Natale allegro
Joyeux Noël
Fröhliches Weihnachten
Navidad alegre
Natal alegre
С Рождеством Христовым
Natalis Christi.
Robertus Ichinosentius Kamiinas
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Joyeux Noël
Fröhliches Weihnachten
Navidad alegre
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С Рождеством Христовым
Natalis Christi.
Robertus Ichinosentius Kamiinas
飲食店余命占い、1年半前に当たってた。
バイトと思われるが同じクレーム(※)を半年の間に3回も入れさせたバチが当たったというわけか。店長は何をしていたのだろう。つくばの街づくりを崩壊させる蟻の一穴。
(※)貸し切りの日なのに貸し切りの案内を掲げていない(営業中、とだけ)。3回目はさすがにブチ切れかけたな。。。
公用文等における日本人の姓名のローマ字表記について(令和元年10月25日関係府省庁申合せ)により、新年以降は
ICHINOSE Toshiaki
となるわけだ。
中港韓越でもLAI Junming、Jimmy LAAI Jeun Ming、LEE Jun-Myeong、NHO Tuan Minhだったから。
(ドイツだとProf. Dr.-Ing. ICHINOSE Toshiakiか。)
北朝鮮ならRI Jun-Myeong(李俊明)かな。
出身高校の東京支部勉強会でしゃべってまいりました。支部のSNSによく登場している世代ではなくて、「冥土の土産のカルチャースクール(※)?」(失礼)って感じの聴講者年齢構成ではありました。それにしても皆さん(60代~70代)とても元気です。
パリ協定、グレタさん、、、、予想どおり主な質問はこの方面でした。小生は(自然)地理学者なので、温室効果ガス排出に関する研究からは(敢えて)遠ざかっています。いろいろな場所から排出されるけれど、温暖化自体は排出場所とは関係なくグローバルに生じるわけですから、その時点で地理学の課題にはなじまない。若手のころにそう自覚していたからです。またこの分野の研究者はうちの職場だけでもごろごろいます。私が偉そうに答える話じゃないし、一般向けの一般的なお話でしたらいくらでもいたします。ローカルな原因でローカルに発生する温暖化に特化して話しても、一般聴衆の理解、思考はほとんどこんな感じと心得るべし。東京オリンピックのマラソンの話題に一定の時間を割いてもこんな感じである。
※ 企業等で実務に携わる若手~中堅の心をキャッチできるよう、工夫をこらして(最先端の内容をふんだんに取り入れて)講演会を準備し当日を迎えたが、来場者をみてぽろっと出たセリフ(私ではなくて同僚の)。ナノとかITとかと違って環境がテーマだと、こんなケース(もちろん実務での必要性からというわけではなくて一市民としての個人的な関心で)のほうが多いです。
11月29日
つくばセンター850発なのだが、余裕でパッキングを終え、800に自宅を出る。成田の第3ターミナル前で下車した英語を介さない中国人夫妻(見送りに来ていた女子学生の両親)が何やら係員に問われ、再び乗車するもトラブっているらしい。
「どのターミナルか、航空会社はどこか?」
反射的に小生が割って入る。夫婦の携帯画面にCZとあった。南方航空だが、それすらもわかっていないらしい。第2ターミナルの可能性があるから、まずは行きましょう、と指示。いや、第2にも看板がない。つまり第1。下りてからもうろうろしていたので、「南航は星盟ではないから北翼(Beiyi)だ」と教えたがキョトンとしている。彼らはペイチーはどちらかと聞くので、中国語では北翅(Beichi)だと理解した。ミッション後半のバンコクへの土産はインドで買えばよいので、荷物はやや軽い。
バンコクに到着して普段最初にするのはSIMカードの購入であるが、29時間後にインドへ出発なので購入は見送り。夕方例のごとくアラブ人だらけのグレースホテル(華南大酒店)へチェックイン。今回は普段より1000バーツほど高いランクの部屋が割引となっていた(5000円)ので迷わずチョイス。セキュリティも設備も例年より格上。しかし廊下でいきなりアラブ人客相手に一仕事したらしき太めのお姉さんとすれ違う。
ナナのアラブ街の飯屋もすでに半分は開拓し尽くした。今日はまだお世話になっていない店を選ぶ。ウェイトレスはスカーフの南部風タイ人女性ばかり。マッサマンとかが本格的なのか。マトンブリヤニは肉がいまいち。インドで毎日食う羽目になるというのに、ついついここでも頼んでしまう。
Akbar!
