著者は五月祭でのいくつかの事件を引き合いに、東大生の硬直性を批判。
小生(第57~59期五月祭常任委員)は、そのいくつかで管理側の当事者として現場にいた。
「美保純コンサート」中止事件(1983年か)
第56期MFJC(五月祭常任委員会)は、企画を自主的に警備(防衛)できない場合は実施を断念するよう指導(当時一貫していた基本姿勢)。強行してトラブルを招けば、学生側と当局との信頼関係を壊し、次年度以降の不要な制約を招く可能性あり。
「オナッターズ」が駒場祭に来た時(1985年か)に激しい論争となった件
当日小生はKFC(駒場祭委員会)からの要請で最前列の警備・防衛に従事。なぜか南麻衣子の白黒写真が残っている(「もっこしもこもこ」のタイミングで撮影したものと思われる)。
若い人には何のことかまったくわかるまい。濵田夫人は最近よく出てくるが。
五月祭機動隊制服コスプレ事件(1985年か)
学生同士(主催者と反対派)の衝突を偶然小生が録画(VHS)。「ここは秩序を、、、」と諫める委員(確か江戸幕府高家の末裔)に対して、活動家(知人)が「秩序ってなんだ~!」と激高。局地的現象ではあるが、その年の流行語になった。
つまり、我々の指導にもかかわらず強行した側の責任ということだ。一方、MFJCという立場を離れるならば、小生は抗議者のシンパでもあった。全国の大学学園祭が軟派路線を走ろうとも、我々がそれに追随する必要はない。また、大学自治の祭典において「機動隊のコスプレ」は、歴史を鏡としない輩の所業であり、そこに思いが至らない低レベルな学生を嘆かざるをえない。
「爆風スランプ」のコンサートで法文1号館の机が圧損(1984年か)
当時現場にいなかったが、当時当局には平謝りするしかなかった。
後日、日本女子大だったと思うが、同じコンサートが計画されていて、小生は先方実行委員会の招聘で最前列防衛に当たり、「エネルギー」のものすごさを実感。「これなら法文1号館の机もつぶれるわな~」と。江川ほーじんさんはご自身で750ccを駆って会場入り。当時は250ccのオフロードタイプ(Kawasaki)で通学していたが、次は絶対オンロードの400ccだと誓う(修士1年で購入)。
その後(故)飯島愛が安田講堂前ステージにランジェリーで立ったり(助手任官後の1992年か)と、時代はどんどん動いていった。