時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

NYのユメとランチBOXと

2021-06-29 | essay

夢をみた。
ニューヨークの街角の安いChineseレストラン。
父の案内で来ているようだ。

「気取った店よりここが断然旨いんや。」と父が言う。

他にも数人いたけれど誰だったろう。

ニューヨークには行ったこともない。
映画で散々疑似体験しているせいか、街のムードはしっかりNYだ。

父はわたしが小学生の頃に仕事で米国に行っていたから、NYにも行ったんじゃなかろうか。
そう言えば今も使ってるスチールのランチBOX、その時のアメリカ土産だ。

この謎なキャラ、「The Flying Nun」
ふと気になりいつだったか検索してみたら昔のアメリカのシットコムドラマだった。
サリー・フィールド主演。
日本で放映されたのかどうかは不明だ。

このランチBOX子どもの頃はおもちゃ、学生時代はカセットテープ。
子どもたちが生まれ、小さい頃はままごと遊びにも重宝された。(中に同柄の水筒も入っていたので)
時代と共に入れるものは変化していき、今はマスキングテープ入れ。
つくづく物持ちのよい自分である!

ニューヨークかぁ。
ウディ・アレンの映画や、様々な古き良きアメリカ映画の影響で憧れた街。
20代の頃、大阪の子ども時代の友だちがNYに数年ダンス留学していた。
彼女が居る間に遊びに行きたいと思い立ってある時連絡したら、その年は過去にないほどの寒波に見舞われ大雪に。。。
いい季節においでと云われ時期を逸したままわたしは仕事に追われ彼女は翌年には帰国。

以来ご縁がないままとなったNY。
モノゴトにはタイミングが重要だ。今のわたしはもう行きたい街だとは思わない。
こうして夢の中で訪れたり古き良き映画の中で古い街並みのニューヨークにうっとりできればそれでいいや。

それにしても、夢の中のチャイニーズレストラン。
美味しそうだったな。
「熱いうちに早よ食べ」という父の声がまだ耳に残っている。
後で電話して夢の話をしてあげよう。


本能優先ヨリミチさんぽ

2021-06-26 | essay

本能優先のヨリミチさんぽ。

水のある場所まで遠回りして大正解。
水辺に佇む一羽の青鷺に出会った。
そうっと近づいて木陰から観察。

ご馳走にはありつけなかったみたいね。
唐突に美しい翼を広げてバッサバッサと森へと消えて行きました。

青鷺さん、翼を広げた姿を今度は撮らせてくださいまし。







意図のない芸術

2021-06-24 | essay

庭の雨ざらしの水槽に
葉脈だけになった葉っぱを見つけた。
ここには長男が置いていった金魚が一匹、逞しく生活している。
金魚が泳げないほどに繁りすぎた水草を少しどけたら
この綺麗に溶けてほぼ葉脈だけになった葉っぱを見つけたのだった。
水に落ちたアイビーの葉のようだ。
一体どれだけ浸かっていたらこうなるのだろう。

昔長男が中学の時、高校のオープンキャンパスの体験授業で葉を化学薬品に浸けて葉脈だけに加工する実験を見学したのを思い出した。

自然の力は偉大だ。
放っておいてもこうして分解されまた地球の一部として循環されていく。

自然と時間が創り出したうつくしい芸術でありながらもそれを全く意に介さず、自然の摂理のままにただ黙々と淡々と還っていく行程としてそこにある。
そこになんの意図もないうつくしさこそが、真の芸術なのではないか。

洗濯物を干しながら目にした庭の小さな雨ざらし水槽に繰り広げられる自然のドラマにいたく感動するある日の朝でありました。





時間の層のスキマに潜る

2021-06-22 | essay



帰り路のツートンカラーの空
日中と夕方が混在した二層の時間
こんな時には上手いこと時間の隙間に滑り込んで
もう逢えるはずのないヒトを抱きしめることができるかもしれない
なんて
夢想が勝手にわたしのココロに潜り込む
6月21日
16回目の母の命日
そしてもう10年も歳をとらないままの親友のアノ子の誕生日。




