太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何故そこに日本人が

2017-12-18 15:43:23 | 社会観察

人気のあるTV番組だが、昨日はネパールのムスタンで農業指導を行っていた近藤亨先生が取り上げられた。先生は昨年94歳で亡くなられた事も知った。20数年前直接お会いしたことがある。当時先生はムスタンでリンゴの栽培を手掛けられた頃で、会社に訪ねて来られた。当時、カリスマ経営者も名前が世の中に知れ渡り高収益企業として有名になった頃である。。近藤先生が来られたのはネパールでの活動を支援して欲しいという目的だったと記憶している。会社が有名になるにつれ多くの人が支援や寄付を求めて来た時代でもあった。特に窓口の役目をしていた訳ではないが結構有名な人とお会いする機会があった。近藤先生はまだあまり有名では無かったが、JICAの専門家をされていたと言う事で当時JICAのODAに関係していた私がまず会うことになった。お話を聞くとたった一人で色んな所に支援や寄付をお願いして回っているとのこと。淡々とネパールでの活動をお話されていたが、ネパールには何度か行って貧しい人々も見て来たがムスタンには行った事は無かった。話を聞くうちに一人で成就できるとは思えず、失礼ながら趣味か道楽かと思ってしまった。

丁度この前後だと思うが、パリダカで有名なドライバーとか太平洋ヨット横断の冒険家、エジプトの遺跡発掘で有名な教授など寄付依頼は実に多かった。多くは寄付依頼で、会社も宣伝になるでしょうと言うのが殺し文句だった。

当時私はJICAのODAに太陽電池プロジェクトが採用されるよう途上国を回っていた頃で、殆どの国は貰い慣れというか兎に角無償援助が欲しいの1点張りで、自分達はこのような努力をするから日本はこの部分を助けて欲しいという要望は聞いたことがなく、無償とか寄付については少し懐疑的になっていた。こちらの勝手な思い込みもあり、近藤先生には『援助を頼ってやる事業は援助が途絶えた時に終わってしまうのではないでしょうか。援助をして貰う方も援助で幸せになった分だけ援助が途絶えた時にはもっと大きな不幸を感じると思いますが。』と今考えても生涯最も失礼な生意気な口をきいてしまった。

近藤先生は落胆も失望した様子もなく、子供ほど歳の離れている私に向かって静かに『仰る意味は良く分かります。』と言われた。その時著書を頂いたので後で読むととんでもない勘違いをしていた。著書の中では70歳にもなってネパール・ムスタンに単身赴く決意が述べられており、何不自由ない日本の生活を捨てて行く自分の我儘を許して欲しい、もう自分は日本に居ないと思ってくれと言った言った主旨の遺書めいた家族宛ての文章が記されていた。宣伝になるでしょうと言って来た冒険家や学者、あるいは儲かっているからこれくらい良いでしょうと寄って来た連中とは大違いである。

それ以降、時々ムスタンでの活躍やネパールで勲章を貰ったニュースに接する度に「あの時、生意気なことを言ってすみません。援助や寄付であってもそれがトリガーとなって立派に自立する例があることは何年もかけて知る事になりました。」とお詫びの言葉を伝えたいと思った。昨年94歳まで生きて活動を続けられたことに改めて尊崇の念を抱くとともに、生意気だったこの若輩者を許して頂きたい。遅ればせながらご冥福をお祈りします。