さて、今年も押し詰まって来ましたね。スピカです。毎年この日から、なんとなく始まることになってしまいました。
12月22日はかのじょの実母の命日です。この世界で最も悲しい女性の死んだ日です。美しい天使の母親になるなどめったにないことなのに、それを自ら捨ててしまった人。天使の母親になってくれた女性はたくさんいますが、それを捨ててしまった女性はこの人だけです。
おかげでかのじょは大変な子供時代を過ごした。つらいことばかりがあった。
だがそのおかげで、大人になってからの世間の逆風に耐えられる精神力もついたのだが。
子供時代に味わった貧困は相当なものでした。それがあったから、大人になって、夫の仕打ちにも耐えることができたのです。夫は生活費もろくに出さずにかのじょをしめあげた。仕事の手伝いをいくらでもさせておきながら、自分はほとんどかのじょの仕事に協力しなかった。かのじょは自分の服すらめったに買えなかった。こんなことをする人は最低の人ですよ。
普通の女性ならすぐに離婚でしょう。だがあの人は耐えてくれた。なにもかもは救済のためだ。自分の幸福だけ考えて生きていたわけではない。
あまりこんな重い話はしたくないですね。
少しは明るくいきたいものだ。わたしのここでの使命は、かのじょに似た甘くやさしい雰囲気を紡ぎ出すことですから。
表題の絵の聖女は、おそらく聖セシリアでしょう。その死を二人の天使が悼んでいる。わたしたちもこんなものだった。
とうとう死んでしまった女性の前で、しばし何も言えなかった。
もう何年も経ってしまいましたが。そうすると悲しみも幾分澄んできます。死んでしまったかのじょのために、わたしたちがやってきたことが、今年に入ってなんとか明るい芽になってでてきたからです。
みながやっと、かのじょのことをわかってくれた。
あれはほんとうにきれいな人だったのだと。