30日
午前中プロンポンへ行き、日本語書籍の専門店で資料収集。テナントの場所を忘れていて、お店に電話。スタッフの女性は小生の英語を聞いてアメリカ人が来ると思っていたらしい(そんな風に聞こえるか?)。インターネットでは3階と書いてあるが、例によってG(地上階)、1、2となっているので、実際は2階にあるわけだ(しばし迷った原因)。もともとサイアムにあったお店だが、どんどん東の郊外へ追いやられている。近々また引っ越すといっていた。まさしくバンコクにおける日本の地位低下の故なのか。
インド乗り継ぎの一日。フライトが29時間開いてしまったので、バンコク市内で若干のミッションをこなし、夕方は香港をベースにハワイとバンコクで行政書士業務や「井之頭五郎」的ビジネスをされている日本人女性Lさんにインタビュー。夕食にここを提案してみた。電話(朝鮮語)で1730に予約を入れ、BTSで約2駅分歩いて向かう。
「私たちは電話で1730に予約している二名です。イ・ジュンミョンといいます。」という感じで同務の女性に話しかける。開店直後の店内はガラガラで予約はいらなかったのだが、この同務はよく見たらタイ人。小生の話す朝鮮語に途中からついてこられなくなったらしい。すっきりしないがタイ語に戻す。もう一人の同務は平壌から派遣された女性のようだ。大連とは違って撮影禁止。客層は9割韓国人、1割地元のタイ人という感じ。
メニューブックは薄っぺらく、タイ飯まで少し混じっている。大連の北レスのような華やかさと多様性はない。肉系と炭水化物系だけという感じ。せっかくの玉流館ゆえに冷麺は外せない。長い、切れない、と苦労していたら、あとからハサミを出してきた。委員長同士がこのありさまを知ったらさぞかしお怒りになるだろう。ビビン麺は激辛のはずだが、中途半端な甘辛。豆腐チゲ、カルビチゲ(肉が崩壊)はまあまあよし。「キムチもチヂミも、韓国や大阪鶴橋とはかなり違うが、食べなれてくるといける感じ。」とLさん。喜んでいただけてよかった。
こっちだったらやばかった。https://www.fnn.jp/posts/00428308CX/201912031927_CX_CX
12月5日
ハイデラバードからバンコクに向かう3時間半の夜行便。斜め前に座る長身長髪サイババ風白衣の老人が気になっていたが、キリスト教のインド人司祭であった。ゲーンデーンムー(赤い豚肉カレー)の夕食に食欲わかず。ひたすら寝る。
SIMカードの購入は見送り、例のごとく早朝チェックイン。そして洗濯、荷物整理。フィールド調査があるので、寝ている暇はない。
正午ごろ、バンコクのスクンビット通りプロンポン駅南西部出口下のコンビニ前に置かれたサイアム商業銀行(Siam Commercial Bank)ATMにて。5000バーツの引き出し手続きで、画面表示はほぼ正常だが、スリップも現金も出ず。直後に来た人が普通に引き出していたので、取り忘れはありえない。そもそもカードが入らないし、警報音が鳴ったりするはず。現金は器内にたまっているのだろうか?
その後当該カードでは通信障害でことごとく引き出し失敗。後日つくば市内からCITIBANKに確認したところ出金となっていたので、対応を要求。通常は調査を経て、二か月後に返金されるとのこと。しかし、スリップがあれば引き出した証明になるが、引き出せなかった証明はどうすればいいのか。2004年春の西安で同じ事態が発生するも、引き出し扱いにはなっていなかった。
日中いくつかミッションをこなした後で、夕方王宮の近くへこれを爆買い(仕入れ)に行った。仕入れ値は日本円で1000円ポッキリ。購入のご希望は小生まで。
UK army's. Discounted to 250 Bahts.
勝利記念塔から市内バスに乗ってみたが、昨年と微妙に経路が違う。最近の地下鉄延線で、バス路線にも変更があったようだ。(店主のお薦めで、)帰りは新しくできた地下鉄駅から乗ってみた。ファランボーンから2駅先が近い。駅まではチャイナタウンの外れの華人集落を延々と歩く。日常生活がよくわかる面白いエリアだ。
昼食のラープムーがめずらしく激辛で夕方不調。王宮地区で仲買活動のあと、アソークのMKでタイスキ。相変わらず立ちんぼが多い。
6日
昨日午後に予定していたチュラロンコーン大学が本日午後にシフトしたので、今日のミッションは2か所。午前10時にAITでアポイント。830ナナ駅からBTS、900モーチット駅からタクシー、930AITのつもりが、途中の屋台朝飯(もち米に辛いチェンマイソーセージなど30バーツ)とかでちょっとずつ遅くなり、ぎりぎり5分前に到着。BTSは現在カセサート大学まで伸びているが、幹線道路から大きく外れるのでモーチット駅が下車ポイント。従前どおりタクシーが並んでいる。BTSの車内広告はBLACKPINK。とある銀行がキャンペーン中の韓流グループで、タイ人は一人だけ参加している。
BLACKPINK, a most popular group of Thailand-Korea.