追記

気の向くままにここに文章を綴り始めて気付けば10年以上になります。
そもそものきっかけは、母を亡くしたあとのこころ模様をどうにか調えるためでありました。


このgooブログでいつからか始まった「リアクションボタン」。
少し前より初めて使ってみましたが、どうもわたしはこのシステムに馴染めないので外させていただきます。
拙いわたしの文章にボタンを押してくださりありがとうございました。
どうぞこれからも気の向いた時にふらっとお立ち寄りいただけましたらうれしく思います。


想い出の預け場所

2021-06-19 | essay


わたしのすきな木

この木に触れるだけで
小さかった子どもたちの姿やはしゃぐ声、そして元気だった頃の母の楽しげな笑顔が全部甦ってくる。

春の桜の舞う頃も
赤いモミジを拾う頃も
麦わら帽子の虫捕りの頃も

この木のそばにシートを敷いて母が握ってきてくれたおにぎりを食べたっけ。

子どもたちはこの木に登ったりぶら下がったり思い思いに遊んでた。

木もれ陽の下、赤ん坊だった末娘を膝に乗せてわたしも枝に腰掛けさせてもらったものだ。

ここへ立ち寄るたびに
わたしはひとりこの木の幹に触れて話しかける。

たいせつな想い出をたくさん預かってくれているこの木。

ありがとう。
ずっとずっと元気でいてください。




ふわふわと浮かぶ

2021-06-12 | essay


ふわふわの雲に
ふわふわの綿毛。
梅雨入りの発表はないままだけれど
桑の実ももう終わってしまったし、梅はもうとっくに熟してる。
ニンゲンの営みに関係なく
自然はきっちり前へ前へと歩を進める。

ジブンもジブンの持ち時間を無駄遣いしないように前へと進もう。




木のココロ

2021-06-10 | essay
公園の立ち枯れた一本の木の周りを雑草たちがまるで守るように取り囲んでいたのを見て以来、ずっと気になっていた木。
この冬、とうとう伐採されてしまった。

伐られたての痛々しい切り口に手をおいて
なんとも可哀想な気持ちになったのだったが…。

春、この切り株に赤ちゃんを座らせて写真を撮っている親子を遠くから見掛けた。
キャッキャと手を挙げてご機嫌な様子の赤ちゃん。
笑顔の若いお母さんと新米おばあちゃん。
やわらかなしあわせな空気がその一帯を包んでいて
赤ちゃんを乗せた切り株が
とても誇らし気にみえた。

第2の人生(人じゃないから、木生?)、おめでとう!と讃えたい気持ちになってしまうのだった。

あれから数ヶ月。
切り株としての貫禄も出てきて
わたしもあなたに腰掛けてみたくなったよ。

しばしの休憩、水をひとくち。



あんぱんふたつ豆みっつ

2021-06-06 | essay
6月6日と聞けば
描きたくなるよ
かわいいコックさん。

これ描ける世代って
どこからどこまでだろう?

このコックさんって
結局アヒルなのよね?
いや、こんな耳アヒルにないか。
ナゾの生物?

♪♪♪棒が一本あったとさ 棒じゃないよ はっぱだよ
っぱじゃないよ カエルだよ
カエルじゃないよ アヒルだよ
6月6日に雨ザァーザァーふってきて
三角定規にヒビいって
あんぱんふたつ 豆みっつ
コッペパンふたつくださいな
あっという間に かわいいコックさん♪♪♪

今度園児に教えてあげちゃおう。
(って前にも思ったのにわすれてましたー)


ドクダミの海

2021-06-05 | essay

どこもかしこも
ドクダミのかわいい花で溢れてる。

ちょっと前まで
どこもかしこもナガミヒナゲシで溢れていたのに
あっという間に選手交代!
潔い。
咲き時も退き際も本能で心得ているんだな。

自然は先生。
ニンゲンも見習うところ多し。



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