時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

共感するコトバ

2011-11-30 | 本 のこと

          


先日読んだ、「ジャン・ヴァルジャン物語」のなかに、
う~ん、そうだなあ。 と、とても共感する一文があった。

『 ひとに与える喜びこそは、不思議なもので
 ほかのすべてのものと違って、与えることによって
 少なくなるどころか、かえって一層大きくなって
 また自分に還ってくるものなのである。』 

以前、近所のお寺の塀に貼ってあった言葉にも
同じような意味のものがあった。

≪幸せは、分けあうことで増えていく≫ という言葉。

わたし、この言葉を忘れずにいようって その時に思ったんだ。
以前ここで このコトバのことを書いたら、クリスチャンのともだちが
聖書にも同じような意味の言葉があるんだよ、と教えてくれた。
正に、この本の言葉の源は、聖書の教えからのものなのでしょうね。

嬉しいきもち。楽しいきもち。分けあうことで一層大きくなって自分にも還ってくる・・・。
なんだかキラキラと光あふれる希望のコトバだ。

生きる国が違っても、信じるものが違っても、「喜び」は なにびとのココロをも豊かにしてくれるよね。





アノ子のコノ子。

2011-11-28 | essay




この夏、急逝してしまった たいせつなともだち。
届いた喪中葉書のアノ子の名前・・・。こうして少しずつ現実を呑み込んでいかなきゃいけないね。

アノ子の娘、Kちゃんとふたりで飲みに。
以前、アノ子と約束した通り、気持ちの上ではもう ふたりの子どもはわたしの娘と息子。
三人も五人も同じこと。たのしみも増えるというもの。

あの頃、生まれる前から楽しみにしていたこの子と
こうして、ふたりで一緒に飲んでおしゃべりしてるフシギ。

昔、アノ子とふたり、仕事帰りによく遅くまで飲んでしゃべっていたっけ。
恋のハナシ、将来のハナシ、あんなこと、こんなこと。
時間は廻って、今度はアノ子のこの子と 同じようにあれこれ話してる。
「ママとmikoおばちゃん。それとアタシ、だったのに、なんかフシギだね」と 彼女も笑う。

これから、たくさんのひとと出逢って、彼女は彼女の道を選んで歩いて行くんだなあ。
いろんな経験を重ねて、たくさんのたいせつなことを吸収して欲しいな。
そしてイイ恋をしてほしい。ココロからおばちゃんは祈っているよ。

そしてこの先、ママに聞きたいことがあったなら、その時は
ママならどう言うか できるだけアノ子の気持ちをなぞって代わって答えてあげたいと思ってる。
 (わたしがアノ子にそう言っている夢までみちゃったことだし。)

わたしには、いつまでもカワイイ小さいKちゃん。
寄り道も、道草も、人生には必要なもの。
そして、コレだというものを見つけたら・・・ どうか、まっすぐしあわせに。







ジャン・ヴァルジャ~ン

2011-11-25 | 本 のこと



うちの世界文学全集のなかにも「レ・ミゼラブル」はあるのだけれど、
ストーリーもなんとなく知っているミゼラブルな話を上下巻みっちり読む気が起きずにお蔵入り。

ある日、4年生の娘が、担任の先生が毎日少しずつ読み聞かせをしてくれる本が面白いんだよ、と
ストーリーを聞かせてくれた。
「一切れのパンを盗んで19年間も牢屋に・・・」

あ~、「レ・ミゼラブル」だね。と言っても娘は題名が違うと言い張る。
なんていうの?と聞けば、「アーム・ジョン」っていうんだ、と娘。
でもさ、ジャン・ヴァルジャンが主人公でしょ?と聞くと、そうそう!と言う。

う~~ん。わかりました。「勘違い」が多いのはわたしの遺伝だ。
彼女が耳で聞いた題名は「アーム・ジョン」でも、それはきっと、翻訳された題名の「ああ無情」ね!
なぜカタカナに聞こえたかねえ?
先生に「ああ無情」かどうかよく聞いてきてごらん。と言うと
後日、そうだったそうだった!と納得の様子。

今日は可哀想で泣いちゃったよ、とか、コゼットが助かった~とか、ファンティーヌが死んじゃった!とか
いろいろ報告してくれていたのだけれど、とうとう本が終わってしまって、
自分でも読んでみたいと図書館へ。

子ども向けに要約された「ジャン・ヴァルジャン物語」を見つけて借りてきたのだけれど、
ちょっと4年生には難しかったみたい。(中学生向きかな)

結局、わたしが読んじゃった。
娘に、今どこ?コゼット引きとった?と横やりを入れられ、「言っちゃだめ!」と遮りながら
すっかり娘同様物語に引き込まれてしまった~。
ラストでは、ボロ泣き。

そういえば、自分が小学生の時、学校の体育館にどこかの劇団が来て
「ああ無情」の劇を上演してくれたことを想い出した。
髭面でボロを着た役者さんの姿が甦ってきたよ。
記憶っていろんなものがその上に積もって見えなくても、
キーワードがココロに打ち込まれると、ムクムクとその姿を現すんだなあ。オモシロイ。

担任の先生のお陰で、彼女のココロに根を張ったこのお話。
大きくなったら、うちにある分厚い「レ・ミゼラブル」上下巻、読破してね~。
母は、岩波少年文庫「ジャン・ヴァルジャン物語」で満足しちゃいましたが!