今回のアポはモンゴル人スタッフのB氏だが、昨年お目にかかれなかった日本人のT事務局長(環境省から出向)や、10年以上前にお世話になったリモートセンシングのネパール人教授M先生にもお目にかかることができ、小生らがモンゴルで同志らと準備中のプロジェクトの話を聞いていただくことができた。南インド風味の学食へ。昨年お世話になったイギリス人のS事務局次長もいらしていた。
午後3時からチュラロンコーン大学なのだが、早めに都心へ戻れたので、MBKで少し市場調査し、気になるシャツ(タイ独特のカラー)を購入。BTS、地下鉄と乗り換え、大学南門の最寄り駅(Sam Yan)につくも、そこからが意外に遠く、10分ほどビハインド。生態学のD先生と2時間近く情報交換。5時前に南門近くの飲食街のMKで再びタイスキ。
小生GGBの類には行かない。タイ語運用力が全くない白人日本人が醜態晒してカモられてる場面など見たくもないからである。しかし地球の縮図を見たいので、アラブ人が羽根を伸ばしに来るこのホテルは実に面白い。タイ人客しか来ないというGGBがスティサンなるエリアにあって、ここはタイ人の生態観察には持って来いのスポットだろう。料金体系はかなり違う。外国人観光客の殺到する某地区に比べると内容はえげつない感じ。OPBと表現するのが適当か。多少話せるという人は行って見るべし。
7日
お昼にプロンポン(エンポリオ)のフードコートで食事。ここは高級らしく、2品目(おかず数種類乗せライスといろいろ乗ってるライスヌードル)だけでクーポンに入金した200バーツぎりぎり。
チェックアウト後に預けたスーツケースを受け取り、グレースホテルからマッカサン駅そばのホテルへ20分歩く。歩道がスクンビットにくらべると混んでいないし平坦なので、汗もかかずに楽々到着。途中華人資本の試験管ベビー関連企業を発見。
夕方、いつものようにピンクラオを目指すべく、パッポンからBTSに乗り換え、サトーンの船着き場に向かったが、地下鉄やBTSの延線に伴って短距離の船便は廃止され、現在は中距離の観光船だけになってしまったらしい。中国語の流暢なタイ人ガイドと話してみてわかった。小生が正確にバンコクの地理を語るので、かなり驚いていた様子。「我是地理学者。」
ラタナコーシン(王宮)地区の最寄り駅から一昨日夕方のコースを逆に歩き、橋を渡ってピンクラオに到着。1時間近く歩いたろうか。バスルートも昨年から微妙に変わってしまった模様。愛しのピンクラオが遠くなった気分。いつものイサーン屋台で焼きナマズ。ガイヤーンは売り切れで食えず。ムーヤーン(焼き豚)で代替。
I love Pin klao. I love Isan food.
夕食後、ピンクラオを歩いてみる。以前行ったことのあるカフェーがなくなってしまい、さらに遠くへ歩いていくと、パダデパート裏のカフェー街に到達。システムは一緒だが、次々と登壇する歌手がおばさんばっかり。客も少ない。バンコクのカフェー文化は瀕死の状態か。出番待ちの女性歌手の相席(キャバクラ式)を勧める店のスタッフがうざいので、タイ語がわからないふりをする。
帰りにひろった511路線のバスはナナ行き(20バーツ)。ヴィクトリーモニュメント行きよりこちらが便利だ。しかしエアコンバスにTシャツで乗るのは寒い。
511 goes from Pin klao to Nana. 20 Bahts.
