1日
北京に拘束中の50代日本人教授は小生ではない。つくばみたいな立地ゆえに、都心へ出歩けなかっただけ。週末も学内ミッションが目白押し。刺激的な「拘束中」であった。昨日やっと都心に引っ越し。
午前中、中国科学院地理研究所へ出向いてレジストレーションを行う。名札だけで論文集は受け取れず。1996年にも来ているのだが当時とは建物や周囲の風景がまったく違う。最寄りの地下鉄駅でうわさのビャンビャン麺を見かけたので朝食に試してみた。
1145に研究所を出て、通州にあるMDPI編集部に向かう。1230ころに到着できるかと思っていたら乗り換えなどに時間を要し、結局1300になってしまった。本来であれば先週時間を見つけて行こうかと思っていたが、Q先生が賛同しなかった本当の理由がよくわかった。昌平からだと時間距離的には、水戸から横浜へ行く感じになってしまう。
MDPIは近年急速に普及しているオープンアクセスの雑誌社で、査読は速く、通常のSCI雑誌にくらべて掲載されやすい印象はあるものの、掲載料は15万円以上と高額である。行き場がない微妙な論文をとりあえず世の中に出す以外は、積極的に選ぶべきではないと思う。小生はClimate誌の客員編集委員長(Guest Editor)として、普段ここのスタッフと英語でやりとりしてきたが、出迎えてくれて北京ダックの昼食を共にしたメンバーは全員中国人女性。あちらにとっても、小生が中国語でビジネスできる日本人学者だったとは信じていなかったようだ。近々東京にも支部を開き、日本人のスタッフを募集したいという。英語ができることはもちろんのこと、自然科学系の学部卒業以上の学歴が必要である。小生のClimateを担当するS嬢は地質学の出身という。
この日のインタビューはすべて中国語で行われた。フロアーは3つで、欧米人等非華人スタッフは誰もいなかった。修士課程大学院生並みの劣悪な作業環境で、100人以上がすし詰めで働いている。階下のスターバックスで今後の戦略相談に乗る。世界規模の関連行事を押さえ、そのタイミングで論文を集めないと、今回小生が担当した特集号のように、たった2本だけ、という寂しい結果になりかねない。
帰りのお土産はまたしてもあのナイフ。MDPIはスイスの会社なのでさもありなん。通州の駅ではノーチェックに近かったが、宴会後のオリンピック公園駅では引っかかった。その時初めてお土産がそれだと気が付く(怒)。またしてもお目こぼしをいただく。会場でのバンケットのあとで、日中両国の先生方とともにビールを飲みに行く。
2日
前回2016年夏にもお目にかかった女優のXQさんは、小生の新浪微博のフォロワーである。今回の待ち合わせ場所は、雍和宮に近い地壇公園前の有名なレストラン。点心が有名らしい。雍和宮は1996年夏以来20年以上まったく来ていない。座席だけ予約して、30分ほど公園を案内してもらう。彼女は女優業のほか、映像作家としても活動している。(ランジェリーのまま海面に倒れこむような)サイケな作品が得意らしい。
午後4時にもう一人の知人女性と面会。2009年に共青団ご一行の随行通訳学生だった人。せっかくなので、日本の地理学でも話題になっている后海の新しい観光地を案内していただいた。欧米人インバウンド客をターゲットにしたカフェや音楽バーが軒を連ねている。どの店でもステージでのライブが延々とつづく。これは楽しい。ホテルに戻ってから、部屋で洗濯(500元なのにこういうサービスがないのは最悪)。室内の照明も暗い。その後再びO嬢経営のBarへ。
3日
中国地理学大会3日目。この日は数十の会場で分科会が行われる。午前中は気候変動関係のセッションを聴講。学生の発表には一定のパターンがあることを発見(必ず指導教員を紹介)。参加者が想定を上回ったようで、かなりの人数が会議で用意した弁当にありつけず。小生もあぶれてしまい、地下鉄駅へ戻って雲南過橋米線を食す。
午後2時に中日地理学比較のセッションスタート。日本人は英語で、中国人(ほとんどのメンバーは日本留学経験者)は、中国語と日本語を交互に入れるパターン(つまり講演時間は半分となる)。小生も、今回初めて15分という時間制約の中で中国語での学会発表を行ったわけである。1時間の講義講演と違い、無駄な話は一切できず、スマートにまとめなくてはならない。最初に英語で学会発表した時と同じ緊張感があった。
一之濑俊明(2019)基于自然地理学视角的中日两国地理学比较. 中国地理学会大会,11月3日,北京
研究レベルや技術レベルが大幅に上がっても、スマートなマネジメントについては、中国は今でも苦手なようである。予定通りの進行にとっては考慮すべき要素が少なくないものの、つまらないところでだらだらどうでもいい(くそまじめな)通訳を入れたりと、気が付けば30分以上押してしまっている。最後の先生方(中国側)は予定の6割の時間で話さなくてはならなくなった。中国地理研究所でポスドクをしている日本人水文学者のKさんも来てくれた。夜は四川料理で宴会。