ユメかウツツかマボロシか。

2011-11-24 | essay



電車に揺られていると、もうふた駅で下車ってくらいのところで急にうとうと眠くなることがよくある。
眠ってしまわないように、意識の上澄みの部分だけ覚醒しているような状態。
こういう状態でみる夢って、結構おもしろい。

夢を見ているのか、空想なのか曖昧なボーダーライン上の感覚。

この前、起きていようと思いつつ うとうととした瞬間、
隣の見知らぬ乗客のオネエサンと話をしている夢を見ていた。
またすぐにふっと、ウツツに戻ると、隣のオネエサンもうつらうつらしている様子。
夢のつづきで、うっかり声を掛けかねない自分がコワイわ。

こうなるともう 夢というより、幻覚か?
同じボーダー状態で、隣のオネエサンも同じように
わたしと話してる夢を見ていたりなんかしたら…オモシロイな~。
なんて、これまた夢うつつに考えている。

体は動かずここにあるのに、意識は勝手に浮遊している。
うつらうつらの白昼夢と、幽体離脱って、実はほぼ同じ状態なのかもしれない?

夢か?現か?幻か? ニュートラルな状態で ゆらり ゆらりと漂うのも、たまにはいいね。


 


エービーオー・ハーモニー

2011-11-22 | essay



高校時代のともだち。
近年、数カ月に一度は集まって飲みに行ったり遊びにいったりしている E&Kチャン。

なんだろなあ~、この三人衆。
いつ会っても笑いっぱなし。そして時にはディープにディープに語り合えるこころの友。
たおれそうになったら、支えてくれる 頼もしいともだち。
出逢ってからもう30年も経ったんだね。

「ひとのいのち」は 重くても儚いものだと、肌で実感するこのごろ・・・。
近頃、ちゃんとコトバで、日頃の感謝の気持ちを伝えることにしている。
今まで出逢ったひとたちみんなに「ありがとう」っていいたいくらい。
ちょっとキモチワルがられるけどねっ。
イカガワシイ教えとかにハマっちゃったわけじゃありません。
自分のなかの トガッていた部分がまあるくまあるくなってきただけのこと。

で。三人衆と言えば・・・!
血液型占いをまるまる信じるわけではないけれど、
女友だちで一番丸く収まるのは、A、B、Oがひとりづづのトライアングル型だと、
何かの雑誌に書いてあったのを、ふいに想い出した。

そういえば、この三人衆も、A&B&Oやん。
こうして、笑って笑って笑い転げてる間にお婆さんになってたら、しあわせだよね~!







街のあかり。

2011-11-20 | essay



気がつけば、街はもうクリスマスカラー。

昔の小さな出版社時代のともだちが、遠方から東京に仕事で立ち寄るというので
彼の結婚が決まったお祝いも兼ねて久しぶりに集まった。今回は8人。

懐かしい話に花が咲く・・・って、もうそんなお年頃になっちゃったのねえ。
あの頃、一端のオトナのつもりでいたけれど、
みんな血気盛んな20代前半の若ゾウだったんだよなあ。
あれから20年。皆それぞれにいろんな業種でちゃんと成功していてエライよ!
まさに働き盛りなんだな。

それにしても強烈な個性の持ち主の集まりみたいな会社だったから、
話のネタには尽きませんな。
とても濃厚な時間だった あの目黒の日々。
それでも、数えてみれば、なんとわたしがその会社に居たのは3年余り。
この日集まったみんなも、3年とか1年だけとか思いの外 短い期間。
あの会社は「会社」というよりも「サークル」みたいだったよね、って
やっぱり誰もがそう思っていたんだね。 ふしぎなめぐり合わせ。

あれからのそれぞれの人生に それはそれはいろんなことがあったにせよ、
「みんな とりあえず 生きててよかった!」って笑いあえるって
こころから幸せなことだとおもうよ。

どんな場所でも、同じ時代同じ時間を過ごした仲間って、みえないけど、ふしぎな絆があるよね。

ひととひとの縁。
つくづく、だいじにしたい、と思うお年頃なのでした。

そして、東京で購入したマリッジ・リングを大切に胸に抱いて帰路に着いたであろう mっち。

永遠のしあわせを、こころの底から 祈ってるよ~!







