太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ちょっとした差

2017-12-22 10:01:42 | 日記

ヒト500万年史を読んでいるが中々興味深い。やっと250万年前、ホモ・サピエンスの登場のところだが、多くの種が現れては消えてきた。その一つの理由に地球環境の影響がある。例えば突然変異で少しだけ、寒冷に強い種が現れたとする。目に見えるほどではない、無視できるほどの差であったとする。その時地球が寒冷化に向かっていたとすると、寒冷に耐性がある種はほんの少しだけ生き延びたとする。これが何万年の間繰り返されるとやがて寒冷に近い種が弱いものにとって代わるというものだ。直接戦って一方を滅ぼすわけではない。人類の歴史の単位は万年である。小さな差異が大きな結果を生み出す。これは必ずしも生物学的差異に限らず石器製作などの文化的差異でも起こることなのだろう。後半はヨーロッパのネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交替劇に迫るのだろうが(最近の文科省の研究プロジェクトはあらゆる側面から科学的にこの差異を検証しようと試みるものだと思うが)興味は膨らむ。

万年単位の歴史を辿ることは多分宇宙から地球を眺めた時のように価値観を変えてしまうとブログにも書いたが、ヒトの歴史と比較すると人生など瞬間にも満たないものであろうが考えさせられるところはある。他人と競争したり、国同士が覇権を争ったりすることはやはり瞬間の争いである。その時の勝負は必ずしも行く末を約束しない。負け続けの人生でも地道に努力していれば人生の最後に引き分け程度に持ち込んでいればこれで良かったと終わるだろう。勝ち続けの人生で最後に落とし穴に落ちる例は沢山ある。弱小国が一丸となって最強国を孤立化に導けば国としての末路はあきらかである。何だか宗教じみてくるからこの話は止めなければならないがヒトの歴史から学ぶべきところは多い。

「太陽電池の歴史」(JPEA発行、吉野量夫著)を呼んでも似たような所はある。一時期大変優れた技術であっても瞬間よりやや長い間しか優位的地位にはない。メーカーや国の優位性しかりである。緒戦の勝ち負けがそのものの絶対的価値を決めるものではない。歴史と現実の対比は結局現実を知る手立てとして大変有効なものであろう。般若心経の色即是空か。これはちょっと受け売りの喩えになっていまい再び宗教的解釈に陥ってしまう。

多くの人生は負け続けであろう。しかし、最後は引き分けくらいには持ち込める。君達はこう生きられる。