原発事後で発生した汚染土の再利用についての住民説明会で、そんなに安全と言うなら五輪施設の工事に使ってみよ言った人がいる。唐突であるが環境省も俄かには答えられない厳しい提言である。そもそも除染という言葉が適正ではなかった。イメージでは取り除かれる、無くなるというものだが実態は移染である。最後は何処かに持っていかなければならない。同じことは今後福島に貯まっている汚染水の処理についても起こるだろう。ストロンチウムやトリチウムは除かれていない。最後は海洋放出ということになるのだろうが、これとて海洋で薄まるだけで無くなる訳ではない。薄まるから安全だと言えば、それならまず東京湾へと皮肉が出るのは目に見えている。
汚染度の再利用については国道などの道路工事の基礎に、アスファルトやコンクリートで覆われるからさらに安全という案もある。それでも沿線住民は地下水汚染の心配とか言い出すだろう。豊洲のように地下をコンクリートブロックで囲うなどの膨大な費用がかかるが、心配を払拭するのは理屈ではない。幸いなことに時が解決する場合もある。今豊洲の地下汚染はニュースにもならない。
原発事故で発生した汚染土や汚染水の処分は薄める、拡散するという方法しかない。全国各地の海に少しづつとか、国有地に分散して少量づつ埋設とか。これは有用である資源の正反対の概念である。資源は価値あるものが偏在しているから資源であって分散、拡散していれば環境である。汚染は集中しているから危険でもあり始末に困る。ウランを含めた化石燃料はエネルギー密度からして利用価値は高い。環境因子である太陽光を利用する太陽光発電はあまりに希薄なエネルギーを使うため効率は低いが後始末はそれほど苦労しない。100%の安全は無いというのが常識であるならば原発立地や推進には一定の覚悟は必要である。
基地問題も似ている。集中配備によって効率的な運用はなされるのだろうが、それならまず東京湾を埋め立ててと言われると様々な理由を挙げて拒否することになるのだろう。集中から分散へという大きなテーマは様々な分野で先進国共通の課題だろう。最近不動産女王というか女社長の豪邸がTVで紹介された。勿論本人の特異な才能もあったのだろうが、家具や車に贅が尽くされている。金というのは一度集中するシステムを作れば自己増殖するものだと感心した。さて天気も良し、コンビニ廻りでチマチマ小金を拡散して行くか。
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