夢の国へ

2011-11-19 | essay



小学校の振替休日。
思い立って、初めての 父娘ふたりで行く夢の国 ディズニーランド。 (わたしは・・・店番)

長男次男が小さい頃は家族みんなで何度か遊びに行ったものだが、
そういえば・・・最後にディズニーシーに行ったのは長男が6年生。
ってことは娘は幼稚園児。ランドに至っては2歳にもなっていないころ。

上の子にはいろんな思い出が残っても
下の子は記憶になければ、行ってないのと同じだものね。
これって 下の子の宿命なんだよね。

最後に一家で行った時、ディズニーシーの入り口を前にして、
自然児・長男は「おれ、あっちで遊んでていい?」と海を指さして言ったものだ。
あのとき、「あ~、この子が次に来るのは カノジョができてからだわね」と確信したのだったよ。

で、近頃 「なりきりカメラマン」な娘9歳。
撮りも撮ったり!充電が切れるまで撮りまくり、
閉園までたっぷりお父ちゃんとふたり、楽しんで帰ってきたのでした。

「父娘の時間」も 今のうちにたいせつにしとかなきゃねー。

以下、撮影は娘☆

 



 さすが時計屋の娘? な一枚。



 



何十年たっても・・・おとぎの国の時間は止まったままなのね。



絵みたいなお花

2011-11-17 | essay


なんだか、昔々に開いた絵本で見たことのあるような
遠いよその国の童話にでてきそうなお花。

ちょっとレトロな色合いがとても可愛いね。

コスモスの一種なんだね。
なぜだろう? とても懐かしい。

子どものころに感じた 「異国」 の匂いがする。

 

 

 


謎の妖艶ドール

2011-11-16 | essay

 

          

小さい頃に 誰かからお下がりでもらった一体のお人形。
リカちゃんの半分くらいの小さな人形なのに、やたら色っぽいダイナマイトボディ。

まつげが植毛してあって妙にリアルなんだ。
すきじゃなかったけど、リカちゃんと共に この何十年かずっと持ちつづけている謎の人形。

謎って、ふしぎなことに 忘れた頃に ある日突然解けるもの。

古本屋さんでたまたま見つけた「お人形図鑑」にこのお人形さんが!!


      

「Dawn ドォン」 という、アメリカ生まれの人形だったのねえ、アナタ。
しかも、リカちゃん人形を卒業した「ヤング・レディ」(?)向けに
タカラが輸入していたものだと書いてある。

なるほど。アメリカ娘だったのか。だからこんなスタイルなのね。
バービーのパクリかと思っておりました。失礼しました。
「おともだち」もいろいろ販売されていたんだ~。

昔 リカちゃん遊びのなかでは、いつも悪い魔女の役回りばかりさせていたっけ。
今 リカちゃんに夢中の娘も、この人形だけはひどく怖がって、
すっかりおもちゃ箱の隅に、ひとりぼっちで追いやられていました・・・。

わたしはコレクターではないので、お人形さんは遊んであげてこそなんぼのもん、だと思うので
この「ドォン」さん、また娘のリカちゃん遊びに混ぜてもらうことにいたしましょう。



             


時間と歯車と出逢いの密接な関係

2011-11-14 | essay


わたし、ひととひとって 離れても それぞれに 、
それぞれの時間が廻って ちゃんとまた出逢うようになっているんじゃないか・・・って近頃思うんだ。

歯車がぐるりと回り、カチリと合わさって重なるように、ひととひとは出逢う。

そこからまた離れても、ぐるりと回ってまた出逢う。

日常的に会うひとは、小さい歯車で
時々会うひとは、中くらいの。
久しぶりにまた巡り逢うひとは、大きな歯車。

二度と会うことのないひととは・・・縁が無くなったんじゃなくて、とてつもなく大きな歯車だから
今生では一回転しないだけなんだな。

なんてね。

いくつになっても dreamer な わたしは、時計の歯車を見ていて
そんなことを考えている 小春日和の昼下がりなのでした。



   


 


俯瞰的目線

2011-11-13 | essay




小学校の音楽発表会。

大勢の子どもの歌声って・・・いつ聴いてもこころにじ~んときちゃう。
圧倒的な 生きるパワーの集合体を目の当たりにしてクラクラしちゃうよ。

といっても、小学校の音楽会を聴きに来るのは長男から三人分数えるともう10年目なんだなあ。

後方の席に座るわたし。ふと、俯瞰目線で見ている自分に気づく。
ステージに立つたくさんの子どもたち、それを一心に眺めるその親御さんたちの背中。
教え子たちの立派な姿に、そっと涙をぬぐう 先生方・・・。

