20日
成田行きバスの時間が合わないので、南流山、東松戸(北総線)経由(鉄道)を試してみた。時間的にはバスと変わらず、値段が安く時間も読める。今後はこちらを使ってみよう。
行きのCAの通路側が満席というので、出口席を聞いてみたらガラ空きという。カウンターシートにはなっていないが、普通の席よりは広い。緊急時に中国語で空姐の補佐ができる人に限られるが、中国人は積極的にはここに座りたがらないようだ。反対側に日本人のおっさんが一人で座っていたが、英語すらできないので移動させられた。何も起こらないことを祈ろう。
仁川を過ぎるころから陸面が妙に土気色に変わった。「北」の陸地だ。いかにも荒れている印象だ。
大連周水子空港には、副教授のW女史(38:阪府大で博士:満族)と講師のC嬢(30)、男子学生(本科)が1名待っていた。満族美人のC先生から大きな花束を渡され、普段ゴルゴのごとく一人で動いている小生は戸惑ってしまった。今回はW先生のご招待。2009年夏に瀋陽でのプロジェクトがポシャって以来、共同研究の新ネタを模索しつづけ、ようやく今回の招聘に至った。
思ったよりは寒くない。今日は内衣(インナー)がまだまだ不要。市内は工事渋滞のようだ。大阪ネタ(橋下氏の悪口)で盛り上がるうち、大連駅の東にある茸火鍋の店に到着。松茸を鍋料にした贅沢な火鍋を食す。その後カラオケへ。つくばのカラオケの更新(C-Pop)の遅さには参っていたが、やっぱ本場は違う。劉徳華の「悟」に始まり、最近ダウンロードしたものは一通りできた。圧巻は劉徳華の演唱会(コンサート)ライブ版。奈落からワイシャツにポリスの防弾チョッキ姿でアンディ登場。無間道の広東語バージョンだ。思わずなりきりの熱唱。C先生は彼の大ファン。広東語も歌える。彼女大喜び。
宿泊は韓国系と思しき船舶麗湾大酒店。深夜いきなりマッサージの勧誘電話。上海よりも高い値段を言ってきた。大連は町中洗浴中心だらけなので、こんなところにお世話になるやつがいるのだろうか?
21日
11時にW先生がホンダCITYでやってきた。大連は中心市街地が半島のように突き出しているので、T字路の部分がどうしても渋滞してしまう。モノレールも中心市街地に乗り入れておらず、「半島」の付け根と北に離れた開発区を結んでいるだけだ。T字路部分を通らずに行けるバイパスが欲しいところ。
空港を過ぎるあたりから、ベッドタウンが山の斜面に密集する景観が始まっている。それより北は開発区といって、工業地帯に隣接して新しい住宅団地が展開しているが、空気の汚染がひどい。W先生によれば、デベロッパーが汚染に言及せず、市民に住宅をあくどく売りつけているらしい。値段も下がり気味。
朝鮮伝統建築風の門にハングルでコリアタウン(英語じゃないか)と書かれている。大連民族学院(2019年現在は大連民族大学)の周りは韓国系資本が開発したという。当然、韓国レストランへ。ポシンタンを含め、あれこれ食す。ユッケはパス。服務員につい韓国語で話してしまう。
大連民族学院のキャンパスはきれいだ。最近10年以内にできた印象がある。90年代に日本の大学もどんどん設備が新しくなった(同時に郊外へ移転した)が、2000年以降10年遅れでその波は中国でも進んでいる。設計学院では土木建築系にとどまらず、工業製品(カメラなど)やアートも扱っている。大学院生はまだいないので、学生の雰囲気は日本の私学美大という感じだ。廊下には日本のアニメの自作フィギュア(ワンピースなど)が並べられ、まさに宅男宅女(ヲタク)の天堂(天国)。陶芸の研究室に行くと、著名な陶芸家でもいらっしゃる客座教授の先生(小生と同世代)が、優雅に鉄観音を入れている。しばし茶席に加わり、陶芸談義をかわす。小生の父親もアマチュア陶芸家であり、小生自身も多少の耳学問はある。
その後、生命科学院と建設学院へ。W先生は生態学をベースに造園設計を研究されているので、こちらとも付き合いがある。北方草原生態系の研究室を訪問。うちの研究所でもこのテーマは長くやっているし、小生自身も15年前は内蒙古の草原調査隊に参加した。最後に、建設学院の院長と面談。震災後の研究の方向性について意見交換。清華などの著名校とは雰囲気を異にしているが、有意義な訪問であった。
