太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

描く未来が似て来た太陽光発電

2016-06-08 09:10:03 | 仕事に関すること

6月7日、エネ庁の基本政策分科会の「再生可能エネルギー導入関連制度改革小委員会」で、“再生可能エネルギーの導入拡大に 向けた施策の方向性について”という資料が配布された。ここで太陽光発電の未来について【ポストFITに向けた太陽光発電の導入(ZEH・VPP)】が大きく取り上げられた。足下ではFIT制度改定という業界にとって大きな影響がある問題も生じているが、未来像については業界が描くものと、委員の大先生や高級官僚が描くものに大きな齟齬は無いように思える。

「ポストFIT」という言葉は業界が2013年12月に策定、公開したビジョン“FITが拓く太陽光発電、普及の新しい扉”でいち早くその重要性を喚起し、ZEHにも言及した。VPP(バーチャルパワープラント)については言葉こそ使わなかったが2014年10月策定のビジョン“2030年に向けた確かな歩み、スマートカントリーを目指して”で同様なコンセプトを披歴した。まさか大先生や官僚が業界のビジョンなど読んでいるとは思えないがここに来て未来像が良く似ていることに気付く。多くの人が同じような未来を描くということは、それがあたかも常識のようになり、色んな意味で行動、価値観のベクトルが合致することになる。それは施策や国民のコンセンサスとして現れる。

VPPについては弊ブログ“今太陽光発電で想うこと”(5月15日)で偶々書き記したものや、この秋発売の専門誌への寄稿内容と酷似したが、少なくとも委員会より前に書き記したことだけ付記しておかなければならない。

委員会資料ではVPPのコンセプトが良く書かれており、そこには太陽光発電に関するあらゆる技術が包含されているのが分かる。例えば足下の出力抑制、デマンドレスポンス、電力取引市場、ピークカット、エネルギー安全保障と大凡関係しないものはない。一番の問題は度々書いてきたが「誰がそれを必要とし、作り、運用するのか」という当事者が居ないことである。

VPPは作ろうとして作れるものではない。色んなニーズに対応して行く、その積み重ねが結果としてVPPになるという進化である。スパコンを一気に作り上げるという中央集中的な形態ではなく、PCクラスタが徐々に大きく集合して結果としてスパコンの機能に匹敵するようなものである。原子が分子、高分子、有機物といった生物の進化にも似る。いきなり人間は作れない(作ったという人も居るだろうが)のである。

もし、小学生に100年後の街を描けと言えば煙突から煙や水蒸気が立ち昇る街ではなく、電気自動車が走り、ZEHの家を描くだろう。ちょっとマセタ中学生なら宇宙発電から送られるマイクロ波やレーザー光を電気に変換し、さらに地上でも電磁波(無線)で送られる電気を各家庭がパラボラで受電する姿を描き、水素社会の到来を書ききることだろう。途上国の子供たちも急速に同じ想像をするようになる。彼らは携帯電話に日本よりも素早く馴染んで行ったように世界は似たもの同士で溢れる。何処で誰が描こうともその絵の片隅には必ずと言っていいほど太陽電池が描かれるに違いない。



コメントを投稿