それぞれの家庭にたくさんの時間が流れて、赤ちゃんが成長し、小学生になってステージに立っている。
この日、こうしてここに集うたくさんのひとびと。。。
元気にこうしてこの場所にいることは、当たり前なことなんかじゃなくて、奇跡なのかもしれないよね。

たまには、そんなふうに、元気であることをありがたく思うことって、必要だ。

超反抗期突入の次男坊だって、少し前にはこうしてニコニコ歌っていたものなのになあ・・・
カワイイ頃なんて、過ぎてしまえばあっという間だ。

末娘は四年生。小学生のかわいい歌声が聴けるのも、もうあと2年かあ。

子どもは、生まれて三歳までにもう親孝行をし終えてるって、聞いたことがある。
ただただ可愛いってことが、既に親孝行なんだそうだ。

ホントにそうかもしれないねえ。

反抗期だって、本人もすきでやってるわけじゃない。
本人だって、ワケのわからん内側のイライラや、世の中の矛盾に気づきはじめて過敏になっているだけだ。

こちらはオトナとして、でんと構えていてやろうじゃないの。
って・・・思うんだけれどね。これがなかなか。

本日も怒号の飛び交う我が家なのでした~。
こういう時こそ、俯瞰的な目線で自分をも眺めることが必要なんだろうなあ。





FIFTEEN PORTRAITS

2011-11-12 | 展覧会・アート のこと



先日、麻布十番に用事があったので、ついでにミッドタウンに寄って
FUJIFILM SQUAREへ。
今展示されている、ユーサフ・カーシュ という写真家の撮ったポートレートが観たくなったから。

写真の技術的なことはよくわからなくても、
ここに並んだポートレートは なるほどすごい。

たった一枚の写真から、そのひとの「人となり」が浮かび上がってくる。

この苦々しい顔をしたチャーチル首相の写真は、
一向に離そうとしない葉巻を この写真家が自ら「失礼します」と、おもむろに口から引き抜いて
カメラに戻ったときに撮影した一枚なのだそうだ。

一瞬の生きた表情を捉える力って、そのひとの持つ天性とセンスだよね。

ヘミングウェイ、アインシュタイン、ミロ、ピカソ、シャガールにヘレン・ケラーなど。
そうそうたる顔ぶれの15枚のポートレートが並ぶ。

有名人としてじゃなく、ひとりの個人としての「顔」が見えるようなポートレートです。


 




りんごと生姜

2011-11-11 | essay


りんごの季節。

だいすきだけど、実はアレルギー。(長男も)

熱を通すと食べられるので、わたしと長男用にはよく煮りんごやジャムをつくる。
今回、おいしいかも?と思い立って、すった生姜とレモンも加えて「りんご生姜ジャム」にしてみた。

これ、大正解!おいしい~。

このジャムを熱い紅茶に溶かしていただきます。

あったまる~~ これからの季節、冷え性さんにおススメです。


 

 


ピンクリボン

2011-11-10 | essay




ピンクリボン。
ピンクリボンは、乳がん啓発運動のシンボル。

乳がんを患う日本女性は、なんと16人にひとり。
早期発見で90%が完治する病気。

30~40代の女性に特に多いガンなのだそうだ。
仕事が忙しかったり、子育てに翻弄されて、自分のことは一番後回しな時期・・・。
マメに検診を受けることもなかなか難しいものです。


少し前のある日、うちのお店にて。
修理が終わって、動き出した時計を 嬉しそうに受け取ってくださった年配の男性のお客様。

「これ、娘が買ってくれた時計でね。形見になっちゃったんだけどね・・・。」 と仰る。
その方は・・・、娘さんが まだ小さいお子さんを残して
乳がんで亡くなってしまったことを話してくださった。

言葉に詰まるわたしに、
そのおじさまは 「あなたも 検診をちゃんと受けなさいね」と、優しく微笑んで仰った。

わたしに、娘さんの面影が重なったのかもしれないね・・・。

乳がん検診。 優しいお客様のお言葉通り、久しぶりに受けてきました。
ありがとうございます。

マンモグラフィー、痛いのは一瞬だけ。 結果もその日に分かります。
女性のみなさん、忙しくても、時間を作って受けましょう!
男性のみなさんは、パートナーにぜひ勧めてあげてくださいね。


 

 


切り取る時間

2011-11-09 | essay



写真は、切り取れる時間だ。

流れる時間は目にはみえないけれど、一瞬を残しておける写真って優れモノだよね。




少しずつ色づく葉っぱ。この木のこの色合いはこの瞬間だけのもの。




笑う子ヤギちゃん。


  
    
ベイビーの無垢なひとみ。なにを思っているのかな。





 

秋の一日。 この日、すっかり撮影に夢中なむすめ。
カメラを手に、「カメラマンになろっかなあ~!?」 

それ、いいね! 




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