GoToがあるから旅行するって発想自体が理解できませんでした。行く人はなくても行くし、行く以上は対策して行く。GoToあるから行こうという階層のほうが、こういう対策は二の次という人が少なくないのでは。高級旅館の宿泊客の階層が従前から大きくダウンという評判を聞いて、さもありなんと思いました。
「相手を信じる気持ちが大切」とかよく耳にするが、小生に言わせれば、「相手を信じてもよいがあてにしてはいけない」。「それでは信じたことにならない」とかいうお人好しは相手にしないほうが安全だと思う。
日本には、学歴がなくても能力の高い人がたくさんいました。彼らは出世しています。アジアでは考えられないのでしょうか。しかし最近、学歴を得るのは簡単になってきたので、学歴がない人に高い能力を期待できなくなったのでしょうか。アジアにも、学歴が高いのに能力が低くて出世できない人もいますか。
Hobbies around 1990.
オートバイ、スキー、海外旅行の3贅をコンプリートという人はさすがにいませんでした。結婚後、オートバイは手放し、スキーも減りましたが、海外出張(私事旅行ではない)が増えて行きました。
教育に熱心な在日華人の親御さんが日本の高校選びを論じておられた。「大学受験一筋の高校生活」の結果、彼らは実際どんないい大学に入っているのだろうか。一方で、ここ数年出会った北京出身の北京大生には、そんな高校生活を送ってきたような印象はまったくなかった。文武両道タイプのイケメンも普通にいた。
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中学では最上位の成績をとれていたので、運動部(陸上)も楽しく頑張っていたが、その地区で一番レベルの高い高校を目指そうと思った。高校でも最上位の成績がとれるとわかったが、その位置にいる人は東大に受かっていることもわかった。よって、すぐに目標を東大に決め、受験までどのレベルを維持すればいいかも理解した。それでもまだ高校生活に余力があったので、運動部(陸上)と青春(そっちはいまいちだった)にその部分だけエネルギーをつぎ込んだ。中国で一般的と考えられているような大学受験一筋の高校生活だったのでありません。しかし東大に入ってみると、意外にそんな同級生は多かった。一昨年日本に修学旅行に来た北京出身の北京大生(もちろん優秀です)も、同じようなことを言ってました。「高考工廠(受験工場)」とは無縁の子たちでした。
2018年6月とある。さすがに今日の悲惨な状況など予想だにしていなかった。マイスターという名の「公人」になったので、間抜けな素顔で外を歩けなくなるのかと勘違い。「市役所でポスター拝見しました。」と初対面の人から言われたり、、、
自殺は一種の代表的な日本の精神文化である。日本のアウトローにも同じような美徳や哲学がある。桜のようにパッと咲いて、パッと散ることを辞さない。
一方中国では真逆である。「虎は死して骨を残すが、自分は亀のごとく泥の中で尻尾を引きずっても、明日の成功のために生きるほうがいい」といったのは古代中国の賢人である。たとえ自身が成功できずとも、子や孫に夢の実現を託すべしと考える連中なのである。
80年代の放送大学教材は充実していた。オフィスと書斎と屋根裏に転がっていたのをすべて読了。今更だが、スラスラ読める。知識のサプリメントとしては使えるレベル。