太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

8月の長雨

2021-08-17 08:35:11 | 日記
 この時期にしては珍しく長雨となっている。小康状態だった九州地方が再び豪雨に見舞われている。今の子供達はコロナもあり、とんでもない夏休みの思い出になってしまう。おじさん達の夏休みの思い出は本当に夏らしいものばかりだが羨む必要はない。人生は押しなべるようにできている。これから先にはきっと楽しい思い出が沢山待っているだろうから。
 国際では大きなニュースが飛び込んできた。アフガニスタンでタリバンが政権を奪取したとのことである。幸い首都カブールでは戦闘とはならなかったようだが国の混乱は推して知るべしである。アフガニスタンには何度か直接、間接に接する機会があった。最初は半世紀近く前新入社員の頃である。職場の先輩で京都大学を出た先輩が居た。当時の課長は地元の公立大学を出た人だったが物凄く学歴を気にする人で何かにつけてこの先輩を弄っていた。虐めに近い叱り方で、今で言うマウントを取るといったところだ。またこの先輩が口下手で叱られると思ったことの半分も言い訳ができない。兎に角慌てて喋るものだから意思が伝えられていない。最後はすみませんでしたと謝って話を終わらせる。もっと反論すれば良いのにとこちらがイライラしたものだ。その先輩がある日、兄貴が書いた本だが興味があったら読んでくれと一冊の本をくれた。「アフガン褐色の日々」というカブールでレスリングコーチをしていた兄貴の著作である。この兄貴は後に国会議員もやった有名な人である。こちらが先に会社を移ったが兄貴が議員になった時には課長のマウントはどうなっただろうと思った。課長がバックマウントを取られていたかも知れない。
 次はカルザイ大統領の右腕と言われていたアブドラ外相が援助のお礼に日本に来られた時、帰路職場に立ち寄られた話である。職場は太陽光発電システムの研究開発と実機の展示を行っていた。ご本人が再エネに興味があるといって実現したものだ。ニュースで見る通りの鋭い顔つきで一見強面だったが実に物静かで紳士、大変物知りなインテリだった。2000年初頭だったがツーショットの写真は今でも記念に持っている。
 次はアフガニスタンの人道支援で活躍していた中村哲医師が襲撃で亡くなったことである。何と言う事をしてくれるのだと憤怒が今に残る。農業用の灌漑で用水路を開き褐色の大地を緑に変えている映像はしばしばTVで拝見していた。以前ネパールで同じように年が行ってから農業開発支援に生涯を捧げた近藤先生とお会いする機会があり「ムスタンへの旅立ち」という本も頂き大変感銘を受けた思い出と重なった。
 次は今であるがお隣がアフガニスタン家族である。どういう訳か我が市と隣の市はアフガニスタン人が何千人と暮している。お隣は小さな子供二人と両親、さらに社宅扱いらしく1,2名のアフガン人が住んでいる。子供らは大変な元気で休みの日には知り合いの子供達がやってくるので大騒ぎである。前の道路を走り回るので危なくてしょうがない。映像で見るアフガニスタンの子供達とは大違いだ。親はそれどころではないだろう。住みやすいとも思えない遠く離れた日本に移り、日本語も殆ど分からない暮らしは決して安泰ではないだろう。将来は帰国と考えているのだろうが今回のタリバン政権でどうなるか。日本の国土の1.7倍、人口は3000万人しかいない。長い戦禍で復興には人が必要だろう。安定した平和な国づくりを目指すなら国内は粛清よりも人材の有効活用、外地に逃れた人達が一刻も早く帰国して復興に貢献したいと思う国造りが優先されればと思う。走り回っている子供達が現実を知る前にまずは安定した国造りが大人たちにかかっている。


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