夜は大学の向かいにある海鮮と雑糧の高級店へ。大連では地階に食材展示場があり、そこで注文するスタイルである。調理方法は食材ごとに決まっている。C先生も合流。辛い牛蛙のせいなのか、深夜胃痛を感じて眠れず、明け方ついに嘔吐。鋼鉄の胃袋のはずの小生が。
22日
11時のピックアップまでひたすら寝る。昨日午前は「茶馬古道」なる時代劇に見入ってしまったが、今日はテレビをつけるのもおっくうだ。抗日期のチベットを舞台にした愛情故事。各地の少数民族総出演(エンドロールでもキャスト・スタッフの出身民族を紹介)、ゲリラあり、日本鬼子あり、美女あり、ストーリーも緊迫していて、ぜひDVDを買いたいと思えた作品。チベット族土司の御曹司の第二婦人(白族出身)に御曹司の友人が横恋慕。結構ドロドロしています。利権にまみれた漢族の商人も。
今日の昼は軽目に米線。しかし表面に浮いた油を受け付けず、ほとんど食べられなかった。講義まであと1時間。今朝大変だったことは一切伝えなかった。
今回の講義は相手が学部生なので、かなり簡単にした。地元の新聞社、TV局も採録しに来ている。後で自分の講義ビデオを見ることができるだろう。冒頭いきなりプロジェクターがダウン。田舎の三流校じゃあるまいし、、、。
気を取り直して再開。お決まりのスピーチの後、朝鮮語、モンゴル語、そして満語で挨拶する。え、反応がない。満族の学生は確かに数名いた。みんな満語を知らないという、がっかり。少数ではあるが、チベット族やウィグル族も出席していた。この学校は国から補助をもらって、少数民族の知的底上げを図っているという。学費は高くない。年間6〜7千元程度だ。小生より数年上の世代の日本の国立大学の水準か。
例の白濁ガラスの手品に始まり、名古屋大学で出題した、ユニクロの色彩と着用時の温冷感覚、ビルの赤外線画像から季節と時刻を言い当てる問題を、学生の皆さんに考えてもらった。ユニクロのほうは意外にもセンスのよい答えが返ってきた。さすがは芸術系大学? 赤外線画像のほうは難しいらしい。理由を答えさせると、途中で回答者自身が矛盾に気がついている。同学諸君からも失笑が洩れる。「自然の発する情報をつぶさに読み解くことが大切です。」という小生のメッセージはちゃんと伝わったようである。
スライドを1枚づつ説明するたびに、W先生が同じような内容を繰り返している。小生の中国語がひどいのか? はたまた、この学校のレベル故なのか。こんな体験は初めてだ。やりにくい。持ち時間は約90分。冒頭トラブルもあったし、実質の中身を50分程度に絞ってところどころスキップしたのは正解だった。かつ、華中科技大学(2009年9月~2011年3月に数回)の時よりもかなり平易な表現を使い、物理系、数学系の話は避けた。所定の時間に終了。質疑も、日本の大学生を相手にしているようで、いつものような食いつきが期待できない。帰りに気がついたのだが、武漢名物の鴨勃で人気のないほうの「絶味」なるブランドの店が学内にあった。いつも行列ができている周黒鴨は武漢にしか出店していないという。悲しい営業努力(全国展開)か。
90后の学部生は表現がストレート。さっそくブログに書いてくれた。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_76dada010100vbud.html
今夜は調子がよければ新疆風味を食べたいところであるが、大連のはとりわけレベルが低いと聞いた。小生が食欲を失っているのを慮ってか、夕食は湾岸の星海広場の海鮮で、お粥(ナマコ入り)などになった。アンコウがまるまる一匹。これにはさすがに箸が伸びた。ちゃんと胃に入った。日本の半額、韓国よりも安いのでお得だ。あとは何が出てきたのか思い出せない(いろいろ出していただいたのですが)。ああ、食欲さえあれば、、、。