翌朝は445起床、530の始発に乗って空港へ。ちょっとカッコ悪いがクリーニング屋の通い袋(冬の衣類)を手荷物にして、デイバックなどはスーツケースへ。目下23kgくらいか。
<完>
12月1日
深夜のインド便は3時間半で到着。バンコクとの時差は1時間半。つまり2230→0030というわけで、おちおち寝てもいられない。ハイデラバードは24時間空港を標榜しているようだ。入国後も手荷物検査があってめげた。もはやルピーに換金する気力なし。
てなわけで初のインド潜入に成功。イミグレーション通過に1時間を要した。知人を含め、日本人も何人か並んでいたが、書類不備で修正を強要されていた。英語の質問にも答えられない若者数名。やれやれ。小生は約5分という異例の短さ。専門はなんだと聞いてくるので「Environmental science and geography」と答える。間違っても国際会議参加と思われてはいけない。あくまでこれは観光旅行。ゲートを出たピックアップサービスとの接触時に、ホテルマンらしきお兄ちゃんと、いかにも怪しいおっさんがほぼ同時に「Are you Mr....」と。おっさんを無視してお兄ちゃんの方に、「さっき持ってたネームプレートを見せろ」。油断も隙もないインド。ホテルまでは深夜の高速道路を18km。コロニアル風建築。
朝飯はロティがいける。ギリシャの同志(M教授)と台湾の同志(L教授)もいらしていた。多くの日本人の先生方も、会場まで徒歩2分のここにお泊り。現地時間9時前に朝食。しっかり食って二度寝。洗濯。昼は抜いて、部屋に置かれた30ルピーのポテチを消費。
1800より2km離れたハイアットホテルで歓迎会。タクシー、ウーバー、リクシャーの相場もわからず、そもそもルピーもないし、ゆるい下り坂なので軽装(ワイシャツだけ持参)のまま徒歩で向かう(帰りは、、、)。交通量はまだそれほど多くない。リアルなインドを体感している感じ。歩道のコンクリート舗装はいまいち。街路樹が低くて、腰をかがめて通過するポイント多数。壁際の緑地は大小便ポイントのはずなので近づかず。
近くにマケドニア領事館があるのか。「あの旗はJapanese Empire Navyかい?」とホテルのゲート(大通り沿い)にいた守衛のお兄ちゃん(軍服風)にボケかましてみる。
中心市街地に近づき、徐々に交通がインドらしくなる。交差点で大音響のアナウンス(テルグ語)。市の広報かな。40分ほどかかって会場ホテルへ到着。こちらに泊まっているみなさんは少ない。
歓迎会参加者も少ない。やはりメイン会場から遠いせいか。キングフィッシャービールを飲みながら、各国の先生方と歓談。おつまみはインド式にサーバントがトレーを持って巡回する。サモサ、タンドリーフィッシュなど4種類くらいしかないが、延々とやってくる。正直飽きた。椅子のひじ掛けにワンショルダーのデイバックをひっかけているのが気になって、正面のS教授(アメリカ人)と談笑しながら、手探りしようとすばやく肘を引いたら、背後に接近してきたサーバントのトレーにヒット。空のコップが床に落下。隣にいたギリシャのM教授曰く、「おまえさんはテロリストか。」
「俺の後ろに立つな!」(ゴルゴ)
帰りはM先生らと1000ルピーのタクシー(ホテルに支払い)を使う。ルピーは明日まで待ってください。
2日
会議初日。交通手段がいまいちなので、観光地に出かけるのも大変。ここでの最大の楽しみは朝食かもしれない。各種のカレー、ロティ、サモサ、、、朝から迷ってしまう。ここでしか食べられないものを優先。
会議事務局からの情報では会場まで徒歩2分。直線距離ならあり得るが、現実は守衛のいるゲートから出てゲートに入る必要があり、徒歩なら20分というところか。ゆるやかな下りモードなので道なりに歩いていく。昨夜と同じくとても歩きにくいし、交通量も多い。自然換気のバス(人がすずなりに乗っているというのはウソ)、スズキの小型車、オートリクシャー、オートバイの洪水だ。タタは見られなかった。気候的にはバンコクとほぼ同じか、標高500m程度(デカン高原、亜大陸のほぼ中央)なので幾分涼しい感じ。会場の大学正門前のATMを使う。スリップは出ませんというので不安になるが、まずやってみる。いきなり通信エラー。大丈夫か?
Walking 20 min from our hotel.
午前中は全体会合、招待された地元のお役人がひな壇に。一般向けレベルの講演やスピーチが延々とつづく。卓上コンセントはB系の何種類か。持参したので久々に使ってみた。15年来の友人であるアメリカ人のS教授が基調講演。東京オリンピックマラソンの札幌行きについて、朝日新聞に紹介された記事を引用して寸評。あの記事は「路面対策は選手に逆効果」というものだったが、しかるべき査読を受けた論文を根拠としていないので、このような場で言及するべきではない。ティーブレイクのクッキーもいまいちだが、コーヒーも紅茶もぬるくてまずい。粉末ミルクのせいか?
