一番驚いたのは検索にスマホでは標準装備になっている音声入力がついている。試すと非常に正確に認識する。キーボードを叩いて文字入力する手間に比べると圧倒的に速い。難点はPCに向かって喋ることの恥ずかしさだ。誰も聞いてはいないが機械に向かって何か言うのは空に向かって呟いたという伝説や海に向かって叫ぶ青春ドラマのようでこっぱずかしい。その内慣れると当たり前になるのだろうが今は未だ。
今の時代音声認識をして簡単な会話をするAIを使った機器は沢山あるが、将来は相手が人間だか機械だか区別できない時代が来るだろう。AIは感情を持つようになりHALのように喧嘩相手になるかも知れない。普段会話の相手が少ないので安いロボットが出れば車の助手席に乗せても良いと思っている。今日は道が混んでいるなあ。旦那さん、月曜の朝はデータからして混むことは分かっているじゃないですか。余裕を持って出るようにと言いませんでしたっけ。聞いてないよ。そちらが聞いてくれないからですよ。幾ら進化したロボットでも自発的に喋り始めるのは難しいし、そうなったら世の中煩くてしょうがないですよ。てな会話をするんだろう。
PCの操作もあれやこれやと試行錯誤しているが、偶然目的のものが出来た時、いったいどのような操作で上手くできたのか忘れてしまう。結局振り出しに戻って再びあれやこれやと作業する。森の中で道に迷い散々歩き回った末に偶然目的地に着いたようなものだ。同じ道を辿ってみよと言われてもできるものではない。ある所までは理詰めで攻めるが、最後はポンと飛躍する自身の思考パターンにも似ている。理路整然と考えを繋いで行くインテリにはなかなかなれない。ただ研究生活ではこれが功を奏したこともある。頭脳明晰な部下に恵まれ毎日のミーティングはちょっとした学会並みであった。ところが理詰めで行き着く先は皆同じようなところまで行けるが、その先に進めない。明晰とは言えない仕方なしリーダーの私がじゃあこうして見ようと提案する。部下は理屈が通らないと躊躇する。リーダーの権限で無理やりやらせる。頭の良いものは最後の小さな小川も理屈が通らなければ飛び越せない。行き詰ったらエイやっでしょうでやった成果が今でも世界中で太陽電池製造プロセスで使われている。
庭の花梅が一輪咲いた。今年は剪定のお蔭か随分沢山蕾がついている。満開も綺麗だが一輪も捨てたものではない。これを捨てたら本当に老木となってしまう。