今夜の同伴は出迎えに来ていた3名。日本のアニメが大好きなC先生。彼氏が大阪で働いている。日本に行ったら長野県で猿と一緒に温泉に入りたいという。「猿は凶暴なので、実際は無理です。」とお伝えした。W先生に昼間電話連絡を任されていた男子学生。何名かに通じなかったということを先生に報告しなかったので、ネチネチと咎められていた。ただうつむいてお説教されているだけ。中国の90后は確かにコミュニケーション能力が低そうだ。明日はもっと寒くなるという。
とにかく今日はテンション下がり気味。東南アジアで2週間(前月のマニラとバンコク)辛いものを食べ続けると、さすがの「鋼鉄胃袋」も耐えられないようだ。何かがよくなかったのか。しかし、一緒に行った2人の先生はピンピンしていた。
23日
瀋陽訪問が先方の都合で中止になり、今日明日は大連市内で所用をこなす。今日は最高に寒い。胃がまだ膨れている感覚があり、飯が喉を通らない。ホテルのそばにロバ肉を出す三流食堂が1件。調子がよければ突入していたはずなのに。小売店でスポンジケーキを食す。
結婚詐欺の被害者C女史が14時に会いたいというので、マイカルに向かう。タクシーを捕まえたら、運転手は農村からでてきた感じのおばちゃん。すごい早口でなまっている。マイカルは麦凱楽(マイカイラ)なのだが通じない。周辺のランドマークを教えても、わからないと騒ぎ立てている。「ケンピンスキーホテルでいい」といったら、「ああ、メーケールーか。」だと。どうやったらメーケールーになるんだよ、まったく。
件の彼女は1年半前と同じく、服務員の格好で売り場に立っていた。QQでは小生の詰問にぶち切れていて、生活もすさんでさぞかしやつれているのでは、と期待せずに行ったのだが、前回と同じくアラフォー手前の満族美人が微笑んでいた。彼女、実はあまりこたえていなかったのかもしれない。小生が持っていたプレゼントは2000円程度。それよりは明らかに高そうなプレゼント(衣類。まさか店舗のをすくねた? はずはあるまい。)を彼女は用意して待っていた。月収は今でも1500元のはず。涙。小生思わず、明日夜都合いいかな、と聞いてしまった。OK。翌日、「あまり貧乏臭くしないでください。私がリッチになるのを待ってて。いいもの選んであげるから。」とメッセージが。ちゃんと読まなかったので、一瞬ケチなプレゼントを罵られたのかと勘違い。カジュアルだが、そこそこいい格好していったはずなのに。じゃあ明日、羊皮大衣の下はスーツか。
わずか2分だけの面会。彼女はもちろん勤務中。職場の同僚たちはあの件を知っているのだろうか。また変な日本人のおっさんが現れた、と噂になっているのかも。その後、隣にある太平洋百貨店最上階のチェーン店で米線。ここのはうまい。なんとか完食。復活か。
食後、寒さに震えながらホテルに歩いて戻る。日航ホテルの近くに、日本人向けと思しき洗浴中心を発見。250元で2時間しっかりもみほぐしてもらった。多少はリハビリになったかしら。
夜、その近くのロシア料理に突入。ロシア人街の入口だ。客層はすべてロシア人。中国人は、オーナーの友人しかいない。入ってくるのはすべてロシア人。ロシア語で挨拶してみる。オーナー夫妻は漢族なのだが、ちゃんと通じる。衛星テレビがプーチンのスピーチを報道していた。モスクワは今、午後4時前のようだ。胃が不調なのに、ほかに選択肢がないのでヴォトカ。あとは定番のザクスカ(ママさんはこれを知らなかったので、なんちゃらサラダだと説明)、ボルシチ(具が安っぽい海鮮だらけで超まずい。生臭い赤スープか、こりゃ。)、シャシリック(牛肉串、脂身を細く擦りつけてあるだけ。冷めたら激マズ。)。失敗だ。二度と来たくない。食が進まない。
突然、電話がなった。1年半前にお世話になった不動産屋のZ女老板だ。どうしても会いたいという。明日は面会2件、明後日は旅順というと、これからでもいいという。今いる場所を伝えると、理解できないという。「地図を見ろ!」といいたいところだが、オーナーにかわった。ロシア街の入口、XX通りでは通じず、XX広場前でようやくわかった。30分でこちらに着くという。引き続き、ヴォトカをあおる。
