太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

将棋の思い出

2017-12-06 09:54:58 | 日記

将棋の世界で偉業が達成された。羽生棋聖が永世7冠となったこと。新聞も1面で大きく報道している。特に将棋ファンという訳でもないが凄さは伝わってくる。もう与えるべき称号も無いのでは。将棋を覚えたのは小学校に上がる前後だったと思う。暇つぶしの父親から教わった。最初は駒の動かし方を教わるのだが、難しかったのは桂馬であった。明らかに他の駒とは異なる。よーいドンで始めても最初に動かすことが出来ないのも不思議だったが、動かす時も妙な飛び方をする。桂馬とびだと教わったが馬はそんな飛び方はしない。飛んだとしても真っすぐ前だろう、斜め前方に桝目を飛ばして行くのは米つきバッタなら分かるがと思っていた。それでもチャンスを見て桂馬を動かすと、よく場所が分かったなと父親が褒めるので将棋は桂馬を動かす場所探しに夢中だったように思う。

駒の漢字は全て読めるようになっていたので馬は分かっていた。しかし、たまにロバのパン屋が荷車を引いてパンの行商にやってくるが、それが馬だと思っていた(どんな時代のどんな田舎と思われるだろうが)。馬はゆっくりと着実に前へ前へと歩をすすめるものだと思っていた。そもそも本物の馬など見たことは無かったのだ。それから中学生くらいまでは将棋を指す機会が何度かあったが、川柳の「へぼ将棋王より飛車をかわいがり」を地で行く将棋であり決して強くはならなかった。将棋を覚えた頃の金ころがしや山崩しをやる方がよほど多かった。特に金ころがしでは年上の者が駒を振って金を縦にしかも逆さまに盤上に立てる時はあり得ない興奮を覚えたものだ(今思うとズルをしていたのだろう)。

自分の将棋の特徴はなんと言っても攻める時の怒涛である。ところが一旦守りに入るといとも簡単に詰まされてしまう。何だかその後の人生全般のようでもある。調子に乗っている時はすこぶる勢いがある。守りに入ると赤子の手を捻るようなものである。こんな性格が最初から分かっていればもうちょっと違う人生があったかも知れない。

小学1年生の時、少し離れた村から通うガキ大将が居た。「まさっちゃん」と呼んでいたが、正式にはまさしと言う名だ。体は小さいが運動神経抜群で走るのも速く、野球も上手だった。勉強はさほどでもないが結構子分も居てクラスのガキ大将だった。取っ組み合いでは勝てないが口喧嘩に勝るこちらは恰好の餌食であった。多勢に無勢で喧嘩に勝った覚えは無いが一人で家へ訪ねて行くと遠来より友来るの感じですこぶる機嫌よく一緒に遊んだ記憶もある。ある時訪ねるとお年寄りと小学1年生が将棋を指している。まさっちゃんは遊びたくてしょうが無いのだがお年寄りが放してくれないという。まさっちゃんは将棋が強いので有名で結構離れた村からもお年寄りが将棋を指しにやってくると聞いた。その後棋士になったという話は聞かないが、将棋というのは特異な才能を必要とし、その才能に凡人は勝てないと改めて思ったのは中学生になってからである。

この特異な才能を人は天才と呼ぶ。しかし本人は自らを天才と呼ぶことはない。不断の努力の賜物だと必ず言うし、本当にそう思っているだろう。天才を見るのは痛快であるが、同世代にしかも競争相手に天才がいたら堪ったもんではない。羽生棋聖が天才かどうか分からないが思考回路は常人とは違うだろう。幸いにしてサラリーマン社会には天才は少ないし、どの部分を指して天賦の才であるのかよく分からない。分からないからこそ諦めがつかない。だから皆やって行ける。