翌朝は空港までタクシー。スイス軍のナイフ付きでは地下鉄も空港鉄道も無理。
27日つづき
昼は学外で。キャンパスの向かいにある北京農学院。東京都立大学農学部(実際は存在しないが)って感じの学校で、国立大学よりも予算は潤沢らしい。スキー部の広告がすばらしい。スノーボードをはじめレベルが高く、河北省のインカレでは上位を独占する勢い。SNSで屁っ放り腰のスキー体験だけをアップしているようなド素人とはまったく違う。食後に香港式喫茶店。観光ガイドに広東語超速入門を発見。まずこれでは通じないと思う。
午後、大学のアレンジしてくれた車両で都心へ向かう。運転手が小生の年収を聞いてきたので、大まかに答えたところ、現在では優秀な教授は同じくらいもらえるという。こちらの先生方はサイドビジネスも普通だし、(最近不祥事が続いて厳しくなってきてはいるが)研究費で落とせる支出も日本とはかなり違う。
オリンピック公園の近くにあるリモセン・デジタルアース研究所(中国科学院遥感与数字地球研究所)に、以前共同研究申請でお世話になった先生を訪ねる。小生が博士論文以来向き合ってきた難題について、かなり濃密な議論ができた。Q先生とY先生も合流し、研究所の優秀な博士課程学生を交えて、将来の研究構想を話し合う。この研究所の創設期のリーダーには、90年代後半に小生が地理研究所でお世話になった著名人が多い。オリンピック時にオープンした高級レストランで宴会。タクシーで30分、大学へ戻る。
28日
朝からY先生を交えて具体的な今後の共同研究計画を議論。90年代以降の小生のやりかけ研究をいくつか引き継ぎでくれるのはありがたい。Y先生の博士研究の内容も、先週出た1本の論文(風洞実験)で、一応すべて出し尽くしたことになる。
29日
昨日まではQ先生のリクエストに応じた検討作業がメインだったので、今日は11月3日に中国地理学大会で小生が講演するための中国語スライドをQ先生に直していただく。うちのスタッフ(筑波大学修士課程)には、まだまだこの作業は厳しい感じだ。日本語は理解できているのだが、学術的な思考力はまだまだ鍛えんとあかん。お昼は吉野家の出前牛丼。
ハイテクビジネスエリア(オリンピック公園にかなり近い)で韓国飯の夕食。このエリアのサラリーマン(IT系)は基本的にみな若い。地下には日本式居酒屋もある。スタバも広くていい感じ。
30日
朝から10日間の総括報告書を執筆。XXの講義、ではなくて、YYに関する検討、というスタイルが求められる。
キャンパスの建物は旧ソ連かってくらい無駄にでかい。ホームカミングのOBを歓迎するコーヒーハウスも立派だ。世界史で受験した人には印象深い匈奴系民族出身の皇帝赫連勃勃の伝記を発見。中国史上最も混乱した時代を八王の乱から綴ってあって興味深い。
夜は山西料理に行ってみた。そのあとでジム(4日目)。十数年ぶりで400mトラックを本気で走ってみる。フォームはそのままだが、持久力がない。学生たちは体育の単位を取るために夜も黙々と走っている。フィールドで練習しているサッカー部のレベルはまあまあ高い。
31日
お昼にQ先生と学外の回転火鍋に行ってみる。具材は2~5元で流れてくるが、肉類(8~10元)だけ別途注文。オーナーは黒竜江から来たおっさん。食後に、となりの北京農学院を散歩。やはり顔認証システムを使っているが、ゲートであれこれ言い訳を並べてみたら、あっさりと入れてしまった。学生の女子率高い。
数日前に東直門付近のAirbnb(300元)を予約してみたが、事前振り込み(しかもスマホ決済)を要求され、条件も怪しい感じだったので、大学からの要請で、工人体育館付近のホテル(500元)に変更。
Q先生の自宅付近までタクシーで送っていただき、そこから10駅ほど地下鉄に乗るわけであるが、入場検査でスイス軍のナイフがひっかかる。北京に限り、現在では航空機の機内持ち込みとほぼ同じ基準になったらしい。ねちねち粘ってみたらお目こぼしをいただいたが、なんとも気分が悪い。
8号線を南下して、鼓楼で2号線に乗り換える。内陸からと思しきお上りさんのおっちゃんおばちゃんに北京駅への行き方を聞かれる。「小生が最初に中国(北京)に来た1992年となんも変わっていませんよ。」
2000ころ、つくばの知人女性に紹介された日本人女性が経営するBarに行ってみる。高層ビルの19階。フロアーのテナントはすべてBar。ぼったくりはないだろうが、庶民価格ではないだろう。オーナーバーテンダーのOさんは宝塚女優チックな関西美女。価格はつくばの倍だが、おつまみチャージがないので、同じくらいの値段で飲める。このあたりは2005年以来15年近く来ていないが、えらい変わりようである。スタッフの女性(北京人と広州人)もいい感じ。
高解像度版です。
企画専門委員一同皆様のお越しをお待ちしております。
(今回は当日海外出張で不在のディレクター)
Getting a sight-seeing Visa of India.
