ブログ(SNSを含む)や書籍、刊行物に、ノンジャンルで評論を書くことに対し、家族から「何様(著名な評論家という意味か?)でもないくせに」とか言われたことがある。では、何歳まで待てば書いていいのか。今書かなければこの先だってないでしょ。
現に公人と見做される場面だってあるし、自分の専門の業界では、(国内外を問わず)個人名を出していろいろ進められるケースもある。そして、それで飯を食おうとは考えていない。自分の分野で活動を継続してきた結果、自分にしか言えないと考えることを世の中に発信しているだけのことである。
「XX学者」というのは肩書ではあるが、職業ではない。しかし、「何様」としてはもう十分ではないか。「研究者」は微妙である。職業でもあるし、生計を立てられないケースでも名乗られている。組織に属する「なんちゃら研究員」は「仕事」だけしてろ、というのが世の中の認識か。「大学教授」でなら違和感ないアクションが、ふさわしくないということがありえるか。実際小生はどっちの立場でもある。いずれにせよ、専門での蓄積が発言の背景にないケースであれば、薄っぺらいジャーナリズムと大差ないだろう。実際、アウトリーチ活動は職場でも業界でも推奨されていない、というわけではない。よって、45歳で教授相当の職階となって以降、「XX学者」というタイトルを積極的に、かつ責任を忘れず使うようになった。日本国内のほうがこういう点にうるさそうなので、最初の5年くらいは中国の媒体に中国語で発信するほうが多かった。読者の皆さんは普通に、「頼教授(Lai Jiaoshou)」と呼んでいる。それが中国(国際)認識ということ。