太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

確立統計を超えて

2023-06-30 07:49:03 | 日記

 明日の市民講座は「統計深読み 社会の実情をつかむ」である。統計学は大学で履修したことがある。実に難解な講義で高等数学を駆使していたように思う。統計と言う名の数学の一部のようだった。予稿に目を通したらはグラフが多く多分初老の素人聴講生に興味を持って貰うために準備したものであろう。統計学で思い出すのは天気予報である。TVでは簡単に説明しているが気象因子に過去データをつき合わせてコンピュータで解析するが科学の領域に入ったのだろうよく当たる。予報となると確率がつきものだが天気予報の降水確率の意味は「雨が降る確率」のことで、あるエリア内で一定時間内に1mm以上の雨または雪の降る確率の平均をいい、〇%として表される。過去の観測データから類似する条件の日を抽出してそのうち何日雨が降っていたかで算出される。例えば、降水確率が50%ということは、同じような気象条件の日を100日抽出したら50日で1mm以上の雨が降ったと言う意味である。天気予報の降水確率はその時の天気図から予想されているわけでも気象予報士が独自に考えているものではない(それにしては得意げに説明するが)。あくまでも過去のデータで決まるのだ。

科学的に確立や統計を基に物事を判断すればよいのだが人間心理はそれを超えて期待する。期待値は確立統計から算出されるがここで言うのは非科学的、向こう見ずな望みである。宝くじの当たる確率は計算できるし戻って来る金額の期待値(額)も計算できる。それでももしかしてと思って買う。このもしかしてというのが世の中を面白く、人間らしくというべきか、する。腹ペコのライオンが、もしかしてこのブッシュを抜けたら偶然ガゼルが目の前にいるのではなどとは考えない。連日ボウズのクロダイ釣りも釣り場に着く前はいつももしかして今日はと考えている。帰路はいつも確率的には当たり前かと反省する。ある意味人間らしく暮らしている。

 



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