太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何処が違うのだろう

2019-02-28 08:58:08 | 社会観察

2回目の米朝首脳会談がベトナムで行われている。我々の世代ではベトナム戦争の記憶が生なましいが映し出されるベトナムはここまで変わるのかと思うほど近代化(景観)されている。トランプ大統領もベトナム戦争の記憶は強烈に残っているだろうが感傷の素振りは見えない。歴史問題をあまり表に出さないアメリカらしいとは言えるが。

さて、2回目の首脳会談であるが、何時も不思議に思うのは直接会わなければ伝えきれないものは何だろうと。感覚的には分かるが科学的に説明してみよと言われればできない。交渉だけなら手紙(メール書簡)でできるし、TV会談ということもある。それでも時間と経費をかけて直接会う意味はどこにあるか。握手やボディタッチのちょっとした仕草で伝わるものは何か。瞬間の表情の変化や言葉の端で分かることは何か。それらは多分数値化し難い感情の領域に訴えるものであろう。もし技術が進みTV会談も3次元で相手が表され、如何にも実物が目の前に居るように見えたら直接会う必要はなくなるか。多分それでもデジタル技術の限界で音や匂い、温度などは再現されない。安倍さんも盛んに各国首脳と直接会う。その効用を誰か科学的に解析して説明して欲しいものである。

ブログで書いていることは手紙のしかも一方通行であるから読者に何かが伝わるとしても限界がある。自己満足に過ぎないのだがルーチン化を課したから今日も書く。

新しいPCも、メール機能でトラブっていたスマホも何とか落ち着いた。それにしてもアナログ世代にとっては取説すら分からない時代である。取説自体がネットで見るものが多く、昔のような分厚い紙焼きは無い。ものを作る時代から使う時代へと完全に変化してしまった。作る時代の自負はもう何の役にも立たない。例えば複雑なICチップでも構造を見ていると何となく作り方は想像できる。しかしそのICチップを自由自在に使いこなせと言われると多分できない。いや用途すら良くわからない。作り方など知らなくても使いこなせる世代は増えている。野菜の育て方は知らないが調理法は沢山知っている世代である。拙老、ミニトマトだけは育て方から食べ方まで知っているのだが。

自慢じゃ無いが小さいころ近所の庭で藁の壁で囲んだタバコの苗床も見たことがある。最後にはタバコの葉を乾燥庫に吊るして石炭で乾燥させていた。火の焚口にジャガイモを放り込んで焼き芋にするのがおやつだった。イ草だって泥の中に漬けて作業をしていた。最後は機織り機で複雑な模様の畳表を作り、その端面に飛び出した糸を括る作業は端括りといって母親の仕事であった。赤ん坊だった妹はその傍で畳表で作った猫の寝床のような籠の中で寝ていた。畳表の染料のせいか抱いている人形は青黒く染まっていた。自身の頭の中では映像化できるが伝える限界はある。

思い出の数々はとんでもない昔のように思えるが半生くらいの間の変化である。今のままで行くと何れ社会の変化についていけなくなるのであろう。駅の自販機で切符すら買えなくなる。実は今でも他の路線への乗り継ぎ切符はちょっと買うのが難しい。あまり時間がかかると後ろの人がこのおっさん何を考えていると呟いているようでちょっと気が引ける。こんな感情後ろの人に伝わる訳がない。前に回ってくれれば遠慮している表情くらいは読み取って貰えるのだが。



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