Z女史が来店。娘が現在大連工業大学(2年生?)で建築を勉強しているという。娘の英語力を評価して欲しいといい、娘に電話をかけた。中国人学生(学部生)と英語で話すのは久しぶりだ。相手の調子に合わせてしゃべるのが小生は得意ではないので、英語圏で世間話をする調子で、しかし質問はシンプルなものにした。けれど、寝ぼけた頭では即座に質問が理解できないようで、とんちんかんな答えが。結局、この日もおごってもらってしまった。不好意思。
24日
昨夜は暖かい浴槽に浸かりたかったのでホテルの向かいの安っぽい洗浴中心(地元民向け)に行ってみた。門票30元。この時点で日本の銭湯より高い。しかし中はシャワーだけ。ぬるい。失敗。寒々しい休憩室に通される。やっぱり色情サービスを勧めてくる。断ると、「じゃあ休憩室は使えません」だと。てめえで通しておいて何をぬかす! トータル55元。大損した気分。
お昼に知人(当時つくば市で中国料理店を経営)の長男、H君(大連理工大学4年)と海鮮を食べに行く。母親似の優秀な好青年だ。勉学に身の入らない妹(Rちゃん)の性格を心配している。中国の大学の学費体系がようやくわかってきた。70年代まで日本にあった一期校、二期校に相当する一本、二本、三本なる概念。表現はよくないが、そのまま一流、二流、三流と考えてよい。一本のほうが国の援助が手厚いので学費は安めだ。大連理工大学は東大や東工大(彼は春に研究生として来日し、修士課程を経て、2019年現在は著名IT企業に在籍)と協定があり、当然一本だ。学費も4千元のみ。三本クラスだと2万元(80年代の国立大学と同じ)を超えるところもあるらしい。このあたりの構造も、日本とよく似ている。昨夜のロシア料理のオーナー夫妻の娘は英米に留学し、16万元かかっているという。日本はつくづく安い。胃がまだ不調。茸スープが滋養によさそうでおいしかった。
午後、スマートフォンの購入に付き合ってもらった。マイカルのとなりの有名なデパートに行く。購入したのはMOTOROLA ME525+。スマホではないが、システム(画面)はアンドロイドで、機能はスマホとたいして変わらない。スマホは日本と料金体系が似ていて、使わない月の割引が受けられない。割引といっても日本のようなキャッシュバックではなく、毎月御食事券が送られてくるとかである。これは中国にいなければ意味がない。2700元。いわゆるスマホは3000元以上である。スタバで留学後の相談。
昨夜C女史からメッセージが来て、午後3時からマイカルの近くの労働公園で青空(寒空)デートを約束。二人してゆっくり丘を登っていく。公園は大連市内を一望できる山の斜面にある。本人はすっかり立ち直って、というか詐欺の件は忘れているようだった。1年半前と変わらぬスレンダーな満族美女。どうしてあんな目に合わなければならなかったのか。1時間ほどいろんな話をして別れる。またどこかで会えるだろう。
夕方、ロシア街で買い物。街並みは帝政ロシア時代のそれそのものだ。マトリョーシカをゲット。オバマの中に、サダム、その下に金将軍、さらにビンラディンが入っている。店頭で即席の日本語教室を15分ほどやるはめに。すべて中文の漢字を当てて説明。お店の彼女たち、ひらがなもカタカナも勉強していなかったのだ。「逗走,够览库大赛。(どうぞ、ごらんください。) 」というように。
夜はホテルの食堂でうどん定食35元。お手頃。7階に日式クラブを発見。体力も回復してきたし、パック料金で400元程度(チップ込み、時間無制限飲み放題)とお得だったので、行ってみた。L嬢(26歳)は吉林通化の出身。さっきのC嬢と同じか。日本語は一応勉強したが、日系企業で働けるレベルではないという。お客さんとここまでいろいろ深い話をしたのは初めてという。明日からバンコクに旅行に行くという。当然QQ好友がまた一人増えた。
25日
W先生の運転で旅順へ出かける。お昼に星海広場でちらし寿司を食す。結構いける。この店には中曽根さんも来ているらしい。路面電車は星海広場の先まで伸びていて、近くには大連理工大学などもある。わざわざ市中心に泊まらなくても、このあたりに泊まって通勤すれば用が足せるのではないかと思う。次回の出張ではそうしてみよう。このあたりは海に面していて環境もよい。高科地区も近い。
