「日本語教師」という職業は、日本語だけを使って日本語を教えるのだそうだ。これを聞いただけで、なんて非効率な、と小生は感じてしまう。
どのレベルの日本語の使い手に、どのくらいのスピードで到達することを目的として、日本語を習うのかにもよるだろう。
いかなる日本語教育の資格よりも、日本語の運用ルール(構造、体形)について、教える先の国の言語(中国語など)で理論的な説明ができる人材のほうが、短期的には絶対成果がでる。
これができない日本語話者には習わないほうがいい。応用できないし、運用能力が上達しないから。
1970年代のまでの日本の中学や高校における(日本人)英語教師はどう教えていたか。
大勢の生徒が落ちこぼれた(6年勉強してもしゃべれないとか)けれど、優秀な生徒は正確な英語の運用能力を身につけ、その後自力で上達していった。
文法や読解中心の学習はつまらないけれど必要不可欠なのだ。
中国語を習う時も同じ。一定のレベルに達してからでないと、(日本語で正確に理論を説明できない)中国語話者になど習ってはいけない。