外国人は気象観測を行ってはならない(中華人民共和国気象法)
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31日
機材が昨日夕方届いたので、朝から研究生(上海・華東師範大学修士課程学生)総動員でトレーニング。暑さとの戦い。何度か失敗しながら、夕方までには全員マスター。安心して深夜に武夷山へ出発。私のところの博士后(日本人女性)のほか、束炯先生の研究室の博士研究生G嬢(上海人)が同行。ホテルでは英語が通じず、押金(保証金)もクレジットカードが使えなかったので、予約したホテルと違うのでは、と一瞬疑ってしまった。
1日
早速タクシーを一日借りきって見所を回った。山に登ってこその武夷山であるが、女性2人に配慮して山登りはしなかった。午後は有名な船くだり(九曲渓漂流)へ。途中で空がにわかにかき曇り、大風大雨で岩の下に上陸・退避。かさを持ってはいたが全員ずぶぬれ。3個半小時ではなくて3個半個小時(90分)のコースでした。夕食は菜単(メニュー)のない地元のレストラン(冷蔵庫のそばで食材を見ながら注文するスタイル)で、黒蛙(シーリン)のスープなどを堪能。調理方法は食材ごとに決まっているので、菜単はいらないようだ。昼も夜も3人で150元は高い。観光地価格か。
2日
同行の女性2人は昨夜上海へトンボ帰り。今日は一人で昨日の運転手Rさん(35)を200元でチャーターし、西へ50km離れた江西省との境に位置する自然保護区へ。奥日光のようなイメージ。標高800m。世界有数の豊富な野生生物資源を誇る一帯。コブラ(眼鏡王蛇)、虎までいる。博物館で外国人は入山許可証が必要といわれ、団体旅行では起こりえないトラブル発生。「我是日本環境部公式派遣的生物多様性的専家」とはったりかましたところ、自然保護費100元はここで払えばよいということになり、あっさり入館。その後山村のレストランで普通に食べたら250元。ぼったくりかと思いきや、ここは超観光地値段なのだそうだ。野うさぎの炒め物100元は仕方ないとして、ほかの料理はぼったくり値段。日本と同じレベル。まちがって穿山甲(センザンコウ)なんかたのんじゃたら帰れなくなったであろう。ぼったくりおばさんの超お勧めではあったが。武夷山風景区でもこの半分はする。空港の反対にある市区ではさらに半額(上海より少し安い程度)。夕食は運転手がおごってくれた。そのあと、彼がいきつけだという按摩屋に誘われたが、まともな按摩はできなくて、「其他」しかできない照明がピンク一色のそれだった。これで運転手のキャラがわかった。
3日
午後から30km南に離れた蛮越王国の遺跡へ。考古好きでもなければこんなところへいく日本人観光客はいないといわれた。陳列品や復元された宮殿を見て、1500年前に日本へ漢字などの中華文明をもたらした正宗中華民族はここにいたということを改めて実感。「呉越同舟」の越である。呉も越も現代の漢民族ではない。というか、春秋戦国時代の中華民族自身が、今の漢民族とはあきらかに違う。そのあと民族村へ。蛮越王国の末裔(大部分は魏晋のころタイやベトナムへ逃げた)が実際に暮らしていて、村の小学生3人が村中を案内してくれた。夕食後、運転手の義妹が経営する茶工場にお邪魔し、大紅包を200グラム250元(市価の半額)で買い付けた。深夜、上海からの飛行機が到着せず、空港ホテルへ案内され、そこに宿泊。中国語のわからない韓国人の一家がいて、こんなところで事情を通訳させられるとは思わなかった。(韓国語はソウルでのプロジェクトの賜物か)
翌朝5時にたたき起こされ出発。
4日
午前中はぐったり。昼も夜もザリガニを食べる。老板(束教授)は土曜日でお休みなので、学内を一人散策していると、体育学院を発見。エントランスは劉翔(アテネの110mハードル金メダリスト)のどでかいグラビアが。ここの出身である。もちろん上海人。李小龍(ブルース・リー)を今風にした感じ。