Buddha bresses me. Amitābha(阿弥陀佛)!
しかしトム・ハンクスにはなりたくない。
マジかよ!
なら俺は大金持ちになれるやんか。テレビ朝日でたった今紹介。
私なら1杯1500円でお出しできます。(現在大量入荷中)
某SCI誌の締め切りに1週間遅れで査読意見(Major revision)を返したら、それが決め手となって即Reject。
面白くて計算技術レベルも非常に高い論文であったが、自然地理学的・気候学的考察(どうして対象都市間にこのような差が生じるのか)が欠落していて、加筆を要求したところであった。
意外に無慈悲。
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Thank you once again for reviewing the above-referenced paper. With your help the following final decision has now been reached:
Reject
If you recommended "minor revision" for the manuscript in your review, I did forward your comments to the authors and have checked for you if your comments were fully addressed in the final version.
会員の一ノ瀬と申します。
海外における会議参加費用送金手続きの不具合で
二重送金となり、1回分が返金されたようですが、
差額が2446円(損失)発生しています。
当方のミスではございませんが、これはどういうことでしょうか。
21日
本来であれば19日に移動するはずであったが、学術交流ビザが今日の午前中になってしまった。ここ15年以上すべてビザなしでの出張であったが、今回申請書類はすべて中国語で作成してみた。ゆっくり準備し、成田へもかなり余裕をもって移動。2016年夏北京空港置いてけぼり事件が未解決であるため、CAでという先方のオファーを拒否し、夜遅くに到着する全日空を選ぶ。機中はゴジラを見る。健さん核兵器持参で特攻。成田は皇室行事出席各国要人の到着ラッシュだったらしい。
1時間近く遅れたものの、空港には国際部の先生がお出迎え。半月お世話になる華北電力大学は昌平という北京の郊外にある。都心からはつくばくらい離れた場所だ。万里の長城へ行く中間地点くらいか。大学のホテル(国際交流中心)はWi-Fiもテレビも不調。20年前の感じ。
22日
朝930に出勤。といっても徒歩5分の正門前巨大建築物。1階のマジックミラー付き会議室を2週間キープ。となりが講義室になっていて、向こうからはこちらが丸見え。取調室みたいな構造。企業での面談現場を模擬して評価したりする実験が可能。
複数ある学生食堂が面白い。地方料理が充実していて、旅行した気分になれる。「キャンパスでは規定を順守して学術のことだけを話しましょう。ナーバスな話題は避けてください。」、と今回招聘してくれたQ先生。どうやら最近中国の大学にも他人の足を引っ張りたがる類のヒマ人が増殖中らしい。
「北京の大学の先生方は3年で6本の論文を書かなくてはなりません」、と若手のQ先生。小生に言わせれば「論文は書くものではない。よい研究の結果が論文になるのである。そこんとこ勘違いしている若い連中が多すぎ。」
ちょこちょこ計算して1本書けてしまう分野もあれば、2年くらいフィールドを駆けずりまわってようやく貴重な1本が書ける分野もある。最近査読でつまらない論文(中国からのも少なくない)をたくさん撃墜しているのはそのせいだろう。安易な研究に走る輩も多すぎる気がする。打率は低くともホームランバッターであり続けたいものである。
23日
最近ではホワイトボード大のPC画面が珍しくないが、さすがは電力大学。日本では見たことのない大きさのを使っている。地下水のシミュレーションと水資源の研究をしている修士課程の女子学生が来たので、最近書いた論文を紹介。
旧ソ連が残した建学当時の遺産である発電機の前で記念撮影。新入生のプロフィールが学院別男女比、姓や出身地の上位などの指標で分析されていたのが面白い。一帯一路に関係して、新疆や中近東、アフリカの留学生も多い。