インドビザ特有のめんどくささゆえか、参加者は非常に少ない。中国は日本関係者だけでほとんどいない。ランチはカレー主体。会場スタッフはほんとうに右手でつまんで食べている。フルーツ(ザクロ)も傷んでいたりでショック。夕方学内のATMで無事5000ルピーゲット。昨日の3人で歩いて帰りホテルで夕食。ヤギのミンチはしょっぱいおはぎみたいで幻滅。500ルピーは高すぎる。ホテルのテレビは操作が不安定。テルグ語のドラマが流れている。
I got rupee.
3日
会議2日目。ホテルの玄関からゲートに続く約500mの路上で、追い越していくタクシーがクラクションを鳴らす。窓が開いてアメリカ人女性2人組(ローレンスバークレー研究所の若手)が「乗っていかないか」と誘ってきた。少し前を歩いていた日本人のN先生とともにお世話になる。こういう逆ナンはおおいに歓迎したい。基調講演はインドの事例紹介。彼らは路面の明色塗装にシャープな関心を持っているようだ。地元のテルグ語新聞に昨日の開会式が報じられていた。
Our conference. Urban heat island of Indian cities.
午後のセッションで小生の発表。1年ほど前に1本の講演をエントリーしていたが、著作権の関係でフルペーパーを出さなかったところ知らぬ間に発表がキャンセルされていた。会議ヴィザ申請準備時にこれが発覚。しかし参加者数確保にやっきな実行委員会に勧められ、追加エントリー大歓迎の特別セッション(NGOなどの実践事例が中心)に入れてもらう。ここ半年取り組んできたヒートアイランド対策に関する青少年教育教材開発の話だったので、「委員会としてもぜひ」という感じだった。こうして、小生の初インドは実現をみた。10分で概要を話し、5分で例の動画を上映。まあまあ想定通り。
夕方、例の3人組(ギリシャ+台湾+日本)はウーバー(150ルピー)でハイアットでの懇親会へ。男性は全員マハラジャ風の冠(化繊の織物)を身に着ける。庭園では各種の南インド風アート(陶芸、ヘナ、長粒米書道など)の実演が。例のごとく前菜を持ったサーバントが巡回。民族風ダンスの実演後、そろそろ帰ろうとしていたら、正式の食事がそこからスタート。もうがっつりは食えないのでサラダやデザートなど軽いものが中心となる。
4日
会議最終日。チェックアウトを済ませて荷物を預け、再び徒歩で会場へ。昨日夕方の全体会合では、この会議の歴史とヒートアイランドについてのトリビア式クイズ20問(ミリオネアをまねた国らしい)に全参加者が挑戦させられた。ひっかけ問題はなさそうなので19はできているはずなのだが。
発表キャンセルが多く、20分刻みで4会場間を移動しても、すでに聞きたい発表は終了済みというケースだらけ。ティーブレイクもランチも飽きてしまった。会場の大学トイレも水浸しっぽくてサンダル(現地人の標準)とかでは入る気がしない。腹を壊している日本人多数。ゴルゴな小生は目下問題なし。
夕方の閉会セッションでも、遮熱素材のコマーシャルみたいなスピーチが続く。先に出るギリシャのM先生を見送ってから、台湾のL先生と大学の徒歩10分圏(といっても非常に歩きにくく、大気汚染も深刻)にある飲食街を目指す。グーグルマップに出てこない新しいレストランも多数出てきて少し迷うが、先にスーパーマーケットでお土産を買う。まだ物価の相場がよくわからないが、このスーパーは富裕層向けかもしれない。ヨーロッパで2ユーロ前後で購入できるクノールの粉末スープがおよそ100円弱なので、日本との実勢価格差はおよそ3倍か。ウーバー2kmで250円というのもうなづける。軽いものを爆買い。エグそうな調味料もいろいろ置いてあったが、料理がめんどくさそうなのでパス。
On the way to hotel. Real India.
2人で気になったレストランへ。20世紀初頭以来の歴史を持つチェーン店。ムガール帝国風味をうたっている北インド料理。本当はバナナの葉っぱにいろいろ乗っている南インド料理が食いたかったがついぞお目にかからず。ハイデラバードは南北の中間地帯なのか。3人前のタンドリー盛り合わせ、具材入りのナンがうまい。2人で1000ルピーとお得。
Mughal Empire's cuisine.
レストランの裏にある女性専用ユースホステル。前の道路は未舗装で、オートバイがおっかなびっくり通過している。これがインドの現実か。その後ホテルに戻ると結婚式が行われていた。インドの場合、通りがかりの人も参加できるらしいが遠慮しておく。ウーバーで空港へ向かい、再びお土産を爆買い。荷物が徐々に重くなってきた。