沖縄の辺野古への基地移転に関する賛否の県民投票が行われた。賛成、反対、どちらとも言えないの3択だが意外に思ったのは投票率の低さである。52.48%だったが半数近くが投票に行っていない。もっと関心があると思ったのだが。しかし、投票前から結果に法的拘束力は無いと言われれば、どうせ投票に行ってもと思う人達がいても不思議ではない。またわざわざどちらとも言えないと言いに行く人も少ないようには思う。もし、法的拘束力があり、移転先の辺野古にも15年とか20年の時限を設けるなどの選択肢があれば相当結果の様相は変わっていたのではないだろうか。普天間から辺野古へ、じゃあその後はとなると何も聞こえて来ない。なんともやるせない県民投票である。
久しぶりに素晴らしい新聞記事に出会った。劇作家の山崎正和氏が寄稿した「地球を読む」のコラムである。1,2面で結構なスペースを割いているが、平成という時代をどう見るかを総括している。文章は簡潔明瞭で氏が振り返った平成と言う時代を余すことなく伝えている。限られた字数で納めるのは簡単ではない。編集者がある程度添削するだろうが内容の変更までは立ち入れない。一言一句氏が推敲を重ねただろう。いや褒めるべきはその内容で、時代を読む慧眼は流石である。
平成の30年は二つの歴史的な激動期の終焉とともに始まったという書き出しである。一つは武力とイデオロギーを懸けた東西対立の解消。日本では戦後国内を左右した政治と思想の対立が一挙の基盤を失った。もう一つは明治に始まり敗戦復時に加速され60年代に頂点を極めた産業の飛躍が終わろうとした時であると。平成がこの終焉とともに始まったことは日本人は一見、この平成と言う時代を消極的に生き始めたように見えた。・・・・GDP至上主義者は落胆するだろうが、その代わり、今日の日本には明治以来のいつの時代にもなかった、誇るべき国威が新しく芽生えているように思えてならない。今風に言えば「生きざま」を変えて、生活の文化を磨き、他人への配慮を強め、社会関係の質を高めようとしてきたことの結実である。・・・・明治に輸入された「公共」の観念が平成の終わりには身に付いた国民の習慣になり、今かっての故郷に帰りつつあると結ぶ。
これらは大災害に見舞われ、それを乗り越えてきたことで顕著になった日本人の特質とも言えるだろう。コラムに世界的な宗教対立に触れていないのは紙面の都合というよりへ平成という日本の時代に直接影響を及ぼした事柄が少ないからであろう。それは次の元号を特徴づけることになるかも知れない。お隣のアフガニスタン家族が数か月ぶりに帰ってきた。おかげで土日は表の道路で大声を上げて遊びまわる喧噪も復活。道路で遊んだら危ないと言うのに。聴かないやんちゃどもである。
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