうと思い、似たような色の糸で穴を潰してみる。遠目にはまず分からないからこれで行く。これではタンスの虫が折角消費を促しているのに無駄骨だったろう。そう昨日はセーターの穴を塞いだ寒い1日だった。