体がなまるのを恐れて、学内スポーツジムの4回券を200元で購入。天井が低く、換気が悪いせいか、フロアーは非常に汗臭い。インド系、アラブ系の留学生を含め、人口密度はかなり高い。夜はエアロバイクやヨガの授業もここで行われている。器具のメンテナンスがいまいちで、日本のジムの調子でやると怪我をするリスクがあるかもしれない。小生の年齢層(教授クラス)は誰もいない。
24日
午前中は水文地質学を研究する中国地質大学の修士学生の研究相談。午後は経済管理学院の本科(学部)2年生20人に、環境教育の動画や小道具を使った実験を披露。
大学正門は顔認証で出退管理しているので、小生一人ではキャンパスを出ることもままならない。つまり、毎回大学ホテルの裏門からルームカードで出入りしている。公共大規模空間では通信速度の問題もありそうだが、キャンパス内であれば、このような自動認証は非常に有効だといえる。
夜は学外で一人食べることになったが、大学前の屋台村が停電で営業停止。やむなく、最寄りの地下鉄駅前を目指して2km、夜道を延々と歩く。寒く、暗く、狭い。駅を通り越すと目の前に巨大なショッピングモール(イーオン系列)が出現。ここで何でもそろいそうである。現金でも飲食は問題なし。雲南の過橋米線を堪能する。往復5kmくらいか。地理学者の小生にはわけないが、Q先生には忍者のごとく見えたかもしれない。
25日
昨夜の夜道であろうか、ゴルゴにしてはうっかりスーツケースの鍵を紛失。しかし技官の方に超簡単な破壊方法を教わった。30秒で壊せる。その後は別種の鍵で施錠。窃盗技術を一つマスターできた。直前まで、スイス軍刀の付属工具で10%ほど金属を削ってみたが、そのまま半日続けたら大変だったはず。金属粉もかなり発生。軍人(ゴルゴ)失格だ。
台風のあと低気圧(前線)の通過で、日本ではまた水害の死者が出ている。
そろそろ洗濯が必要だ。地下にランドリーがあり、これはすべてQRコードの操作ゆえに、ホテルのスタッフに現金を渡して操作をお願いする。中国北方の空気は乾いているので、部屋干しですぐ乾く。
建築エネルギーを研究する若い助教(兼博士課程学生)と議論。この分野は小生自身も長い経験を有する。夜は昨日行けなかったウイグル飯に突撃、堪能。
26日
この日は週末であるが、午後MBAコースで正味3時間半の講義を任された。これだけ話すとネタも尽き気味となり、独自の語学習得方法など、カルチャー談義で場をつなぐ。こういうのは苦手ではない。100人以上と思われる受講者(基本的に社会人)は80后(30代)がメインで、90后(20代)も若干いる。後ろで寝ているのは70后(40代)らしきオッサンたち。日本では経営大学院(MBA)の学費は高いが、こちらでは安いという。気候変動適応の話をメインにということで、関連ビジネス(天候デリバティブの商品やサービス)、とりわけイン・アウトバウンド観光分野における応用を強調してみた。名古屋大学博士課程での教え子であるY先生も瀋陽から到着し、夜は院長先生らと宴会。
27日
午前中も90分ほど昨日の続き。用意したネタは昨日で尽きかけたので、今日はスライドに頼らず時事ネタを。肉声と板書だけで講義って、今の先生方にも難しいのではないか。ましてや、小生のクセのある中国語でである。とりわけ日本は今年、直前に大きな台風に2回見舞われ、水害や停電など、まれにみる大きな災害を経験したのであるが、これは中国でも報道されていて、大きな関心事となっていた。非常にわかりやすい気候変動影響の事例というべきだろう。
同志の皆様、もし小生が11/30深夜から5日間ハイデラバードの空港でトム・ハンクス状態になってしまった場合のご支援よろしくお願いいたします。
Our recent publication.
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Lin, Y., T. Ichinose, Y. Yamao, H. Mouri: (2020) Wind velocity and temperature fields under different surface heating conditions in a street canyon in wind tunnel experiments. Building and Environment, 168.
https://doi.org/10.1016/j.buildenv.2019.106500
I remember I am a climatologist!
風洞実験がようやく論文になった。自分が気象学者であることを思い出した。