峠を越え、走ること1時間。荒地の真ん中にぽつんと高層マンションが建っている。誰も入居していないようだ。周辺に買い物するところもなく、投機用の物件ではないかと思われる。このあたりの農民は既に農業、いや労働すらしていない。都市開発に伴う移転で高額の保証金を手にし、日々遊び暮らしている。旅順はゴーストタウンなのかと一瞬錯覚したが、徐々に街が見えてきた。
まず、203高地に登ってみる。春は桜が美しいという。山頂の植生はやせ細った松と杉だけだ。日露戦争当時は砲撃で一木一草残らなかったはずだ。日本ではまもなく「坂の上の雲」が放送される(当時)。ここがその舞台。戦前の小学校で歌われていた「旅順開城の歌」。子供の頃は何の意味かわからなかったが、講和のおりの故事を歌ったものである。山頂には日本軍とロシア軍の残していった砲塔や乃木将軍が立てた「爾霊山」の碑がある。203と爾霊山は音が似ているからそういう名前になったという。随所に5ヶ国語(中文、英語、日本語、ロシア語、ハングル)の説明書きがある。日本語の誤りを発見。「ロシア式」が「ロシア指揮」となっている。ハングルを経由したためのミスであろう。
砲塔からは市内と海が一望できる。日露戦争当時は海がかなり入り込んでいて、ロシアの軍艦もそこに泊まっていたらしい。現在は埋め立てられて大規模な住宅開発が進んでいる。目測で数キロの距離だ。休憩所から山頂まで水平距離で1キロちょっと歩かなくてはならない。ミニバスは一人100元。当然誰も利用していない。日本人の大学の先生も見学に来ていた。こういうところでは著名人や業界人に簡単に会えそうである。
旅順市内は東ヨーロッパの街並みそのものだ。デザインも美しい。夏の景観はウラジオストックなどのそれに近いだろう。違うのは建物の1階部分の使い方。典型的な中国で、看板と文字に溢れている。みにくい。上だけを見ていれば、ここはポーランドか東ドイツかと思えてくる。W先生はここに物件を買ってみたいという。ロシアや日本が残していったいろんな軍事施設を中国海軍が有効利用している。軍港の周辺は普通の観光地のようになっている。ロシアから購入した空母ワリャークが泊まっているはずなのだが。この街は外国人に開放されてまだ20年しかたっていない。
大連に戻り、インテリアデザイナーのL女史(W先生の友人)を呼んで、和食レストランへ。ほかの客は皆、日本人のおじさんと地元の女の子という組み合わせばかり。皆日本語で話している。ときおり、上海的な口音の中国語も聞こえてくる。彼らの話す中国語のようだ。我々のテーブルだけ異質な組み合わせで、話題も「高尚」のようだ。服務員たちは小生が日本人とは思わなかったらしい。一人250元で和食の食べ放題。和食は普通食べ放題にはしないので、こういう食べ方は小生も初めてである。食欲はあらかた復活していた。大連で仕込んだ地元の日本酒を熱燗で、アンキモ、オコゼの唐揚げ、ヒラメの刺身、馬刺し、ズワイガニ、寿司、、、北海道の居酒屋にいるような感覚だ。突然、上海でのボスS先生(華東師範大学)から来電。今度の手机は入力が本当に楽だ。2700元の価値はある。買ってよかった。
26日
QQで知り合った被災地の女子留学生から、首都圏私学への出願書類の一部を大連で受け取ってほしいと頼まれた。ホテルへ持ってくるミッションを託された男性(同級生ではなくておじさんだった)は、コミュニケーション能力に問題があり、落ち着いて人の話が聞けず、無礼、地図を見ない、などなど。部屋まで来てしまった。シャワーの途中だったらどうするのか。彼女にははっきり苦情を伝えるとともに、レセプションのスタッフにも苦情を言っておいた。雨天、交通事故で高架道路は渋滞している。道路上に投げ捨てられるゴミもひどい。W先生は国外に移民するチャンスを考えているようだ。帰国便はJAL。「猿の惑星」をみる。成田でバスのチケット売り場に長蛇の列。思わず行きと同じ、北総鉄道ルートを選んでしまった。