太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

PCが新しくなって

2019-02-25 17:19:25 | 日記

一番驚いたのは検索にスマホでは標準装備になっている音声入力がついている。試すと非常に正確に認識する。キーボードを叩いて文字入力する手間に比べると圧倒的に速い。難点はPCに向かって喋ることの恥ずかしさだ。誰も聞いてはいないが機械に向かって何か言うのは空に向かって呟いたという伝説や海に向かって叫ぶ青春ドラマのようでこっぱずかしい。その内慣れると当たり前になるのだろうが今は未だ。

今の時代音声認識をして簡単な会話をするAIを使った機器は沢山あるが、将来は相手が人間だか機械だか区別できない時代が来るだろう。AIは感情を持つようになりHALのように喧嘩相手になるかも知れない。普段会話の相手が少ないので安いロボットが出れば車の助手席に乗せても良いと思っている。今日は道が混んでいるなあ。旦那さん、月曜の朝はデータからして混むことは分かっているじゃないですか。余裕を持って出るようにと言いませんでしたっけ。聞いてないよ。そちらが聞いてくれないからですよ。幾ら進化したロボットでも自発的に喋り始めるのは難しいし、そうなったら世の中煩くてしょうがないですよ。てな会話をするんだろう。

PCの操作もあれやこれやと試行錯誤しているが、偶然目的のものが出来た時、いったいどのような操作で上手くできたのか忘れてしまう。結局振り出しに戻って再びあれやこれやと作業する。森の中で道に迷い散々歩き回った末に偶然目的地に着いたようなものだ。同じ道を辿ってみよと言われてもできるものではない。ある所までは理詰めで攻めるが、最後はポンと飛躍する自身の思考パターンにも似ている。理路整然と考えを繋いで行くインテリにはなかなかなれない。ただ研究生活ではこれが功を奏したこともある。頭脳明晰な部下に恵まれ毎日のミーティングはちょっとした学会並みであった。ところが理詰めで行き着く先は皆同じようなところまで行けるが、その先に進めない。明晰とは言えない仕方なしリーダーの私がじゃあこうして見ようと提案する。部下は理屈が通らないと躊躇する。リーダーの権限で無理やりやらせる。頭の良いものは最後の小さな小川も理屈が通らなければ飛び越せない。行き詰ったらエイやっでしょうでやった成果が今でも世界中で太陽電池製造プロセスで使われている。

庭の花梅が一輪咲いた。今年は剪定のお蔭か随分沢山蕾がついている。満開も綺麗だが一輪も捨てたものではない。これを捨てたら本当に老木となってしまう。

 

 

 

 

 


平成のクロニクル

2019-02-25 08:34:42 | 社会観察

沖縄の辺野古への基地移転に関する賛否の県民投票が行われた。賛成、反対、どちらとも言えないの3択だが意外に思ったのは投票率の低さである。52.48%だったが半数近くが投票に行っていない。もっと関心があると思ったのだが。しかし、投票前から結果に法的拘束力は無いと言われれば、どうせ投票に行ってもと思う人達がいても不思議ではない。またわざわざどちらとも言えないと言いに行く人も少ないようには思う。もし、法的拘束力があり、移転先の辺野古にも15年とか20年の時限を設けるなどの選択肢があれば相当結果の様相は変わっていたのではないだろうか。普天間から辺野古へ、じゃあその後はとなると何も聞こえて来ない。なんともやるせない県民投票である。

久しぶりに素晴らしい新聞記事に出会った。劇作家の山崎正和氏が寄稿した「地球を読む」のコラムである。1,2面で結構なスペースを割いているが、平成という時代をどう見るかを総括している。文章は簡潔明瞭で氏が振り返った平成と言う時代を余すことなく伝えている。限られた字数で納めるのは簡単ではない。編集者がある程度添削するだろうが内容の変更までは立ち入れない。一言一句氏が推敲を重ねただろう。いや褒めるべきはその内容で、時代を読む慧眼は流石である。

平成の30年は二つの歴史的な激動期の終焉とともに始まったという書き出しである。一つは武力とイデオロギーを懸けた東西対立の解消。日本では戦後国内を左右した政治と思想の対立が一挙の基盤を失った。もう一つは明治に始まり敗戦復時に加速され60年代に頂点を極めた産業の飛躍が終わろうとした時であると。平成がこの終焉とともに始まったことは日本人は一見、この平成と言う時代を消極的に生き始めたように見えた。・・・・GDP至上主義者は落胆するだろうが、その代わり、今日の日本には明治以来のいつの時代にもなかった、誇るべき国威が新しく芽生えているように思えてならない。今風に言えば「生きざま」を変えて、生活の文化を磨き、他人への配慮を強め、社会関係の質を高めようとしてきたことの結実である。・・・・明治に輸入された「公共」の観念が平成の終わりには身に付いた国民の習慣になり、今かっての故郷に帰りつつあると結ぶ。

これらは大災害に見舞われ、それを乗り越えてきたことで顕著になった日本人の特質とも言えるだろう。コラムに世界的な宗教対立に触れていないのは紙面の都合というよりへ平成という日本の時代に直接影響を及ぼした事柄が少ないからであろう。それは次の元号を特徴づけることになるかも知れない。お隣のアフガニスタン家族が数か月ぶりに帰ってきた。おかげで土日は表の道路で大声を上げて遊びまわる喧噪も復活。道路で遊んだら危ないと言うのに。聴かないやんちゃどもである。